かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 20 アフリカ①

2023-06-30 11:42:46 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
       参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子  司会とまとめ:鹿取 未放
  

20 何かかう深い哲学のぞくごと見てあればスカラベはあわてはじめぬ

     (まとめ)
 古代エジプトではスカラベは聖なる虫としてあがめられていた。そんなスカラベを見つけて「何かかう深い哲学のぞくごと」見てしまったのである。「何かかう」がうまいニュアンスをつけている。この語がなかったらある種の臭みが出てしまったかもしれない。見ていると視線を感じたのだろう、「スカラベはあわてはじめぬ」という。糞をころがしていた最中だったのかもしれない。この後の足早に逃げ出すさまが想像できる。
 同行した「かりん」の仲間のスカラベの歌を記す。(鹿取)

みじかくもながくも見える時の影曳いてスカラベ過ぎゆかんとす
                  清見 糺
何もないサハラに生まれ存在のたいくつなどは知らぬスカラベ
自由への道スカラベの背に問えばすたこらさっさと遁げてゆきたり

 
        (レポート)
 「何かかう」が印象的である。スカラベは一瞬のとまどいを見せたのであろう。結句でそんなこと考えたこともないよと言っているかのように砂を蹴ってくっきりとした影を落としつつ走り去ってゆく小さな生き物の姿の景を目に残してくれる。「あわてはじめぬ」とひらがなを用いているが虫のとまどいを見せられているようである。 (崎尾)
 *スカラベ:外国産のタマオシコガネムシなどのふんを集めてまるいだんごをつく
       り、てきとうなところへころがしてゆく。ふんの中にはたまごをうみ
       幼虫はふんをたべてそだつ。   (小学館 ポケット版原色図鑑)
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馬場あき子の外国詠 18,19 アフリカ①

2023-06-29 13:44:21 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
       |参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子  司会とまとめ:鹿取 未放
  

18 仕合せの死不仕合せの死さまざまの死のこともサハラは見しとも言はず

       (まとめ)
ここの死は定点ではなくその人の生涯を総合俯瞰したものだろう。「何も生まず何も与へず生かしめぬ」サハラは、見たとは言わないながら、古来よりのさまざまな人生とさまざまな死を見続けてきたのだ。そのなかにはランボーも含まれているのだろう。      (鹿取)
 

19 沈黙す愚かにあくせく働ける日本人われ沙漠を歩む

      (まとめ)
 初句と四句に切れがある。だから「愚かにあくせく働ける日本人われ」が砂漠を歩みながら、沈黙しているのである。なぜ沈黙するかというと、日頃あくせく働く日本人の一人である「われ」が働くことの意味を問い直し、「あくせく」働くことは愚かであるなあと思うからである。沙漠を歩むことはあまり意味の無い事ながらまあ珍しさの故であるが、日頃意味あることと信じてあくせくと働いてきた日本人のわれの愚かさを沙漠は照らし出すのである。そして、生きる意味の本質とは何かを考えさせるのであろう。       (鹿取)
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馬場あき子の外国詠 16,17 アフリカ①

2023-06-28 11:13:32 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子  司会とまとめ:鹿取 未放
  

16 ベルベル族の少年は砂漠に手を広げ友よと言ひてなよるならずや

      (まとめ)
 「なよる」は広辞苑に「なれてよる。親しくなって近寄る」と出ている。ここでは親しそうに寄ってくる、くらいの意味だろう。「や」は詠嘆か。「砂漠に手を広げ友よと言ひて」寄ってくるのは親切料を貰うためだということが次の歌「料金のありてそれだけの友情を買ふことも砂を行き愛(かな)しうす」で分かる。それが彼等にとって生きていく術なのだが、少年は何歳くらいなのだろう、そのあどけなさを思うとあわれである。(鹿取)


         (レポート)(崎尾)
  *ベルベル人:北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコ地方の原住民。
         ハム語系。ネグロ・セムの血も混じる。


17 料金のありてそれだけの友情を買ふことも砂を行き愛(かな)しうす

        (まとめ)
 16(ベルベル族の少年は砂漠に手を広げ友よと言ひてなよるならずや)の歌でも述べたが「友よ」と言って寄ってきて、難儀な沙漠をゆく人の手助けをするのはお金を貰う為である。同行した人の旅日記によると、添乗員が後でそっと少年達に「親切料」を払っていたそうだ。この歌、「哀し」ではなく「愛し」であるところが深い。(鹿取)
 


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馬場あき子の外国詠 15 アフリカ①

2023-06-27 10:29:34 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
       参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子  司会とまとめ:鹿取 未放
  

15 何も生まず何も与へず生かしめぬ砂のサハラの明けゆく偉大

     (まとめ)
 これは沙漠の夜明けに感動し讃えた歌だろう。「何も」の語は「生かしめぬ」にも掛かっている。3句まで、思わず口をついて出たようなことばがほとばしっている。その死のような砂の堆積の上から一点の陽光が射し、やがて赤い砂がバラ色に染まりながら夜が明けてゆく。死のような無のような沙漠が生み出す大パノラマ、その不可思議に地球の神秘、命の不思議を感じたのだろう。(鹿取)


         (追記)(2018年12月)
 『馬場あき子新百歌』(2018年5月出版)に鹿取がこの歌を鑑賞したので、重なる部分もありますが、全文引用します。

 一九九六年九月のモロッコの旅に取材した「阿弗利加」一連は「サハラ」、「金いろのばつた」、「蛇つかひ」の三部からなる五十三首の大作で、掲出歌はサハラの五首目にあたる。
 打ち消しを連ねた上句の後に大肯定を置くのは〈植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり〉(『桜花伝承』)などでもおなじみの手法だ。掲出歌の三句までは思わず口をついて出たようにことばが迸しっていて力がある。それら否定の語は「不毛の」などと既成の言葉で一括りにしたのでは到底表現できない実感にあふれている。また、サハラ砂漠ではなく、砂のサハラと言ったところも新鮮だ。
 旅の同行者によると、日の出を見るために午前四時過ぎにホテルを出発したという。死のように暗く冷たく無限に広がる砂の堆積の頂きに一点の光が射し、やがて砂がバラ色に染まりながら夜が明けてゆく。その光景に馬場は圧倒された。天地もろともに闇から光りへと移行する場に立っている感動は、何も生まないサハラを「偉大」と讃える以外に言葉がなかったのだろう。
 その荘厳な夜明けに身を置いていると、おのずと宇宙の神秘や命の不思議を感じただろう。人間や文明を拒絶するかにみえるサハラが逆説的に命や文明についての思念を誘うのである。砂は命を持たず、言葉を持たない。人間だけが複雑な思考を表現できる言葉を持ち、不特定多数の他者に呼びかけることのできる詩を紡ぐ。 
沙漠行きしランボーの心知りがたし砂みれば愛はとうに滅べり
 サハラの夜明けに言葉を失いつつ馬場はしきりにランボーのことを思っている。なぜランボーはその詩を棄て、友人を棄て、都会を棄てて沙漠に行ってしまったのか。「知りがたし」というが、言葉と格闘してきた馬場には言葉を持つものの苦しみはもちろん充分に分かっているのである。ひるがえって言葉を持たないものの偉大さにも深く撃たれたのだろう。
 そして、言葉を持つ以前の人間についても考えたかもしれない。人間にも文字はおろか言葉を持たない長い長い時代があった。そんな大昔にも、サハラには陽が昇り陽が沈んだ。大昔の人間たちもサハラの夜明けに感動したにちがいない。言葉を持たない時代の人間はサハラの夜明けに立ってどんな感動の声を上げただろうか。     
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馬場あき子の外国詠 14 アフリカ①

2023-06-26 11:40:14 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
      参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子  司会とまとめ:鹿取 未放
  

14 日本人まこと小さし扶けられ砂漠を歩むその足短かし

      (まとめ)
 日本人が小さいというのは、ここでは優劣の感覚ではなく、西洋人などに比べての単純な比較である。日本人が小さいという歌は他の旅行詠でも馬場はよく詠っている。ただ、結句の「その足短し」にはやや自虐的なニュアンスがあるかもしれないが、別に卑屈になっているわけではない。旅の同行者によると沙漠を登るのに駱駝に乗っていく組と徒歩組に別れたそうだが、馬場は歩いたのだろうか。あるいは歩いている人を見て詠んだのかもしれない。ともかく沙漠を歩むのは慣れていないとたいへん難しい。それで現地の人に扶けられながら進むのである。(鹿取)
 【参考】
  ジパングは感傷深き小さき人マドリッドにアカシアの花浴びてをり(スペイン)
           『青い夜のことば』
  羊のやうに群れて歩める小さき影カラードにして金持われら(チェコ)
                       『世紀』 
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