かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 246 中国⑪

2023-05-31 10:36:00 | 短歌の鑑賞
2023年度版馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
      【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁~
      参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
      レポーター: N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

246 秋晴れは何にでもなれる思ひありされど昭君の見しゴビ沙漠

     (まとめ)
 王昭君(おうしょうくん・紀元前1世紀ごろ)は、前漢の元帝の時代の女性で楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。親和策のためかつて敵国であった匈奴の呼韓邪単于に嫁がされ一男を儲けた。その後、呼韓邪単于が死亡したため当時の匈奴の習慣に習い、嫌々ながら義理の息子の妻になって更に二女を儲けた。しかし故郷の漢族はそれを近親相姦同様の不道徳と見なす文化を持っていたため、王昭君は服毒自殺を遂げたとの説が横行し悲劇のヒロインに祭り上げられたそうだ。
 能に「昭君」があるが、この歌には直接の関係はないようだ。「何にでもなれる思ひ」と言っているがゴビ砂漠を前にして王昭君のことがしきりに思われたのだろう。幸不幸は本人にしか分からないものながら、たとえ幸せであったとしても、故郷漢を遠く離れて毎日毎晩眼前に広がるゴビ砂漠を眺める暮らしはいかばかりだったであろう。荒涼として何もない沙漠の見えない遙かかなたの故郷をどれほど恋い慕ったことであろう。秋晴れの透明さが2000年以上も昔の王昭君を作者に偲ばせたにちがいない。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 245 中国⑪

2023-05-30 10:21:16 | 短歌の鑑賞
2023年度版馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
      【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁~
      参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
      レポーター: N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

245 ツービートに体ゆすりて見てあればめいめいざらりとゴビに陽は没(い)る

      (まとめ)
 沙漠の日没は壮大な大パノラマで、現代の旅の景物の一つであろう。日没を待つ間、乗ってきた車からはツービートの曲が響いていたのだろうか。それとも日没のダイナミックな様子をツービートと感じたのだろうか。
 「めいめいざらり」は室町の小唄調の囃子ことばで、京都の時代祭には「室町洛中風俗列」の風流踊りでこの囃子ことばが歌われるそうだ。

  あー あのひをごらうぜ いーさーんやーれさんやーれ 
  やまのはにかかった いーさーんやーれさんやーれ 
  めいめいざらりのさんやーれ いーさーんやーれさんやーれ
      
 歌の内容は山の端に掛かった美しい夕陽を囃子詞を使って陽気に称えているものである。とすると馬場の歌は「めいめいざらり」の囃子詞を借りて、ツービートを背景に沙漠に没する壮大な夕日を眺めている愉快な気分が詠われているとみたい。本歌集『飛天の道』から6年後の歌集『ゆふがほの家』に「めいめいざらり」の章があり、「秋の陽はめいめいざらり庭ざくろ実りて揺れて笑ふほかなし」の歌が載っている。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 244 中国⑪

2023-05-29 09:21:51 | 短歌の鑑賞
2023年度版馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
      【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁~
      参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
      レポーター: N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

244 張騫(ちやうけん)のききし砂漠の夜想曲しんしんと人麿以前の孤独

      (レポート)  十余年余匈奴に囚われていた張騫、後に脱出に成功して東西のシルクロードの発展の先駆者となった。(N・I)

       (当日意見)
★沙漠の音がノクターンに聞こえる。(曽我)


       (まとめ)
 この歌は一転して、紀元前の話である。どうして国も違い、時代も違う人麿(7~8世紀の飛鳥時代の人)が張騫に並べられているのだろうか。張騫(紀元前114年没)は中国前漢時代の政治家で、武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらしたとされている。漢は大月氏と組んで匈奴の挟撃作戦を狙って張騫らを使節団として送ったが、張騫は匈奴に捕らえられ、その後十余年間に渡って拘留された。匈奴は張騫に妻を与え、その間に子供も出来たが、張騫は脱出に成功する。月氏の王に漢との同盟を説いたが、月氏の王はこれを受け入れなかった。その上帰路またしても匈奴に囚われた。しかし今回は匈奴の後継者争いの隙をついて1年余りで脱出、紀元前126年に遂に漢へと帰還した。張騫の死後、張騫の打った策が徐々に実を結び、西域諸国は漢へ交易に訪れるようになり、漢は匈奴に対して有利な立場を築くようになる。
 ところで張騫と人麿の共通項といえば、旅であろうか。人麿は役人として各地を旅し、石見の国で死んだと伝えられている。もちろん人麿の時代の旅も命がけだっただろうが、敵国を通って同盟を説く為に沙漠の中の、まさに道無き道を旅した張騫の危険さとは比べようもない。張騫の往来によって道ができたと言われるほどである。囚われの身の時も当然だが、道無き道を行くときにも、張騫は常に命の危険にさらされていたはずだ。そうして、たぶん張騫は人麿のようには歌を(詩を)詠まなかったであろう。すると張騫の聞いた沙漠の夜想曲とは何であったろうか。最初は匈奴に捕らえられていた時に、囚われの身で聞いた敵国匈奴の歌だろうと思っていたが、242番歌の「しづしづと沙漠広がるまひるまの砂の音ちさく笑ふ声する」などからみると、沙漠そのものの奏でるもの悲しい音のことかもしれない。また、人麿と並べられたところをみると、己の中に歌を持たない張騫は、歌を持っていた人麿よりずっと孤独だったろうというのだろうか。ここで馬場は、砂漠化が進む現代のシルクロードの国々を旅しつつ、己が言葉を持つことの意味、歌を持つことの意味を自問していたのだろうか。(鹿取)
 

        (後日意見)
★曽我さんのいう通り、砂の鳴る音を聞いていたのだろう。(11月・藤本)
★鹿取さんの「まとめ」にある異民族の匈奴の歌を聞いていたと解釈したい。張騫詩文
 は伝わっていないので、作らなかったと考えていいだろう。たとえば『三国志』では
 劉備だけが詩を作らなかったと書かれている。(11月・佐々木実之)


         (2016年10月追記)
 余談だが、私の持っている『鬼の研究』(1977年度版)の扉に著者馬場あき子の署名があって「晩菊のくさむら冬に耐えておりやすらわぬかなことばをもてば」の歌が書かれている。すると「詩を持つ方が孤独では無い」との解釈も揺れてくるかな。
 さらに、「人麿以前」とあるので、詩の有無ではないのかもしれないと、気になり始めた。
 さても、難しい歌だ。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 243 中国⑪ 

2023-05-28 12:37:46 | 短歌の鑑賞
2023年度版馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
      【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁~
      参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
      レポーター: N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

243 砂漠いまにすべてを埋づめつくすべし無為にしづかと誰か言ひたる

        (レポート)
 沙漠は今静かに変化している。かつての時代、沙漠で繰り広げられた諸々のこ中が置く中が置くったかのように砂が覆っている。(N・I)


      (まとめ)
 地球温暖化のせいか砂漠化のスピードが速まっていると聞く。そうして沙漠の民たちは今も水不足に苦しめられている。いつか地球全てが沙漠と化すのかもしれない。「誰か言ひたる」は作者がよく使う手法だが、同行者とかの実際の声ではなく、作者の心の中のつぶやきだろう。もちろん声を聞くのは文献による知識があってのことであろう。「無為にしづか」はそういう未来のいつかを思う空恐ろしさを反映したことばだろう。  (鹿取)

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馬場あき子の外国詠 242 中国⑪

2023-05-27 10:21:26 | 短歌の鑑賞
2023年度版馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
      【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁~
      参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
      レポーター: N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

242 しづしづと沙漠広がるまひるまの砂の音ちさく笑ふ声する
 
        (まとめ)
 次の243番歌「砂漠いまにすべてを埋づめつくすべし無為にしづかと誰か言ひたる」と合わせて読むと、不気味で恐ろしい歌だということが分かる。沙漠が広がるのは夜でなくまひる、しかも荒々しくではなく「しづしづと」であるところがかえって怖い。広がりつつ小さく笑う砂が、やがて人間界を席巻し尽くすのであろう。(鹿取)


       (レポート)
茫々々とした真昼間の沙漠は無音、砂の動くさまを笑う声と捉えたところがポエムだと想います。(N・I)


     (当日意見)
★初句で能が浮かんでくる。沙漠と合っている。(T・S)
★この日は風が無かったのではないか。(曽我)
★風というより空気感である。(N・I)
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