かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 253

2024-04-30 11:09:59 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
        【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
         参加者:S・I、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


253 まぼろしに天壌響くことがあり花野をジャンヌ・ダルクのジャンプ

      (レポート)
 秋の草花が咲いている大地をジャンヌ・ダルクがジャンプして揺すぶっている。その音が幻聴のように響くことがある
 ジャンヌ・ダルク(1412~1431)は十三歳の時、フランスを救うようにという神のお告を聞き、軍隊を率いてオルレアン城の包囲を解くなど、フランスの危機を救ったが、宗教裁判で異端の宣告を受け火刑となった。死後はカトリック教会によって聖女となり、フランス人にとっての英雄となった。ジャンヌの聞いた「神のお告げ」は伝説以上の重みを持ち、フランスと神とを結ぶものとして、フランス人のナショナリズムのシンボルにもなった。国が危機を迎えるたびに登場し、ナポレオンもジャンヌをフランスの救世主の象徴としたようだ。この歌は死後も影響も与えているこのようなジャンヌ・ダルク神話を詠んだのであろうか。(S・I)


     (当日意見)
★ジャンヌ・ダルクを花野に置いたところに作者の愛情のようなものを感じます。ただ
 神聖だけじゃなくて愛らしい感じがします。ジャンヌのジャンプと韻を踏んでいると
 ころも面白い。(慧子)
★ジャンヌ・ダルクは農民の娘だから力があるんです。だからジャンプすると天地が響
 く。普通の人じゃないから。身体的な優位があるんです。いつも難しそうだけど、こ
 こは柔らかいですね。(曽我)
★「天壌」はあめつち、天地のこと。響くって共鳴だから天と地が音を奏でる、響きあ
 うってことですよね。その響きをジャンヌ・ダルクがジャンプしている音だって。
   (鹿取)
★ジャンヌ・ダルクがジャンプするってありえないけど、感じていらっしゃる。
   (S・I)
★ジャンプって、渡辺さんにとって何かあるんですね。〈われ〉と父と阿修羅がジャンプ
 するって歌もあるし。それにしても、「天壌」って難しい言葉ですね。(鹿取)
★その字をわざわざ使うところに意味を込めていらっしゃるのでしょうね。この歌はや
 はりジャンヌ・ダルクの生涯から読み解かないと駄目なんじゃないかな。(S・I)
★そうですね、ジャンプするのは誰でもいいわけででゃないですから。(鹿取)


      (後日意見)
 当日発言中の「〈われ〉と父と阿修羅がジャンプするって歌」とは、次のもの。
  うつし世は耳鳴りなりとジャンプせり父・われ・阿修羅みなジャンプせり
『歩く仏像』
 阿修羅も一緒にジャンプするところが自棄(やけ)のようでいて魅力的。制度化された宗教の持つ胡散臭さに対する異議申し立てのようにも読める。
 253番歌のジャンヌ・ダルクの歌も、異端視されて火刑にされ、後年聖女とされていった経過に「制度化された宗教の持つ胡散臭さ」をみているのではなかろうか。そして素のジャンヌ・ダルクを少女のように花野にジャンプさせることで彼女をリスペクトしているのだろう。
  (鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 252

2024-04-29 16:43:08 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
        【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
         参加者:S・I、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


252 数知れぬ精霊蜻蛉浮かばせて秋空もまた地球と回る

      (レポート)
 秋空に数知れぬ精霊蜻蛉が浮かんでいる、いつしか秋空が回り、地球という天体も回っている。この歌は反復、循環という点で245番の歌(たえまなきみずのながれにみずぐるま未来回転して過去となる)に通じるものがあるが、精霊蜻蛉というきわめて土着的な語が用いられている。精霊蜻蛉とは、盆の頃に現われ「死者の霊が、トンボに姿を変えたもの」などといわれている。過去の時間へ消えてしまった数多くの死者の霊がこの世に現れ、回っている姿は、何かを語りかけているようだ、が、地球は止むことなく回り、死者を見送った人々もやがて死者となり、そして精霊蜻蛉となって、秋空に浮かぶのであろう。(S・I)


    (当日意見)
★精霊蜻蛉が一斉に回っているのは壮観ですね。(S・I)
★下句が上手。地球が回っているから秋空もまわっているように見えるんだけど。
   (慧子)
★意表を突いているけど納得させられますね。(S・I)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 251

2024-04-28 16:10:42 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
        【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
         参加者:S・I、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


251 君が覚め君の見ている窓が覚め電柱が覚め秋の日が澄む

      (レポート)
 愛し合う二人はいつも相手と同じものを観て、同じ体験をしたいと思う。この歌は覚めて窓に目をやり、その先の電柱をみている君の視線の動きに作者が同化して、澄んだ秋の目覚めのひとときを、共に味わっている場面である。「覚め」が三度繰り返されているが、窓や電柱が覚めたわけではなく、作者が君の視線に合わせることによって、それまで目に入らなかった窓や電柱に気がついたということであろう。具体的な行為や会話がないが、男女の一場面を捉えて巧みな一首である。(S・I)


    (当日意見)
★250番歌(虫時雨どこへ行けどもゆるやかに起伏しながら女体はつづく)の続きで
 性愛の後のまどろみから覚めていく場面ですね。窓という近いところから、外の電
 柱、そしてそれらをひっくるめて包んでいる秋の日、澄んで透明な秋の空気が伝わっ
 てきます。日がまだ明るい午後でしょうか。結句の「澄む」がよくて、性愛のドロド
 ロ感がここで浄化されているような感じがします。(鹿取)
★覚醒状態を捉えるまでに三度の覚めが描かれている。(慧子)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 250

2024-04-27 09:33:14 | 短歌の鑑賞
2024年版 渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
        【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
         参加者:S・I、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


250 虫時雨どこへ行けどもゆるやかに起伏しながら女体はつづく

      (レポート)
「虫時雨」とは、秋の季語で、草むらで幾種類も重なりあって鳴く虫の賑やかな様子のこと(『歳時記』)。鳴くのはオスで、求愛のために翅(はね)を摺り合わす音が、虫の音として聴こえるのである。この歌は聴覚で虫の音を捉えながら、女体を触覚で味わっている場面であろう。虫の音が留めなく、すだいている、「どこへ行けども」は「女体はつづく」にかかり、虫時雨が少々の緩急があっても、通奏低音のようにひびくのを耳で受けとめ、女体をたゆたいながら、あてどなく愛でている。虫の音と重なった性愛の営みには、切なく儚い哀感が漂う。(S・I)


      (当日意見)
★「どこへ行けども」が 性の営みの感じをよく伝えている。生命の躍動を感じます。
   (慧子)
★どこへ行けどもといっても全部女体のうちなのね。たゆたっているんでしょう。やわ
 らかい女体を全身で愛でている男性はこの時点では夢のような幸せの中にあるのかも
 しれないけど、読む方は哀感を感じてしまうのは「虫時雨」の語感のさまざまを感受
 するからかもしれませんね。(鹿取)
★行為にふける人間のはかなさのようなものを出しているんじゃないですか。具体的に
 書いたらそれだけですけど「どこへ行けども」だとエロチックに想像させますよね。
   (S・I)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 249 

2024-04-26 17:00:26 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
        【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
         参加者:S・I、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


249 靴下を脱ぐありふれた所作ながらありありと君の足裏あらわる 

      (レポート)
 谷崎潤一郎の耽美的な小説の一節を思わせる。ずっと、君のありふれた所作の終わるまでを、作者は眺めているのであろう。あらわれた君の足裏は、その後の性愛の場面を予感させるかのように生々しく、官能的である。(S・I)


   (当日意見)
★谷崎の小説って「卍」でしたっけ?足の指を執拗に愛撫するんですよね。この歌
 は、これだけ読むとさらりとしていて、谷崎のねっとりした視線と違って清潔感があ
 りますね。 (鹿取)
★下句の「ア音」の韻に、うっとりとした高揚感が表れていると思います。(慧子)
★なめらかですね。(S・I)

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