かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 124

2023-09-30 09:51:23 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究14【寒気氾濫】(14年4月)まとめ
    『寒気氾濫』(1997年)50頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木良明    司会と記録:鹿取 未放
             

124  吾が踏みし危うさに谷へ落ちてゆく石が一瞬はばたける音

        (レポート)
 谷沿いの山径を歩いているときの描写だが、単に弾みで蹴落としてしまった石の落ちてゆく様子を表現したというわけではないだろう。上句の「吾が踏みし危うさ」というところに、まかり間違えれば、石もろともにこのわが身が谷に落ちたかもしれないという、危うい踏み出しのなかで石がころげ落ちていったことがわかる。だから石は単なる石ではなく、われの身代わり、あるいはわが身そのものとして落ちて行ったとの思いから、一瞬、「はばたける音」が聞えたのである。それは作者の心身が投影された音だろう。(鈴木)


          (当日発言)      
★「われの身代わり、あるいはわが身そのものとして」とレポーターは書いているけ
 ど、身代わりとかではなく、作者は石にも命があると思っていてそれで羽ばたける音
 を聞いたのではないか。(藤本)
★いろんな意見があっていいと思いますが、私も石には命があると思います。それで落
 ちていく時一瞬空中で静止した感じ、羽ばたいたという感じが分かる気がします。マ
 グリットにも空中に浮く大岩の絵がありますが、ここではとてもリアルに石がホバリ
 ングしている絵が浮かびます。ちょっと漫画チックですが石に羽が生えていてそれを
 ぱたぱたさせている絵です。漫画チックだけどふざけてる訳ではない、でも深刻では
 なくて軽くて救いがある感じ。だから〈われ〉は〈われ〉、石は石であんまり身代わ
 りとかは思わない。(鹿取)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 123

2023-09-29 14:41:06 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究14【寒気氾濫】(14年4月)まとめ
    『寒気氾濫』(1997年)50頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木良明    司会と記録:鹿取 未放
             

123  シベリアより寒気氾濫しつつきて石の羅漢の目を閉じさせぬ

      (レポート)
 シベリア方面から寒気団が日本へ南下して、西高東低の冬型の季節になる。本歌は、その寒気団の南下の影響を真っ先に受ける山間部の描写である。石の羅漢には様々な表情があるのだが、その中で黙想している羅漢の顔が、突然の寒さに「うー寒い」と思わず目を閉じたように見えたのだ。何も感じないはずの「石」の羅漢、その目を閉じさせた、という表現に、「寒気氾濫」のすさまじさが強く伝わってくる。(鈴木)


          (当日発言)      
★この歌から歌集の題をとったと作者が書いていたよね。(藤本)
★羅漢が目を閉じたのは「うー寒い」よりはもう少し深い哲学的な思いという印象でう
 けとっていたんですが。(鹿取)
★石の羅漢を持ってきたのが渡辺さんの推敲の結果で、寒気氾濫に対して何をぶつける
 か、これに定着するまで悩んだんじゃないですかね。(N・F)
★石の仏は歌の世界ではよくある素材で、斎藤史さんとか詠っていますし、ここで悩ん
 だとは思わないですが。松男さん、山をよく歩かれるし、群馬県の育ちですから石に
 彫られた羅漢というのはとても身近な存在だと思われます。吉川宏志さんが石の仏を
 詠った好きな歌があります。正確に覚えていないのですが、仏を彫った石が風化して
 しまうことを、ただの石にかえると言わないで、仏がこの石を去っていくという表現
 が非凡だと思っています。(鹿取)

※鹿取の発言の歌。
   秋雨に目鼻おぼろになりながら仏はやがてこの石を去る
            吉川宏志『曳舟』(2006年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 122

2023-09-28 11:40:34 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究14【寒気氾濫】(14年4月)まとめ
    『寒気氾濫』(1997年)50頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:鈴木良明    司会と記録:鹿取 未放
             

122  雪の樹を仰ぎおるとき口あけてみだらなりわがまっ赤な舌は

      (レポート)
 物を見上げる時、人はどうしても口もとが緩んでしまい、口から舌、喉奥にかけて大気に晒される。雪の樹を見上げた時に、作者は一瞬我に返って、その姿が意識にのぼり、清浄な真っ白な雪に対して、自らのまっ赤な舌が強く意識されたのだ。自然の中にあって、自然の一部である動物にすぎない人間の、「みだらな」存在を強く意識したのである。(鈴木)


          (当日発言)      
★本人のことだけならともかく人間みながみなみだらな存在だと言って欲しくない。
   (曽我)
★いや、生きているものはみんなみだらなんでしょう。サルトルの口のことをやはり赤
 いと渡辺さんがうたっていましたね。(鹿取)
★鹿取さんに聞きたいけど、これは渡辺さんのエロスとしての見方なの?(N・F)
★ここのみだらというのはエロスとは違うものだと思います。生きるものは動物でも植
 物でも他者を侵して生き得ている訳でしょう、原罪というような言い方もありますけ
 ど。ここでいうみだらって、そういうものだと私は読んでいますが。(鹿取)
★滅びた狼の目が真っ赤だという歌もありましたが、生きようとする欲望が(普通日常
 的にはそれを意識していないでしょうけど)欲望として赤という色と結びつくのでは
 ないですか。「生きる意志」のようなものが赤。(鹿取)
★雪が白で舌が赤、赤と白の対比。(N・F)
★色の対比は確かにあるけど、それが狙いではなくて、主眼は雪の清浄さに対して生き
 るものが持っている赤に象徴されるみだらさかなと。(鹿取)
★このあたりの歌はとても素直ですよね。(藤本)

 ※発言中、鹿取が述べた歌は次の通り。
  無際なる体内の靄吐き出だす赭(あか)きジャン=ポール・サルトルの口
                『寒気氾濫』
   狼は滅びたりけり山駆けるまっ赤なる目のようなゆめゆめ
              『泡宇宙の蛙』(1999年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 121

2023-09-27 13:54:12 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究14【寒気氾濫】(14年4月)まとめ
    『寒気氾濫』(1997年)50頁~
     参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木良明    司会と記録:鹿取 未放
             

121 館外の森に雪降り剥製の大木葉木菟(おおこのはずく)義眼をひらく

      (レポート)
 「大木葉木菟」は、剥製などを展示している博物館の中にあるのだろうか。館外の森にはしんしんと雪が降って、本来ならその森の中に生息していたはずの大木葉木菟が捕えられ剥製の姿で立ちつくす。義眼を大きく見開いて剥製の大木葉木菟は何を思っているのだろうか。(鈴木)


          (当日発言)      
★木葉木菟というのはブッポウソウと鳴くので有名ですが、大木葉木菟というのはそれ
 より一回り大きいもの。それで秋から冬にかけては竹林に群れて生息する癖があっ
 て、そういう鳥が剥製にされて義眼を入れられる。家族のこと、仲間のこと、何を見
 ていたのだろうという疑問を感じた。そこを詠っているのかなと。(N・F)
★雪が降ると家の中も静かな感じになる。そこで義眼をひらくという感じはよく伝わっ
 てくる。(崎尾)
★時間帯が分からないけど、人がいっぱいいる館内だと目を開いたりしないから夜かし
 ら。(鹿取)
★義眼だからいつも開いているんじゃないの。(藤本)
★そうなのか、開くというのは瞬間の動作じゃないんだ。剥製だから開きっぱなし?常
 時開いた状態にあるということね。私は雪が降るという条件の中で、誰もいない夜に
 そっと義眼を開いて何かを見ているのかと思っていたわ。(鹿取)
★雪って空と地を行き来して、命を引き渡す役割をしていると作者が思っていたのかな
 と。さっきからの三首はみんな死んだものが出てくるので。(慧子)
★大鷹の剥製と白鳥の剥製ですね。119(冷凍庫から剥製に出す大鷹の死にて久しき
 血はしたたらず)と120(臓も腑も捨てられしなり白鳥の剥製抱けば風花のなか)
 は死んだ鳥に〈われ〉が何らかの働きかけをしていて、121は〈われ〉をかかわら
 せずに対象そのものを詠っている。義眼は常時人工的に開かされているけど、瞬間か
 ある一定の時間かの鳥自身の行為を詠んでいるのではないのかなあ。(鹿取)
★自分の過去を見ているんじゃないの。開きっぱなしの義眼をある時開けて。(慧子)
★逆に義眼が開きっぱなしだからすごいなあって。命がなくなっても開きっぱなし。あ
 る時目を開けるんじゃつまらない。(鈴木)
★なるほどねえ、半永久的に開きっぱなしって確かに怖いわねえ。(鹿取)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 120

2023-09-26 12:48:04 | 短歌の鑑賞
2023年版 渡辺松男研究14【寒気氾濫】(14年4月)まとめ
    『寒気氾濫』(1997年)50頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木良明    司会と記録:鹿取 未放


120  臓も腑も捨てられしなり白鳥の剥製抱けば風花のなか

      (レポート)
 白鳥の剥製は、白鳥の姿を保っているが、臓も腑も取り去られている。そのような白鳥をそっと抱いていると、いつのまにか初冬の風が立って雪がちらついてきた、というのである。臓も腑も取り去られて実体のない白鳥―ある面精神だけが取り残されたような白鳥を抱いた時の感触が、「風花のなか」という言葉によって一層喚起される。    (鈴木)


          (当日発言)      
★この剥製は外にあるんでしょうかね。(鈴木)
★館内でしょうね。剥製にするにはものすごく費用がかかっていますからガラスケース
 に入れるなどして守られている。(N・F)
★臓腑が取り去られた白鳥を抱いたときの中身のない頼りなさとかはかなさが、風花の
 なかというイメージによくマッチしていますよね。白鳥、剥製、花というハ行音の連
 なりもやわらかくて美しいと思います。(鹿取)
★これは実際白鳥を抱いたかどうか分からないよね。まあどっちでもいいけど。(藤本)
★仕事がら抱いたんじゃないですか。博物館にできたての剥製を運んでいくときかな。
 鈴木さんが最初に外か、と疑問を呈されたけど、戸外を抱いて運んでいるときに風花
 が舞ってくるって情景。事実関係はどうでもいいけど、歌の設定はそういうことだと
 思います。仕事と関連づけましたが、仕事を知らなくても鑑賞はできると思います。
   (鹿取)
★渡辺さんは哲学をやられていたので、時間的な流れを歌っていると思う。過去の生き
 ていた時と現在と、これから博物館に展示されて見られる存在と。鳥と自分と来館者
 と三者の関係はどうなっているんだろうと、そういう感慨もあったかもしれない。死
 後は生きていた時のもろもろは捨て去られて精神だけが残ってしまう、そういうもの
 になるのかなと。生と死の境めみたいなことを、風花の中でそういう深い思いが喚起
 されているのかなと。(N・F)
★鈴木さんの解釈は「精神だけが取り残されたような白鳥」とありますが、作者はそこ
 まで思っているのかなあ。(藤本)
★作者が考えていたかどうかは分からないけど、鑑賞者の読みです。(鈴木)
★私はもっといのちの空しさを白鳥に感じたのですけれど。(藤本)
★そうですね、さっきN・Fさんがおっしゃったように、生と死、そのさかいめはどう
 なっているんだろうということが渡辺さんの大きなテーマですが、剥製になった白鳥
 に精神だけが残っていると考えても、藤本さんのように(私も同意見ですが)精神も
 残されていないと考えても、命の儚さは導かれますよね。(鹿取)
★命の儚さとか空しさを言っているのは自明のことなので敢えて書きませんでしたが。
    (鈴木)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする