かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 65、66 スペイン①

2024-07-18 09:59:41 | 短歌の鑑賞
 2024年度版  馬場あき子の外国詠8(2008年5月)
     【西班牙 Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48~
     参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、
           渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:H・S まとめ:鹿取未放

65 明るき雲の上に出でたるイベリア機内ふいと爪切りを出して爪切る

      (まとめ)
 イベリア機は、スペイン国営の航空会社の飛行機。安定飛行に入ってシートベルト着装のサインも解かれたのだろう。ほっとした機内で爪切りをするところが飄逸。明るい雲の上、イベリア機に旅情とこれからの旅への期待感も出ている。馬場のこの旅は1995年のものなのだが、9・11後は刃物の機内持ち込みは禁止であるから今は叶わない光景であろうか。(鹿取)


66 あつといふまに雲後に沈む日本のさびしさとして海光りゐる

      (まとめ)(鹿取)
 日本は小さく雲のかなたにあっという間に見えなくなっていくのだが、わずかに日本海が光っているのが見えるのである。その海のきらめきが更に旅人のさびしさを増幅させるのであろう。レポーターは「あつ」の「つ」が大きいことにこだわっているが、馬場は旧仮名遣いであるからここは並字の「つ」を使うのは至極まっとうなことである。むしろ、旧仮名・正字を守った塚本邦雄が、次の歌のみ「あっ」の部分に小さな「っ」を用いていて、初めてその歌を目にした時いたく感じ入ったことを思い出した。塚本の小さな「っ」には多大なインパクトがあったのである。※レポートは、省略

  春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状  塚本邦雄

 66番歌と似た情景を詠った同行会員の歌。
  空にしてひと恋しきに眼のしたの雲のきれめに佐渡あおく見ゆ   清見糺

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬場あき子の外国詠 64 スペイン①

2024-07-17 16:02:11 | 短歌の鑑賞
 2024年度版  馬場あき子の外国詠8(2008年5月)
    【西班牙 Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48~
    参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、
           渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:H・S まとめ:鹿取未放

64 成田空港包囲して林立するホテル消燈の時きらり小泉よねさん

        (まとめ)
 成田空港の建設計画が発表されたのが1966年、即、反対闘争が組まれた。軍事目的による使用を危惧したためである。小泉よねさんは7歳の時から子守に出されて、つつましく暮らしてきた人である。そういう農民達が立ち上がり、学生その他が全国から応援に駆けつけて闘った長い闘争だが、71年、土地収用法によりよねさんの家や田畑も強制収用された。78年には、4000メートル滑走路一本という、大幅に計画を縮小した形で成田空港は一応の完成をみた。
 死者や負傷者を大量に出した激しい反対闘争だが、91年に成田空港シンポジウムが開催され、94年には話し合いによる解決が合意された。(もちろん、話し合い一切拒否、空港絶対反対の立場の人達も大勢存在する。)馬場一行のスペイン旅行は95年だから、闘争が一応の終結をみた一年後ということになる。ちなみに今年2008年5月が開港30年目に当たるという。
 きらびやかなホテルが空港を「包囲して」「林立」していると詠むことによって、かつてそこにそのようにしてあった反対運動の旗を鮮やかに二重写しにしてみせる。そうすることで、農民達の運動を封殺して成った空港を利用しようとする自らに対する痛みをも表現しているのであろう。寝ようとしてホテルの部屋の灯を消す時に、作者の脳裡を小泉よねさんのことがかすめる。彼女たちを蹂躙した為政者と自分たちが一体になって彼女たちを踏みにじっているような気分、それにもかかわらず自分たちの方がむしろ敗者であるかのような気分、それが小泉よねさんを「きらり」と光らせた理由であろう。

 馬場の旅に同道した会員が、似たような場面を次のように詠っている。

  滑走する機窓に見えてうらがなし成田空港フンサイの塔(清見糺)

 清見の歌はやや情緒に流れているが、馬場の歌は矛先が己に向かっていて自己省察の鋭い歌である。なお、田村広志の『旅の方位図』の「廃井」13首は、空港の為に廃村となった村の風景を詠んでいてあわれぶかく心打たれる一連である。
* 田村氏の歌集に成田空港を詠った一連がある旨の指摘は、藤本満須子による。

  一村を廃墟となして成りてゆく空港 雨のけむれる彼方
                 田村 広志
  空港の高き鉄塔に灯はともり暮れはやき一面草の廃村
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 256

2024-07-16 09:21:01 | 短歌の鑑賞
※4年ぶりに支部の勉強会を再開しました。 
 久しぶりの、リアル松男研究です。

   2024年度 渡辺松男研究2の33(2024年6月実施)
     Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P164~
     参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
     司会と記録:鹿取未放


256 今日はむしょうに急須のなかに入りたし急須はとくに落ち着いている

         (事前意見)
 急須の中に入りたいと思う人は、この作者のほかにいるだろうか。たぶんいないし、そういう想像すらしないだろう(私も)。けれど、こういわれると、ああそれもいいな、確かに急須の中にすっぽり入ったらなんだかほっとするかもしれないなと感じさせるから不思議。上には、いざとなれば持ち上げられる、光の入る小さな穴が開いた蓋があるし、注ぎ口から風も入ってくる。ほのかな茶のかおりもして。リラックスできそう。(菅原)


        (当日発言)
★この歌好きなんですが、この着想には類型があって、藤枝静男の小説「田紳士有楽」
 っていいます。家の池に茶碗を沈めているのですが、池の金魚とその茶碗が恋をする
 話なんです。茶碗が生命をもっていて、空をとんでヒマラヤまで行ったりするんです
 ね。細部ちょっと忘れましたが、焼き物にはそんなイメージがありますね。無生物な
 のに生命感があって、温かい。悟りの世界へいくのかな。(M・A)
★ぶんぶく茶釜というのもありましたね。(鹿取)
★これは自分が小さくなりたいという感じなのでしょうかね。結句が渡辺さんだなあと
 思います。入りたいという所までは他の人にも書けてもね。(A・K)
★そうですね、急須なのに落ち着いていない日もあるのね。(鹿取)
★不思議の国のアリスだって入っていきますからね。(岡東)
★時計の中に、とか急須の中にとか、何かあるのでしょうかね。(A・K)
★時計の中には人間が入るわけではないけど、急須の中に入りたい、に何かあるのかと
 言われれば母体回帰願望とかいうことはいえますよね。でもそういうと歌がつまらな
 くなる。フロイト的に言えば急須だって女性の象徴だから、男性が女性の中に入りた
 い願望だとも分析できないことは無いけど、その解釈は好きじゃないです。A・Kさ
 んも同じ意見だと思うけど。この歌の小さくなって急須の中に入りたいって願望、人
 間は時にこんな感じでほっとするよね、くらいでいいかなと。別に結論づけじゃない
 けど。(鹿取)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 255

2024-07-15 19:59:32 | 短歌の鑑賞
※4年ぶりに支部の勉強会を再開しました。 
 久しぶりの、リアル松男研究です。

   2024年度 渡辺松男研究2の33(2024年6月実施)
     Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P164~
     参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
     司会と記録:鹿取未放


255 草を食みわれましずかにありえしをぶつぶつと月にクレーター見ゆ

       (事前意見)
 馬だの牛だののように、草をはみながら静かに生きていくこともできるはずなのに、自分(人間)にはきれいなだけの月ではなくてその上の醜いクレーターが見えてしまうという酷いような愚かなような現実。作者はそのことを,静かに受け止め内省している。(菅原)

   (当日発言)
★菅原さんのレポートは情緒過多のように思います。また、結論を付けすぎでは?
   (M・A)
★菅原さん、きっちりとこの歌はこういうことを言いたいのだと結論を言わないとい
 けないと思い込んでいるところがありそうですね。(鹿取)
★渡辺さんの作品について、いちいち結論づける必要はないですよね。「ましずかに」
 の使い方が非常にうまいですね。「ありえしを」は過去だから、「できるはずなの
 に」ではなく「できたはずなのに」ですね。牛や馬のようにありえたのに、それ
 にもかかわらずクレーターが見えてしまうということですね。この作者は人間を
 牛や馬と同列に見ることができるようですね、人間を低い次元に押さえている。
 私はそういう視点でうたうことは絶対に出来ないです。生命、存在としては同列
 だと思うのですが。(A・K)
★私はアイヌの文化に関心があるのですが、アイヌの人の考え方はわりと渡辺さんに
 近いかもしれません。理屈ではなく、感覚として人間も他の動物も同じって思ってい
 るのじゃないかな。現実的には人間が偉そうにしちゃうこともあるとは思いますが。
 それに、アイヌは人間同士でも、他の生物とでも、基本的にヒエラルキーとか作らな
 いのですね。そういうところがとても好きだし、やすらかです。(M・A)
★もう少し自虐的な歌もありましたね。「驢(ろ)と生まれただ水草をおもいみるまずし
 さよ吾は鞭うたれいし」(154頁)(鹿取)
 

        (後日意見)
 「ああ母はとつぜん消えてゆきたれど一生なんって青虫にもある」(15頁)これが、作者が考える人間と他の生命との同質性を端的に表現した一首だろう。作者の自歌自注を抜粋しておく。(鹿取)

両者を同列に置いたところが生の内実としての等価性をもただちに暗示してしまい、ケシカランと言いますか、ある種のタブーに触れたようです。
  「かりん」2010年11月号

 また、坂井修一さんは松男さんをこんなふうに評されています。
渡辺のことばは、どの作品の中でも知的な幼児性をまとってたちあらわれる。これは、今述べた彼の自然観・人間観からしてとうぜんのことだろう。自然はほんらいおおらかな幼児性をもつものであり、同時にそのことは、今の人間社会にあっては高い知性をもって洞察しなければならないことなのだから。
  「汎生命と人間」(「かりん」2010年11月号)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 254

2024-07-14 13:13:40 | 短歌の鑑賞
※4年ぶりに支部の勉強会を再開しました。 
 久しぶりの、リアル松男研究です。

   2024年度 渡辺松男研究2の33(2024年6月実施)
     Ⅳ〈白骨観〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P164~
     参加者:M・A、岡東和子、鹿取未放、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
     司会と記録:鹿取未放

254 死をおそれつづけて白き視野なるかなんとなくわれの頭(ず)はアルミ缶

      (事前意見)
 死を恐れつづけていると視野が白くなるとはどういう感じだろう。貧血でぼうっとすると目の前がぼんやりしてやがて色を失い白くなってしまうが、そんな感じだろうか。何も見えなくなり、判断力がなくなっていくということだろうか。アルミ缶は銀色でぺかぺかして、つぶすとくしゃっとして、なんとも軽く情けない感じがするものなので、死を恐れ続けるばかばかしさ無意味さを表現しているのだろうか・・・。(菅原)


        (当日発言)
★菅原さんが書いていられるのと同じ疑問を感じます。アルミ缶が突然出てきて分か
 らない。(岡東)
★こういう系譜の歌もけっこうありますよね。「ぞっくぞっくと悪寒するなりわたくし
 のどこを切りても鼠の列」(146頁)とか、「かわいそうに体温もあり鳴きもする
 鼠が僕の脳から出れぬ」(147頁)とか。(鹿取)
★「死をおそれつづけて」って、これは本当にそうなんだろうなと思う。白き視野は何
 にも見えない、視界が開けないこと。下の句は自分を戯画化しているのかなと。素直
 に読むとそういうふうに読めます。ただ、この人、そういう素直な作り方をする歌も
 あるのかなあ。(A・K)
★私は目が悪いので、陽光の中でカメラを覗くとファインダーの中に対象が何もみえな
 いんですね。「白き視野」はそんなイメージかなあと。その白き視野とアルミ缶の質
 感は繋がるような気がします。「かんからかんかんからかんの大蜂起赤子背負いてく
 る缶もある」(『歩く仏像』)という歌も松男さんにありますね。(鹿取)
★アルミ缶の質感が空虚な何も無い感じをよく伝えていて、自分を突き放している感じ
 がします。これは全体がなだらかにつながっていて、作為が見えない仕立てですね。
   (M・A)
★素直なうたですよね。発想とかも。そのまんま詠んでいて凄いなと思いました。白き
 視野とアルミ缶の軽い空虚な感じも合っていて、そういう自分をしっかり見つめてい
 る。結果的に、白き視野、アルミ缶と白骨観もうまく繋がっている。あ、なんか、同
 じことを言ってる?(M・A)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする