かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞  71 

2022-04-30 09:52:11 | 短歌の鑑賞

  渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【邑】P50~
     参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


71 もぎたてのなまあたたかきトマト吸いみんな子どもは火山の噴火

      (レポート)
 「もぎたてのなまあたたかい」というのだから、太陽の照りつける畑で、子たちが手づからトマトをもいで食べているのだろう。子どもという生き物は火山の噴火のように元気を発するのだなあ、という作者の驚きがあるのだろうか。(真帆)


        (当日発言)
★「なまあたたかき」がものすごくリアル。たとえば下校途中、自分の家のとか友人の家のとか畑
 の傍を通っていて、まっ赤なトマトがなっていたらみんなでもいで食べるんですよ、私は田舎の
 子だからこういうのよく分かります。だからトマトを吸っているのは「子ども」、そこにはきっ
 と自分の子ども時代の経験も入っているんでしょうね。そして、「子ども」っていうものは「火
 山の噴火」みたいにダイナミックだって感嘆している。(鹿取)
★「なまあたたかき」というところにすごく体感がある。ずーとひらがなで続けて、考え抜かれた
 歌だと思いました。「吸い」で惑わされるのですが、自分の過去の体験と目の前の子どもとのク
 ロスオーバー感を出すための重層的な表現かなあと思いました。「火山の噴火」はかわいらしい
 気もするし怖ろしい気もする。子どもの口が赤くて噴火口みたいなんですよね。そこに野生も感
 じさせます。また「火」を二つ据えたところも、「子ども」だけじゃなく「みんな」を付けたと
 ころも計算された「技」を感じます。(K・O)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞  70 

2022-04-29 15:49:42 | 短歌の鑑賞

  渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【邑】P50~
     参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


70 風ひかる関東地図にみずいろの巨木坂東太郎がそよぐ

       (レポート)
 おおらかな心躍りをもって自然を詠んだ連「邑」八首。その冒頭の一首であるこの歌は、これから始まる物語を鳥瞰し爽やかだ。坂東太郎は利根川の異称だが、関東地図をみているとこの利根川が水色の巨大な樹木に見えたという。初句「風光る」が結句まで響きわたり、巨木の葉が風にそよぐさまを詠いつつ、木の葉の一枚一枚のように風にきらめいている川瀬を悠々とした抒情で楽しませてくれる。巨き木ではなく「巨木」と漢語を使ったことで一首は引き締められ、坂東太郎の堂々たる姿が立上がった。
    (真帆)


       (当日発言)
★地図という二次元のものを見ていて、坂東太郎がいきよいよく飛び出してくる。「みずいろ」が
 ひらがなに開かれているのも行き届いた配慮だ。(K・O)
★巨木に例えられた坂東太郎はまさに生命感あふれる若いおのこのようですね。とても壮快な一
 首。(鹿取)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞  69

2022-04-28 14:58:27 | 短歌の鑑賞


  研究2の9(2018年2月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白鳥】P44~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放
     

69 白鳥はふっくらと陽にふくらみぬ ありがとういつも見えないあなた

      (レポート)
 「白鳥はふっくらと陽にふくらみぬ」とはあたたかそうでみている者の至福感がつたわる。これは今はもういないたれかへの感謝の気持とも考えられる。あるいは、今在ることの命がしみじみ嬉しく、誰とはしらず、おのづから感謝している心として読みとれる。いづれにしても上句の端的な表現と下句の心の表白が感覚的によく照応する。(慧子)


       (当日意見)
★そうですね、レポートのとおりですが、感謝の対象は「いつも見えないあなた」だからもう少し
 汎神的な何か、神と言ったら違うんだろうけど、自分や白鳥やもろもろを包み込んでくれるある
 大きなものなんでしょうね。この歌は馬場先生が大会の時採り上げてコメントされたことがあ 
 ります。また、本人が「かりん」の渡辺松男特集号で『泡宇宙の蛙』の自選五首にこの歌を選ん
 でいて、ご自分の思いを書いているので読んでみます。(鹿取)
  ※冬の陽のあたたかいときなどに感じる、何かに包まれているという感覚と、白鳥を存在させ
   ているものは同時に私を存在させているものだという感覚は、同じようなものなのです。そ
   の感覚を「あなた」と言っています。「ありがとう」という言葉ですが、そう思える自分は
   自分のこころの全体の三分の一でした。あとの三分の一はそんなことないよ、嘘だ、欺瞞
   だ、と。あと三分の一は恥ずかしいと思っていました。今これを書いている二〇一〇年八月
   二十九日時点では、こういう歌を詠んだ自分を肯定しています。「ありがとう」と言ってお
   いて良かったと思います。(「かりん」2010年)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞  68

2022-04-27 14:39:01 | 短歌の鑑賞


  研究2の9(2018年2月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白鳥】P44~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放
     

68 ふゆは冬で白鳥の湖かがやくをさみしさは立つ杭のごときか

    (レポート)
 冬陽のなかに白鳥のいる湖はかがやいているが「を」の逆接によってかがやきのうちに「さみしさ」を引き出す。そのさみしさを立つ杭のごときかと少し不安定感をのこす。(慧子)


     (当日意見)
★夏は白鳥は不在の湖なんだけど、いなくても輝いていた。でも白鳥を浮かべて輝いている冬の湖
 を見ているとさみしさを感じる。そのさみしさは「立つ杭」のようなものだろうかと言うのです
 が「ごとき」という断定ではなく「ごときか」なんですね。この疑問は自分に聞いている感じで
 すね。湖の岸辺などによく杭が打ち込んでありますが、白鳥の湖は遠景でなにか幻のようにも 
 感じられるんだけど、杭は妙にリアルで無骨な手触り感がありますね。一方では「立つ杭」はみ
 をつくしではないけど、古歌のようなイメージもするんだけど、この歌は古歌のイメージではな
 いのでしょうし。(鹿取)
★夏も冬も季節毎に湖は違う輝きを見せるけれど、杭は変わらないで年中ある。さびしさはそうい
 う動かないものではないかと。(真帆)
★次の歌(白鳥はふっくらと陽にふくらみぬ ありがとういつも見えないあなた)との関連で読む
 と、もう少し深いところで読まないといけない歌かなと思うので、読み切れなくてすみません。
  (鹿取)
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の鑑賞  66,67 

2022-04-26 11:49:01 | 短歌の鑑賞

  研究2の9(2018年2月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白鳥】P44~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子    司会と記録:鹿取未放
     

66 白鳥から視線そらせば土色の田雲雀(たひばり)がいる枯草の上

    (レポート)
大きなものと小さなもの、白と土色と枯草の色。作者の見るところの色に命が息づく。(慧子)


     (当日意見)
★雲雀だけを詠むのじゃなくて、白鳥から目を逸らせて、スターから脇役を見た。(T・S)
★枯れ草の上に土色の鳥がいるんだからほとんど目立たないですね。そういう目立たない鳥に対し
 ても、作者は親しみの目を向けているのですね。(鹿取)
★雲雀よりちょっと太った感じの鳥ですね。(真帆)

  
67 白鳥は鉛中毒にて死せり麻の袋に入れられている

       (レポート)
 白鳥が不如意なことで死ぬ。死因は鉛中毒だと判じられ、その死に時代や社会の負の面のあることが示され、そののち、麻の袋に入れられてむなしいものになる。この麻の袋も地方や郷土性が感じられる。ダンボール箱ではない。(慧子)


      (当日意見)
★人間の流した鉛で死ぬってことよね。松男さんはなんか野鳥関係の仕事をしていらしたこともあ
 るようですね。これは仕事の場面だと思います。麻の袋は地方色というのではなく、鉛中毒だか
 ら特別に麻の袋にしたのでもなく、昔はどこにでもあるもので一般的な扱いだと思います。うち
 の田舎では「どんごろす」と呼んでいました。(鹿取)
★今の時代だったらビニール袋だったかもしれない、そういう無造作な扱いということ。(T・S)


      (後日意見)
 『寒気氾濫』に次のような歌がある。(鹿取)
  冷凍庫から剥製に出す大鷹の死にて久しき血はしたたらず
  臓も腑も捨てられしなり白鳥の剥製抱けば風花のなか

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