かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の44

2020-06-30 18:00:07 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 5(13年5月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
          まとめ  鹿取 未放


44 戦前ははじまりているという父の夕映えは立ちしままなる駱駝

       (レポート)
 輪廻という見方がある。しかし、そう考えないまでも、日本の戦後がいつ終わったのかわからない。わからないままに、世界は戦争をしており、日本もいつ巻き込まれるかわからない。戦後は戦前のはじまりなのである。戦争経験者である父はそれを指摘しているのだろう。しかし、年老いた父の夕映えに映る姿は、「立ちしままなる駱駝」。駱駝は、砂漠の運搬・乗用として、歩く姿のなかにこそ、そのいのちがある。「立ちしまま」は途方にくれる不本意な姿なのだろう。(鈴木)

★「夕映えは」の「は」がわかりにくいが、夕映えに父が立っている姿というのか、
 比喩的に年老いたお父さんを夕映えに例えているのか。粗食に耐えてよく働く駱
 駝は特に砂漠の多い国では重宝されているが、働きづめに働いて立ちっぱなしで
 ある駱駝のような父。そのお父さんが戦前は始まっていると言っている。日本の
 庶民はいつだって戦争に巻き込まれて塗炭の苦しみを味わってきた。そういう戦
 争が迫っている危機感を、働きづめに働いてきたお父さんは実感として持ってい
 るのかもしれない。(鹿取)


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渡辺松男の一首鑑賞 1の43

2020-06-29 19:57:32 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 5(13年5月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
          まとめ  鹿取 未放


43 葱浄土広大にして先を行く幻へ骨をもちて追いかく

★鈴木さんの評からするとこの幻というのは?幻があこがれですか?(鹿取)
★生の力ということで。幻のような生の力を追いかけてゆく。それを具体的にいう
 と作者の意図から逸れる気がする。葱浄土といっているから誰か亡くなった方へ
 の思いかも知れないが。(鈴木)
★葱の歌も渡辺さんにたくさんあって、群馬だから身近なんですよね。(鹿取)
★葱浄土というのはすごい言葉だと思う。葱のことよく知っていないと歌えない。
 私も葱を作ったことがあるが、葱は変化自在で。(鈴木)

      (後日意見)
  深谷葱の数万本の首に吹き風は平野をかがやかしたり
 上の歌が同じ『寒気氾濫』にあるが、葱浄土とはこういう見渡す限り葱が広がっている情景なのだろう。先を行く幻は、先祖か憧れの故人か分からないが、広大な葱畑の中を行く幻を自分が追っていく、「骨を持ちて」は魚や獣の骨を持つのでも誰か亡くなった人間の骨を持つのでも無く、我が身の事、つまり現し身の謂ではなかろうか。(鹿取)


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渡辺松男の一首鑑賞 1の42

2020-06-28 18:11:26 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 5(13年5月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
          まとめ  鹿取 未放


42 背を丸め茂吉いずこを行くならん乳房雲(にゅうぼううん)はくろぐろとくる

★戦後大石田に引きこもった晩年の茂吉が、体調も悪くて精神もうつうつとして背
 を丸めていくほかになかった姿が良く出ている。(慧子)
★渡辺さんはお母様を早く亡くされているけど、乳房雲はお母さん助けてっていう
 イメージかと思っていたら、違うんですね。乳房雲をネットで調べたら面白いこ
 とに世界共通の呼び名が「マンマ」、おっぱいが垂れ下がった形をしているから
 です。それでアメリカなどではこのマンマが出たら竜巻の前兆だから即、地下の
 シェルターへ逃げ込めっていうんだそうです。そういう恐ろしい雲なんですね。
 鈴木さんが書かれているように戦争責任とか問われないように戦後の茂吉は自ら
 蟄居していたんだけど、黒き葡萄に降り注ぐ雨同様、乳房雲も茂吉を脅迫するも
 のとして渡辺さんは描いているんでしょうね。「いずこへ」ではなく「いずこを」
 であるところに含蓄がある。(鹿取)
★乳房雲って渡辺さんのどこから出てくる言葉なんでしょうね。すごいなあ。これ
 が雷雲だったら全然歌にならない。(鈴木)
★乳房雲だから茂吉の人間的な弱さが生きる。渡辺さん、雲が好きだからこういう
 名前もみんな自然に頭に入っているんでしょうね。何かでこの名前見つけたから
 歌に使おうじゃなくて。木や花や鳥の名前もそうだけど。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞 1の41

2020-06-27 18:36:31 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 5(13年5月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
まとめ  鹿取 未放


41 橋として身をなげだしているものへ秋分の日の雲の影過ぐ

★「かりん」の特集号で『寒気氾濫』の自選5首にこの歌は入っていた。渡辺さ
 んがコメントもしていましたが、はっきり覚えていません。私自身はこれはニー
 チェだと思った。「ツァラツストラ」で人間は超人になる途上にあって橋のよう
 な存在だというようなことを言っている《後に記述》。そういう精神的な高みに
 登る通過点のような存在。でも、この歌は何重にも読める。弧の空間を支える緊
 張感とか精神の危うい状態とか。また、「橋として身をなげだしているもの」を
 性愛の場面の女体と捉えると下の句もとてもリアルに読めて、そういう解釈だ
 ってありと思う、解釈は読者の自由だから。(鹿取)
★世界との架け橋、関わりということで考えてもいいのかなあ。何かと何かを結
  びつける。(鈴木)
★渡辺さんはよく橋を歌っていますよね。地獄への力と天国への力とが釣り合う
  橋を渡るとか。(鹿取)

    
 ※地獄へのちから天国へのちから釣りあう橋を牛とあゆめり『寒気氾濫』

 【『こうツァラツストラは語った』】第一部 ツァラツストラの序言 4より
 「人間は、動物と超人との間に張りわたされた綱である。深淵の上にわたされた綱である。渡っていくのも危険、途中にあるのも危険、身ぶるいして立ち どまるのも危険。
 人間が偉大なのは、人間が橋であって、目的でない点にある。人間が愛されう るのは、人間が一つの過渡であり、没落である点にある。(後略)
  高橋健二・秋山英夫訳、引用文中の傍点は、翻訳者


 【自歌自注】「かりん」二〇一〇年十一月号
 「橋として身をなげだしているもの」には『ツァラツストラ』が頭にありました。「秋分の日」という言葉で時間的均衡を考えました。「秋分の日」がふさわしいと思いました。佐太郎の歌「秋分の日の電車にて床(ゆか)にさす光もともに運ばれて行く」も頭にありました。「雲の影過ぐ」で具体性・具象性を持たせました。

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渡辺松男の一首鑑賞 1の40

2020-06-26 16:05:38 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 5(13年5月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
          参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
        まとめ  鹿取 未放

40 秋の雲うっすらと浮き〈沈黙〉の縁(へり)に牡牛(おうし)は立ちつづけたり

★これはニーチェですね。生あるものは自らの力を発揮しようとする、そういう世
 界観をニーチェは持っている。月や太陽は引力とか遠心力によって均衡している。
 それに仏教的な考えを抱き合わせてイメージしていくと分かりやすい。(鈴木)
★すごく魅力的な歌なんだけど、私は解釈しづらかった。この〈沈黙〉というのは
 どこにあるんですか。(鹿取)
★作者が眼前の風景を目にしたときに何の音もしなかった。〈沈黙〉が支配してい
 る。そこにたまたま牛がいて作者が見たときにはたたずんでいるだけ。そういう
 場面に接したとき、風景の力というものを感じたのではないか。(鈴木)
★縁、っていうのは面白いですね。この間鑑賞したところではお父さんの背中が沈
 黙だったんだけど。ここでは風景そのものが沈黙していて、その縁に牛がいる。〈沈黙〉
 の縁(へり)というとらえ方がとても美しくて哲学的。私は秋の雲がうっすらと浮
 く風景の中で〈われ〉が沈黙していて、はるか向こうに立っている牡牛がずっと
 〈われ〉の視野に在り続けているって解釈していたんだけど。(鹿取)
★沈黙に力があるっていうのがすごい解釈だなあ。沈黙の支配力というのは確かに
 感じることがある。(崎尾)


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