かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 240(中国)

2019-05-31 17:26:46 | 短歌の鑑賞
  ◆長らくインターネットが故障していてご迷惑をおかけしました。やっと再開します。

  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)185頁~
      参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
     司会とまとめ:鹿取 未放


240 低く飛ぶ飛天は靴を穿きてをりまだ仙ならぬ男ぞあはれ 

     (まとめ)
 莫高窟には靴を穿いた飛天も多く描かれているようだ。また飛天は女性とは限らない。まだ仙人になるには若く生まの肉体と欲望をもっているであろう、俗界を離れきっていない男の飛天を特別な思い入れをもって眺めている。修行の足りない人間の男だから低くしか飛ぶことができないのであろう。同情よりももっとその男に寄り添っているこころの在りようが面白い。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 239(中国)

2019-05-24 20:31:18 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)185頁~
      参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
     司会とまとめ:鹿取 未放


239 緑青の兜率天宮に近づけば樹あり人居りて唐初なりける

     (当日意見)
★樹下美人図を連想する。(T・H)


     (まとめ)
 これも莫高窟の壁画であろうか。写真等で見るかぎり、壁画には緑と青が印象的に使われている。兜率天宮というのは弥勒菩薩がいるところと辞書に出ている。人間を救済してくれる菩薩の住まい(が描かれた壁画)に近づいていくと樹や人が描かれていて、いかにも唐の初めといった佇まいである。唐初という時代に立ち返ったような懐かしさがにじんでいる。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 238(中国)

2019-05-23 18:03:09 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)185頁~
      参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
     司会とまとめ:鹿取 未放


238 暗窟に飛天閉ぢられ極彩の幻覚の闇を飛びし二千年

      (まとめ)
 莫高窟などを見学したようだが、それらの窟には極彩の飛天が描かれている。それらの壁画は長い年月をかけて営々と描きつがれてきた。描かれた飛天は暗窟のなかに二千年ものあいだ閉じ込められていた。暗窟を見学する時は、ほんの少しの間だけガイドが懐中電灯で壁画を照らしてくれるそうだ。その一瞬に作者は極彩の飛天像を見た。そしてまた後は暗闇。作者は二千年間暗闇を飛び交っていた飛天たちの姿を幻視したのであろう。なお、莫高窟の壁画は古いもので366年の記録があり、14世紀ごろまでかかって制作されたとある。(鹿取)



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馬場あき子の外国詠 236(中国)

2019-05-22 20:23:56 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)185頁~
      参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
     司会とまとめ:鹿取 未放


237 言葉失う奇観の中の火焔山つひに低頭の思ひわきくる
  (「失う」の「う」は、歌集のママ)

      (当日意見)
★236番歌(火焔山みれば奇怪なり真つ赤なり畏れつつ西遊記の山裾に入る)「畏れ」から23
 7番歌「低頭」へと深まりが見られる。(H・A)                     

        
     (まとめ)
 236番歌(火焔山みれば奇怪なり真つ赤なり畏れつつ西遊記の山裾に入る)に見られるようにあまりの山容の凄まじさにただただ見とれ、茫然自失となって言葉も出ない。そうして圧倒されて眺めているうちに、最後には頭を下げるしかない敬虔な気持ちになったというのである。作者は旧かな表記なので「失う」は「失ふ」とあるべきだが、歌集は「失う」、誤植であろう。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 236(中国)

2019-05-21 18:53:45 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌31(2010年8月実施)
     【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)185頁~
      参加者:H・A、T・S、藤本満須子、T・H、鹿取未放
     司会とまとめ:鹿取 未放


236 火焔山みれば奇怪なり真つ赤なり畏れつつ西遊記の山裾に入る

      (まとめ)
 火焔山に圧倒されている作者の姿が見えるようだ。西遊記で有名な火焔山の山容のあまりのすさまじさに人間として平伏しているような感じがする。四輪駆動の頑丈な車で旅しているのであろうが、「畏れつつ」「山裾に入る」と人間や文明が小さくなって、ゴメンナサイ、トオラセテネと謝りつつ入っていく感じがする。それだけ原初のままの自然は人間などが侵せない力強さをもっているのであろう。ちなみに火焔山は標高500メートル、中腹にベゼクリフ千仏洞がある。(鹿取)
 

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