かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 427 韓国③

2024-06-30 10:02:32 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠59(2013年12月実施)
       【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子   司会とまとめ:鹿取 未放

 
427 宋山里(そうさんり)の神に購ひし買地券武寧王残せり墳墓の闇に

      (レポート)(崎尾)
 ■買地券
土地の売買証明書をいうが、中国考古学では墓地を購入したことを証明する文書に限っていい、しばしば墓の副葬品として発見される。後漢以降、近世まで長く行われた。石、塼、鉛、玉、鉄などの板に記したもので、内容は年月日、被葬者の住所・氏名・性別・年齢、墓の所在地、土地の値段、土地の範囲などからなる。漢代のものは実際の状況を記したらしいものもあるが、後には冥界での架空の状況を記すようになる。つまり天地から土地を購入し、もし土地争いが起これば地下の神である〈土伯〉や天上の神である〈天帝〉のところへ訴えよという道教的な内容である。中国以外の例としては韓国の百済武寧王陵から出土した買地券が著名である。日本では1979年に福岡県太宰府市の宮ノ本遺跡で、平安時代と見られる火葬墓から、長さ35.21㎝、幅9.5㎝、厚さ2㎜の鉛板に刻んだ買地券が発見され、この買地券は赤外線テレビカメラにより、方一丈の土地を〈銭25文、くわ1口、絹5夫、調布5口、白綿1目(斤)〉で買ったことが解読された。 (世界大百科事典 平凡社)
                        
※レポートは手書きであり、終わりから2行目の「くわ」は漢字で、「秋」の下に「金」と書く一文字。ネットから「世界大百科事典」の引用部分をコピーしてみたが、「くわ」の文字は反映できなかった。


        (当日発言)
★「宋山里の神」というのは何なんですか?(鹿取)
★買地券の説明に書いてあるように、天地の神から買うんだけど、ここでは宋山里とい
 う土地の神に作者が限定しているところが面白い。(崎尾)
★天地の神から買うってお金は誰に払うの?(鹿取)
★神様だからお金は払わない。(崎尾)


     (追記)(13年12月)
 レポーターの引用と重なる部分もありますが、以下の説明の方が分かりやすいので「邪馬台国大研究H・P」より引用させていただきます。
【羨道にあった誌石(墓碑)。墓地を神から買い取るための「買地券」として残っていた。(買地券は、同じものが太宰府などでも発掘されている。)その誌石に、「斯麻王」(しまおう)と文字が刻まれていたため、この墓は百済第二十五代武寧王(在位502~523)の陵墓と確定した。誌石からみて、武寧王は523年5月に死亡して525年8月に王陵に安置され、王妃は526年11月に死亡して529年2月に安置された。そして閉塞用の塼のうち「士壬辰年作」の銘文磚は、王のなくなる11年前である512年に、既に築造準備がなされていたことを示している。誌石は2枚の長方形の石版である。横41.5cm、縦35cm、厚さ5cmの青灰色閃緑岩に、楷書体で文字を刻んだ。武寧王が523年に亡くなると、3年葬を行うために2年3ケ月の間、仮埋葬をして、王陵に安置する時に王の墓誌と千支図、買地券をつくったものと理解される。その後、526年に王妃が亡くなると、3年葬を行って529年に葬るときに、買地券を上下逆にして、裏側に王妃の墓誌を刻んだ。墓室は塼(せん)を積み上げて作ってあり、アーチ型の天井である。ここに、槙の木でできた王と王妃の柩が安置されていた。】
 上記引用文から分かるように、武寧王の「買地券」は石版に彫られている。誰の墓か明記するためのものらしい。上記H・Pにあるように「買地券」とは要するに「墓碑」「墓石」である。
 ところで、王と王妃の棺は槙の木とあるが、同H・Pによると、後年、これは日本にしかない高野槙という種類で、当時の半島と日本の密接な交流が伺えるそうだ。(鹿取)
 

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馬場あき子の外国詠 426 韓国③

2024-06-29 09:32:49 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠59(2013年12月実施)
      【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子   司会とまとめ:鹿取 未放

 
426 武寧王陵(ぶねいわうりよう)立冬の霧濃ゆければ手にふれて知る木々の寂けさ

      (当日発言)
★425番歌(王陵の闇より出でて松の葉の白き霧氷に息吐きにけり)もそうだが長い
 歴史の時間の凝縮のようなものを見てきて、地上に出、身体的にも精神的にも現実世
 界にとまどっている感じ。それが木々に手を触れることではっと現実に引き戻され
 た。その覚醒の感じが「寂けさ」に象徴されているような気がする。(鹿取)
★立冬の霧としたところがとてもいい。冬のなどでなく、立冬で時をぱっと絞り込んだ
 感じ。 (慧子)
★霧が深くて手に触れないと木が実感できなかった。(曽我)
★直接的にはそうですね。ただ、手に触れて知るのはもっと微妙な内面的な「木々の寂
 けさ」ではないでしょうか。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 425 韓国③

2024-06-28 10:33:09 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠59(2013年12月実施)
      【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子   司会とまとめ:鹿取 未放

 
425 王陵の闇より出でて松の葉の白き霧氷に息吐きにけり

         (レポート)
 「王陵」と「白き霧氷」とを対比させ、暗い王陵を出て現実へと引き戻されている様子が表現されている。結句で確かな今を感じると同時に、瞬時にして過去となる今を惜しむ思いを詠っているのであろう。(崎尾)


       (当日発言)
★作者は見ている事物と交歓する手だてをきちんと示される。スイスでも深い谷底を見
 て飴を嘗める歌があって、あれと同じ詠みぶり。(慧子)
★王陵を出てやっと息を吐いたのは、それまでは作者の気持ちも暗かったのだろう。
   (曽我)
★生理的に穴の中に入っていると閉じこめられているような気分になるから、出てきた
 らほっと息を吐きたい気分になるのでしょうね。だからかなり身体的な感覚をいって
 いるのかなと。もちろん、1500年ほどの時の隔たった時代の一端を見てきて、現
 代にいっきに感覚が戻る気分というのは精神的にもちょっと混乱しますよね。(鹿取)
★白い霧氷に白い息、と白いものに白いものを重ねるのが作者のやり方。(慧子)


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馬場あき子の外国詠 424 韓国③

2024-06-27 13:07:12 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠59(2013年12月実施)
      【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子   司会とまとめ:鹿取 未放
 

424 埋葬の王妃の闇に発光せし金釵王冠のほのけき宇宙

    (レポート)(崎尾)
■金釵はかんざしである。金釵王冠はそのかんざしが五つ下がっている。
(図説韓国の歴史・河出書房新社)


     (まとめ)            
 闇の中で屍と共にある「金釵王冠」は墓の中で妖しく光り輝いていたであろう。結句の「ほのけき宇宙」は、「金釵王冠」が照らすわずかな範囲のことだろう。もう少し広げて王と王妃の棺が並べられた石室のことを言っているのかもしれない。しかし、死後もほのかに繋がっているふたりの愛のかたちのようなものを感じさせる。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 423 韓国③

2024-06-26 14:51:53 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠59(2013年12月実施)
      【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
      参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:崎尾 廣子   司会とまとめ:鹿取 未放
 

423 永遠(とは)の眠りしづかに暗く求めたる王は朽ちゐき宝冠の辺に

         (レポート) (崎尾)
 ■武寧王陵石室
  百済中期の都・熊津(ウンジン)、現在の忠清南道公州(コンシュ)にある。
  町の北西丘陵上にある宋山里古墳群中にあり、処女墳の状態で発見された。
  中国南朝墓制の影響を受けた磚室形式である。羨道にあった墓誌から墓主の
  名が武寧王(斯麻(しま)王)であることが判明した。磚室は、粘土を焼い
  て煉瓦のように作ったもの。    (図説韓国の歴史・河出書房新社)
                     

      
      (当日発言)
★長い間この王は発見されなかったのよね。発掘されずに静かに眠りたかったかもしれ
 ないけど、発掘されて王冠の辺りに朽ちた状態で見つかった。(曽我)
★いくら王たる人が永遠の眠りを求めても体は朽ちてしまって王冠だけが残っている、
 そういうことだと思います。(慧子)
★それだと、体が朽ちたら永遠の眠りではない、ということになりますよね。そうでは
 なくて、王様は人目に触れずに永遠に墓の中にいたかったということでしょう。だけ
 ど発掘された。(鹿取)
★私は発掘されてみんなにさらされることに疑問を感じている。(崎尾)
★昔の王様のことだから過去にしてもいいのに、「求めたる」と現在形にしているのは
 どうしてでしょう?連綿と続いているということ?(慧子)
★「たる」は現在形ではなく完了の助動詞ですよね。「し」って過去より、完了を使う
 ことで王様のこころを身近に引き寄せているんでしょうね。(鹿取)


     (追記)(13年12月)
 〈KONEST〉という韓国の観光案内記事に「武寧王陵は、1971年に6号墳の排水工事の際に偶然発見されました。当初は古墳内部を一般公開していましたが、史跡保存のため1997年7月以降中止され、現在は観覧できなくなっています。武寧王陵からは冠装飾や耳飾り、腕輪、首飾りなどの20,906点もの副葬品が発見され、そのうちの12種類、17点が国宝に指定されています。」
「<宋山里古墳群模型館>1997年に武寧王陵の内部の公開が禁止され作られた模型館。5、6号墳と武寧王陵の内部が再現されています。実物の大きさで作られており、6号墳、武寧王陵の模型は中に入って観覧できるようになっています。また、武寧王陵の中から出てきた副葬品のレプリカや、武寧王陵の築造過程の模型なども展示されています」とある。
 馬場の旅は1987年なので、本物の古墳内部を見学したのだろう。「発掘は王の眠りを妨げる」という意見が出たが、今日読んだ「邪馬台国大研究H・P」によると、武寧王陵が発掘される折、「王の眠りを妨げるな」というデモが発掘現場近くで行われたそうである。(鹿取)
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