かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 152

2023-11-30 10:17:39 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究18 2014年8月 
    【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
     参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            

152 首をもぎとらるるごとき突風にもうれつに椎の老樹が匂う

       (レポート)
 「首をもぎとらるる」とは身体的で新鮮である。一方椎の花時は独特な匂いを放ち、それにからめたられてしまいそうな感じさえする。掲出歌は椎と突風の二物の衝撃を「もうれつに」「匂う」として老樹の気骨とも言うべきものでつなぎ納得させられる。(慧子)


     (紙上意見)
 歌全般にわたり表現の強さが際立っており、これが作者の持ち味である。150番の「凭れかかられてみるみる石化」やこの歌の「首をもぎとらるるごとき突風」「もうれつ」のような激しい言葉に、塚本邦雄の表現の痕跡をみることができるだろう。(鈴木)


     (当日発言)
★塚本邦雄の『日本人靈歌』の中の有名な〈突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれた
 る兵士の眼〉 をまず思いました。150番歌の〈沈黙のおんなに凭りかかられてみる
 みる石化してゆく樹幹〉も含めて塚本への返歌かオマージュなのかなあと。「老樹が
 匂う」って塚本のことなのかなと、ちょっと計算してみたら77歳ぐらいだから。
 「もうれつに」の所からは抵抗感や反発への意志を感じました。反戦歌とも体制に対
 する反発とか組み込まれていくものへの反発とかを感じます。(真帆)
★塚本へのオマージュという見方はすばらしいと思います。本歌取りするってことは、
 そもそもオマージュなんですものね。77歳の塚本は確かに老樹で、それでいて強烈
 な言葉の匂いを放っていた、私も塚本に吸い寄せられた一人だからよく分かります。
 ただ、そういうことも含みながら、 この一連は次々木の歌が出てくるので、表の意味
 としては書いてある通りに椎の老樹の気概をうたったと読んでおくのもいいかもしれ
 ませんね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 151

2023-11-29 13:33:17 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究18 2014年8月 
    【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
     参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            


151 桐の花咲きしずもれるしたに来てどうすればわれは宙に浮くのか

        (レポート)
 「桐の花」の下。それは咲きしずもれる状態。そこに来た作者は「宙に浮く」てだてを思っている。こう思うのは「宙」という措辞によるのだろう。(慧子)


      (紙上意見)      
 本歌集は、1997年に上梓されているから、オウム真理教事件(1980年代末~1990年中期)の頃の時代も映しているだろう。主犯者麻原の空中浮揚が話題になっていたが、この歌も、それが背景にあっての歌だろう。桐の花の咲きしずもれる下で、宙に浮くことを揶揄しつつ、束縛から離れて自由になるとは、どのようなことかを考えている。(鈴木)

       (当日発言)     
★咲きしずもれるとあるので花はたわわに咲いているのだと思う。その下に来たときと
 ても幻想的になったのだろうと。作者は自分も浮いてみたいと真剣に思ったのではな
 いかと。あの花のところに行って宙の中に同化していくことができないかと。
   (真帆)
★私は白秋の歌を思い浮かべてしまいました。〈手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こ
 そ泣かまほしけれ『桐の花』〉これは非常に繊細な歌で掲出歌とは直接関係ないです
 ね。咲きしずもれるというと、やはり満開で、辺りには誰もいなくて、その下で静か
 に瞑想している、どうしたら宙に浮くのかと考えて。浮くことだけが目的で、例えば
 花に近づく為にとか死者に同化する為にとかは考えなくて。(鹿取)


      (後日意見)
 「桐の花咲きしずもれるした」とはやはりそこだけ切り取られた異空間のようだ。時刻は書かれていないが、真っ昼間という感じを受ける。そこで〈われ〉は「どうすればわれは宙に浮くのか」を考えている。麻原彰晃が地下鉄サリン事件を起こしたのは1995年3月、逮捕されたのが同年5月、歌集『寒気氾濫』が出たのが1997年だから、宙に浮く行為への関心は麻原に触発されたせいであったかもしれない。しかし、それはきっかけに過ぎない。だから下の句が麻原を揶揄しているとは思わない。〈われ〉が生真面目に宙に浮く方法を考えている姿を読者である私は想像して少しおかしくなる。『泡宇宙の蛙』に「眠れざれば徹底的に薬罐見る 薬罐はいかにしてつくるのか」があるが、同じような追求癖の系列の歌に思える。ただ、掲出歌は異空間めいた場の提示がおもしろく奥行きのある歌になっているし、不思議な魅力を湛えた歌だ。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 150

2023-11-28 11:10:47 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究18 2014年8月 
    【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
     参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            

150 沈黙のおんなに凭りかかられてみるみる石化してゆく樹幹

◆文章中、塚本邦雄の「邦」の正字が出せませんでした。申し訳ありません。

      (レポート)
 そこにいる「おんな」は「沈黙」のまま樹に凭りかかっている。精神のいきいきしていない人に凭りかかられると樹といえどもたいへんな圧迫かも知れない。沈黙の圧迫による樹幹の困惑や疲労を「みるみる石化してゆく」として、うつろう時をかたちにし、読者に示す。(慧子)
   

(紙上意見)(2014年月)
 斎場の樹木に凭れて、故人を偲んでいる沈黙の女。凭れかかられている樹幹は、その嘆きの重さにたちまち石化していく。塚本邦雄の歌をベースに面白く表現している。(鈴木)


     (当日発言)(2014年月)   
★塚本邦雄の『水葬物語』に「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆく
 ピアノ」があります。ただのパロディではなく、対比して作っている。沈黙の女には
 何か重いものがあってそれに凭りかかられるので何か固まってしまう歌だと思う。た
 だ、肝心なところを味わえていないのですが。樹幹というのは、木の中の役割をきち
 んと言いたかったのではないか、根に続く樹 幹であるよということ。語らぬものの
 沈黙の訴えによって動けなくなってしまったものをいいたかったのではないか。
   (真帆)
★塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』の巻頭歌だから誰でも知っていますよね。塚本にと
 っても処女歌集の巻頭歌だから非常に思い入れがあるはずですし、元の歌の辛辣な批
 評意識とか苦さとかは周知のことだと思います。その本歌取りをするのだから、渡辺
 さんにも相当な覚悟とか思い入れがあるはずなんですけれど、私はもう一つこの歌が
 分からないです。真帆さんが言った「語らぬものの沈黙の訴えによって動けなくなっ
 てしまったもの」というのはそうなんだろうと思うし、鈴木さんの「斎場の樹木に凭
 れて、故人を偲んでいる沈黙の女」という解釈も、唐突に女が出てきたように思った
 けど、なるほど一連の流れの中では故人と深いかかわりのあった女か、とも思うんで
 すけど、作者の意図とか本質的な部分が自分ではつかめないでいます。(鹿取)
★国のことだったりしますか?「沈黙のおんな」でどこかの国を例えたり。(真帆)
★それは違うような気がする。この一連にいきなり外国への風刺とかは出てこないん
 じゃないかなあ。(鹿取)

     (後日意見)
 塚本は「革歌作詞家」を風刺しているが、この「沈黙のおんな」は風刺の対象なのか、鈴木さんのように故人を偲んでいる労るべき存在なのか。私は風刺の対象と読んだ。たとえば樹幹は〈われ〉で、すねて沈黙している女に凭りかかられて意固地になっている場面。溶けてゆくピアノは「すこしづつ」で、石化する樹幹は「みるみる」だからスピード感が違う。この歌は塚本のパロディであり、何か滑稽味を狙ったものなのだろうか。ちなみに、『寒気氾濫』の出版記念会に主賓として列席された塚本氏は、この歌については何も発言されなかった。その後も、管見ながら誰かがこの歌について批評しているのを見た覚えがない。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 149

2023-11-27 16:49:17 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究18 2014年8月 
    【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
     参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            

149 会葬に生者のみ集いくるふしぎ空に級木(しなのき)の葉がひるがえる

      (レポート)
  会葬には生者しか来ていないようにみえて、それを「ふしぎ」だという。「級木」が高くに「ひるがえる」のは、死者が来ているのか、死者を誘っているのか。このように理由づけると歌がつまらなくなるのだが、「級木の葉がひるがえる」を心の必然として詠っており、死者をあたかも照らそうとしているようだ。3句の「空」の措辞も関係していようが、今ここにないものを思っている作者のこころが、一首のふしぎな明るさとなる。(慧子)


        (紙上意見)
 高木の級木の葉が翻る斎場で、作者の知人の(あるいは関係者の)葬式が行われた。故人と生前に、最後までつきあっていた人ばかりでなく、過去のつきあいであったOBなども参列しているのに、なぜか、それは生者ばかりで、死者はいない、という不思議。故人のことを偲ぶのであれば、関わりのあった人全部が、生者、死者を問わず、集まるべきだという気持ちが、そこはかとなく感じられる。(鈴木)
   

        (当日発言)      
★この一首、こう詠われていることが不思議です。普通、会葬には生きている人しか来
 ないわけですから、目に見えない人々も集まり来るべきだっていうのが疑問として残
 った。その次の級木っていうのが、菩提樹、西洋級木というらしいですが、何でこの
 木なのか、この木でないといけないからこの木を選んだのでしょうが、だからこの木
 に鍵があるんでしょうが、分かったような分からないような不思議な一首です。(真帆)
★生きていない人も来ているよ、ということを級木が翻ることで示している。(曽我)
★そうですね、純粋になぜ死者達はやってこないのだろうかという疑問と取ることも出
 来るけれど、曽我さんのいうように、実は死者たちも集っていて、その証として級木
 が翻っている、とも考え られる。なぜ死者が来ないのかの疑問と取ると、級木に意味
 が繋がっていきにくいですね。葉が翻る歌は先月の鑑賞でもダンコウバイとかありま
 したよね。私は茂吉の「死にたまふ母」の冒頭の歌(ひろき葉は樹にひるがへり光り
 つつかくろひにつつしづ心なけれ)を思い出しましたが。あれはお母さんの重篤を聞
 いて急いで故郷に帰るところで、不安感とか焦燥感とかを象徴していると思うけど、
 ここで翻っている級木も何となく不穏な感じがする。死者達が集まっているざわざわ
 感が葉を翻しているんだろうか、死者達の新しい死者を悼む気分がざわざわ感に繋が
 るんだろうか。(鹿取)
★評者が「『級木の葉がひるがえる』を心の必然として詠っており」と書かれているけ
 ど、どういうことですか?(真帆)
★作者は会葬の場でいろんな景がある中でぱっと級木を捕まえたと思うんです。でもな
 ぜ級木かは歌のできる現場で理屈では語れないと思うんです。直接級木が作者に響い
 たんだと思います。(慧子)


     (後日意見)
 岡野弘彦に「またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく」(『蹌踉歌』)があるから、「ふしぎ」は意図的である。(田村広志)


      (後日意見)(2021年2月)
 いまや多磨霊園は生者と死者の区別のない時空を超えた空(空間)となり、級木(しなのき)は葉をひるがえして、会葬に集い来た人々とともに埋葬された人を悼むのである。が、生者たちはそのような級木の存在に気がつかない。なんという不可思議(不条理)なことか。死者も同様に会葬に参加していることが分からない生者(人間)は傲慢である。(S・I)

           
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 148

2023-11-26 12:35:43 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究18 2014年8月 
    【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
     参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            
           
148 多磨霊園に夕かげながれ骨という骨がさかなのごとく跳びだす

     (レポート)
 夕暮れがきた。生者には気持ちが不安定になる者もあろう。そんな危うい時間帯の霊園をとらえる。埋葬されている骨が今ぞとばかり跳びだしてきたというのだ。「夕かげながれ」が効果的で「ながれ」に乗って「跳びだす」と思える「さかな」は「骨」なのだが……。「霊園」を「幼稚園」に「骨がさかなのごとく」を園児にみたてているように思う。そのみたてがユーモラスなのだが、さらに世界への複眼性と言ったらよいのか、それを秘めている。生者には危うく思える時間帯に溌剌たるものがいると詠う。(慧子)


        (紙上意見)      
 多磨霊園の墓地の間の骨のような枯れ葉が、夕影のなか風にあおられて、さかなのようにはね出したのだろうか。(鈴木)


        (当日意見)
★慧子さんのレポートの「『霊園』を『幼稚園』に『骨がさかなのごとく』を園児にみ
 たてているように思う。」という部分、それだと多磨霊園と書いた意味が全く無くな
 ってします。幼稚園の園児がわーと跳びだすように霊園から骨が跳びだすんだという
 なら分かるけれど。人骨が魚のようにと跳びだすのが、ちょっとシュールで、そのま
 ま受け取りにくくて幼稚園の改称になるのかな。鈴木さんも木の葉のことだと捉えら
 れているし。(鹿取)
★夕方の光にお墓が照らされてまるで命をもらったように、何か魂がお墓から跳びだし
 て来たんだよというふうに受け取りました。魚だとトビウオの飛ぶだから足偏の跳ぶ
 だから、さかなは比喩でお墓から幽霊が跳びだしてきたように作者は面白く思われた
 のかなと。あんまりユーモアという感じはせず、ゆうかげに刺激されてわーと跳びだ
 してきたもの、この作者の生と死をあまり区別しない場面が描かれているように感じ
 ました。(真帆)
★面白い意見ですね。私は元気より夕かげによる刺激説ですね。夕日の射す時刻、霊園
 の上が微妙な赤紫のような色に 染まってただよう中で、そこに文字通りお墓の中の
 骨たちがばーと跳びだすイメージ。解放され た感じ。独特の時間帯の一瞬のイメー
 ジを捉えている。(鹿取)


      (まとめ)
 うたいくちからすると、前川佐美雄の初期のシュールな歌のような感じ。あくまで埋葬された人間が魚の骨だけのように、(骸骨のような形で)続々と跳びだしてくる様子。怖いより漫画チックな楽しいイメージなのではないか。(鹿取)


     (後日意見)(2021年2月)
 多磨霊園に夕暮れが訪れると、日中とはうってかわって、茜色に染まった西空から、かげがたちこめ始める。墓の下で眠っていた魂(骨)は魚という形象になって、西方浄土からやってきた夕かげに誘われるように、次々と地上世界に跳びだすのである。(S・I)
   参考短歌
     西方は十萬億土かあかあかと夕焼くるときに鼠のこゑす
                  前川佐美雄『天平雲』

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