かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 133

2022-08-31 10:53:09 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


133 サラリーマン膨らみて浮け行く雲はいまなおだれのものにもあらず

     
         
      (当日意見)
★これが表題になっている歌ですね。126番歌(ひんやりとサラリーマンはひとを待つ雲
 見ては雲にすこしほほえみ)に続いて雲の歌です。(鹿取)
★「膨らみて浮け」が面白いですね。アドバルーンとか風船とか飛行船とか、そんな感じが
 ぱっとしたんですけど。そういうことをサラリーマンへのエールとしていうところが独特
 だなと思います。この言葉に渡辺松男という人の価値観とかが全て表れていると思いま
 す。それに対して下の句は要るのかなあ、まあ、上の句をここで補強しているのでしょ
 うが。(A・K)
★「樹上会議」の発想ですね。膨らみて浮けって、アンパンマンとか想像するけど、ムクム
 クと膨らんで軽くなって、空の雲に近づいてゆく、気持ち的には哀切だけど、図柄は漫画
 チックで楽しいですね、(鹿取)
★抜群の上の句ですね。下の句は雲の描写だけで成立したかもしれませんね。この下の句は
 感慨とか心象かもしれませんね。心をストレートに出しちゃったかなと言う気はします
 が。でもこんな風に励まされたら嬉しいですよね。(K・O)
★「だれのものにもあらず」って解釈や説明は要らないから下の句は不要。(A・K)
★「いまなおだれのものにもあらず」ってアイドルの歌の歌詞だったんじゃない?
     (T・S)
★(ネットを調べて)井森美幸さんの歌かしら?1980年代ですね。群馬県下仁田町出身
 だそうですから故郷の人。この歌集を出された頃は歌手として活躍されていたんでしょ
 うか。(K・O)


     (後日意見)
 井森美幸の歌詞には「いまなおだれのものにもあらず」はなかったが、1985年頃の売り出しのキャッチコピーは「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」だったそうだ。松男さんは高踏的なだけでなく、こんな風に時代の風俗も自然に入り込んでているところが楽しい。
 別の話だが、「かりん」(2011年10月号)の松男特集インタビューで、かりんに入会したのは1990年だが、第一歌集の『寒気氾濫』(1997年刊)の頃について、仕事終了は夜の10時頃で帰宅は11時頃だったと答えている。(『泡宇宙の蛙』は1999年刊だが)そういう背景を踏まえてこの一連を読むと、仕事に時間のほとんどを取られているサラリーマンの哀切な思いがよく分かる。『寒気氾濫』の次のような歌より詩的な飛躍を遂げているように思う。(鹿取)
        残業を終えるやいなや逃亡の火のごとく去るクルマの尾灯

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 132

2022-08-30 14:38:51 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


132 吊革に手の甲のある夕刻よサラリーマンはインドを思う

        ート)
 吊革をにぎる、ではなく「吊革に手の甲のある」と詠っている。そのため一首には自分の意志で通勤しているという意識感覚がなく、作者の身体は通勤移動をしているが心はインドを思っているというのだろう。上句に「手の甲のある」と物質的に表現しているところが絶妙だとおもう。(真帆)   


      (当日意見)
★インドは仏教生誕の地ですし、原初的な何かがありそうで憧れる人は多いですよね。私の
 友人でインドによく出かけている人は、帰国して何週間かは空間に霊のようなものが見え
 るってよく言っていました。疲れ果てて電車のつり革にすがっている夕方、ふっとインド
 を思うって分かります。(鹿取)
★手の甲をクローズアップしてうまいですね。たぶんそこには夕日が当たっていて、そうい
 う映像が見えます。インドって手の文化ですよね。左右で不浄の手とか決まっていますよ
 ね。つり革の手からいろんなことを想起させるので感心した一首です。(K・O)
★そういうことにさっき鹿取さんが言ったことが加わっていると思います。システム化され
 たサラリーマンの世界から原初的な世界を憧れる。手の「甲」といったところでクローズ
 アップされる映像が素晴らしいです。(A・K)
★もっとも、この歌が詠まれた時代から比べて、今インドはIT産業では世界のトップで
 すよね。まあ、それは上部だけで、大部分は近代化されないどろどろの世界が残っている
 のだと思いますが。そういう最先端と泥臭いものが同居しているのがインドで、それも魅
 力なのでしょうけど。(鹿取)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 131

2022-08-29 12:23:19 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


131 超新星(スーパーノヴァ)重力に負け爆発すサラリーマンは勝たねど負けず

         (レポート)
 超新星とは「星が急に太陽光度の一〇〇億倍もの明るさで輝きだし、その後一〜二年かかって暗くなっていく現象のこと。もっとも明るいときには銀河全体の明るさに匹敵し、新星の明るさの一〇〇万倍にもなるので、超新星と呼ばれる。これは、星がその進化の最後に起こす大爆発で、その際に放出されるエネルギーは1051(10の51乗)ergと推定されている(略)」(世界大百科事典/平凡社 一九八八年刊)
 サラリーマンは重力(上司の圧力)に勝てはしない、しかし決して負けはしないという。上句の壮大なスケールが結句の「負けず」を爆発的に強くしている。決意ともとれるだろう。(真帆) 


      (当日意見)
★重力って上からの圧力とか、そこから逃げられないとかそういう感じかなと。(真帆)
★いや、超新星が重力に負けて爆発するのは宇宙の事実なんでしょう。下の句はまた別。
 (鹿取)
★超新星ってものすごい重力なんでしょう。そのくらい強い力で押さえられてもサラリーマ
 ンは負けない。短歌ってデフォルメするじゃないですか、だから初句はそういうデフォル
 メ。宇宙科学的なスケールの大きなものを出してきて、営々としているサラリーマンと対
 比させた。(A・K)
★重力というのは別に上から押さえつける力では無いです。上の句と下の句はあくまで別個
 のものだと思います。上の句にはスケールの大きな詩的なものを据えておいて、全く別の
 下の句を照応させた。重力はもちろん下の句に全く作用していないのではないけど、「勝
 たねど負けず」のところは私はむしろ上下関係の圧力よりも横の関係、同僚との競争とか
 そういうことをうたっているように思いますが。(鹿取)
★天体には詳しくないのですが、超新星って完成するとブラックホールになっちゃうんです
 よね。そして、ブラックホールというのは誰も帰って来れない所ですよね。それで、重力
 も取り込まれてしまうということだと思います。そばを通ると吸い込まれて出てこれなく
 なっちゃう。それはこっちから見ているとあっという間に見えなくなるけど、当人や宇宙
 船にとっては永遠にその縁でじわじわじわじわ吸い込まれていく、生き地獄みたいだって
 聞いたことがあって。どうにもならないサラリーマンのセルでしかない自分を時空間を超
 絶した神様の視点で見ている。「勝たねど負けず」というはったり感が芝居がかった見栄
 をはっているような感じ、だけれどもユーモラスでもある。超新星にわざわざ(スーパー
 ノヴァ)ってルビを振っているところも面白い。ちょっと英会話スクールのノバを思った
 りしました。自分をやや戯画化しているところと宇宙の大きさとも響き合っている。
   b(K・O)
★私も超新星とかブラックホールとか難しくて分かりませんけど、ブラックホールは光も取
 り込まれて脱出できないというんだから(近頃は、光は回復できるという説もあるようだ
 けれど)、何ものもそばには近寄れない(そばってどのくらいのスケールか分かりません
 けど)。人ってここでは宇宙船の乗員ですよね、人間単独で宇宙に行けませんから。で
 も、人間は月より遠いところにはまだ行っていない訳で、超新星に近づくことや、端から
 見ることなど到底出来ない。ブラックホールの縁でじわじわ…というのはだから理論上の
 話ですよね。今の話はそういう見えない宇宙的なスケールのものを漫画チックに見せてく
 れて面白かったです。松男さんには「菊の香濃き平行宇宙へわれすこしスリップをして死
 にそこないき」という歌もあるんだけど、川の向こうへも飛び移れない人間が、理論上の
 平行宇宙に飛び移れる訳はないんだけど、もちろん詩の上では何でも出来る。そしてそう
 いう映像を思い浮かべるとコミカルで楽しい。(鹿取)
★やっと分かった。超新星「は」って補えばいいんだ。そしたら上の句と下の句が別個のも
 のでくっつけているだけだってよく分かる。でも「勝たねど負けず」ってうまいよね。
    (A・K)
★見栄を張っているってK・Oさんがいわれたけど、そこが哀切ですね。(鹿取)


     (後日意見)
 「重力」をうたった渡辺松男の歌二首をあげる。どちらも第一歌集『寒気氾濫』からで、一首目は冒頭の一連から、二首目は表題になった「寒気氾濫」の一連から。
重力をあざ笑いつつ大股でツァラトゥストラは深山に消えた
重力の自滅をねがう日もありて山塊はわが濁りのかたち

 「重力」の定義は「自然界の4つの基本的な力の中で、最も弱い力。質量エネルギーを持っているすべての物質間に働き、お互いを引きつける」とある。(『ホーキング、宇宙と人間を語る』(2011年刊)による)「物質間に働き、お互いを引きつける」力なのだから、比喩的にも上司からの圧力とか、下から引きずり下ろそうとする力とかそういうものではない。
 ちなみに、『ホーキング、宇宙のすべてを語る』(2005年刊)には「宇宙の巨大構造を形作るのは「重力」であり、重力についての量子力学を探すことが世界中で取り組まれているし、この本のテーマでもある」という内容のことが書かれている。
そして松男さんは『泡宇宙の蛙』出版後のトークで、「量子論的宇宙論も好き」というような発言をされているので(私の手書きメモなので正確ではないかもしれない)、そういうことに深い関心があったのは確かだ。「重力」というのは渡辺松男の中で宇宙論と哲学を結びつける大事なテーマであるようだ。(鹿取)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 130

2022-08-28 11:54:40 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


130 わずかばかりのさみしさは地へ花片散りサラリーマンは日々減塩す

     (当日意見)
★地へ花弁が散るのと、日々減塩するのと、何を言おうとしているのかな。塩が減るって自
 分の存在が減っていくことなのかな。花が散るようにサラリーマンは自分の存在が消され
 ていくというか薄くなっていく。歌意の取り方ですが、どうとったら渡辺さんの言いたい
 ことになるのかなと。(A・K)     
★普通の意味合いで、健康を保つために減塩しているんじゃないですか。「地へ花弁散り」
 は実景(まあ実景で無くても実景という設定)、そして「サラリーマンは日々減塩す」に
 繋がる。日々減塩にいそしむのは「わずかばかりのさみしさ」を伴う。桜が咲き終わって
 地に散ってゆくのもさみしいこと。「わずかばかりのさみしさは」と二句目の途中で叙述
 が一旦止まって、でも気分的には下に繋がっていくのかな。こういう叙述を一旦停止する
 言い方を松男さんはたいへんよくされます。しかもこの二句目は「さみしさは・地へ」と
 句割れになっていて、三句目「花片散り」に繋がる屈折したリズムを作っています。
  昨日、たまたま坂井修一さんの『鑑賞・現代短歌七 塚本邦雄』(本阿弥書店)を読ん
 でいたのですが、ちょっと似た造りなので挙げてみます。『日本人靈歌』のなかの「突風
 に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼」についてです。(鹿取)
   この歌は、二句切れである。二句目は、連用形で叙述未了のまま終わっているが、こ
  こで読点(とうてん)がついている。このように、活用の上では切れを作らず、読点に
  よって、あるいは意味内容をもって、切れてゆくことで、上句と下句の照応に異様なも
  のや鋭いものを持たせようとしている。(後略)
★さみしさを具象化したものが散る花弁なんでしょうね。日々減塩するのは現実的なことだ
 と思いますが、A・Kさんがおっしゃった身が削られていくような思いというのも、作者
 が意識的か無意識かわかりませんが投影されているのかもしれません。A・Kさんのはそ
 ういう意味で深い読みだと思いました。現実と心象が入り乱れているというか、並列で一
 緒に存在している。(K・O)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 129

2022-08-27 10:27:56 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


129 おどおどとサラリーマンは昇給しおどおどと花の陽を浴びに出る

        (レポート)
 「おどおどと」のリフレインが巧みだ。昇給したのをおどおどと受取り、しかしやはり嬉しくて花の陽を浴びに屋外へ出る。(真帆)


         (当日意見)
★真帆さん、この花は何だと思いますか?(鹿取)  
★考えませんでした。(真帆)
★次の歌を見ると「地へ花片散り」だから桜だと思いますが、この歌一首だったら職場の歌
 壇か近所の公園の花とでもとれますね。(鹿取)
★一般的にいって4月から給与体系が変わるでしょう。だから季節は春だから桜(A・K)
★やはり地面に咲いている花ではなくて桜だと思います。(T・S)
★私は桜とは思いませんでした。桜というと悲壮な感じがするし、悲しみが入る。だから戸
 外に出て花壇だろうと。昇級したのをもらっていいんだろうかとか、でももらってみると
 嬉しいし。「おどおど」に感情が出ている。(真帆)
★こういう場面におどおどを使うのがすごい。(鹿取)
★おどおどが面白いですね。やはり花は桜だと思いますが、古典を踏まえているのかな。昇
 給だと晴れやかな場面だから桜。恥じらいのあるうれしさがにじみ出ているような。音も
 よく響き合っているし好きな歌です。(K・O)
★最初のおどおどは、使用者が私を昇級させてくれたのですね。あとのおどおどは自分の気
 分だから主体的。このふたつのおどおどのニュアンスの違うところが面白い。(A・K)
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする