2025年度版 渡辺松男研究 2の35(24年11月実施)
『泡宇宙の蛙』(1999年刊)P171~ Ⅳ〈蝶いちまい〉
参加者:M・A、(岡東)和子、鹿取未放
事前意見:菅原あつ子、・山田公子
266 宙にひとつぽかんと浮いている〈きもち〉春夏秋冬草靡けども
(事前意見)
◆草は年中風がくればその風に靡き柔軟に生きている。けれど自分は?自分は風に靡くことはなく、ただ、自分の(きもち)だけが宙にぽかんと浮いているのだ、ということか…(こころ)の立派さでも(思い)の重さでもなく、ほわっとした(きもち)。このつかみようのない、だけど確かにある(きもち)を作者は信じて大切にしているのだろうと感じた。この(きもち)は私もいいなと思う。(菅原)
★〈きもち〉とは松男氏の言うところの真実である。下句の確固たるものがあろうがなかろうが、真実というものは、ふわふわとして掴みどころのないものであると松男氏は考えているようだ。(山田)
(当日意見)
●「かりん」の方には〈きもち〉というと「真実」だとする了解事項があるのですか。山田さんのレポートでは断定していらっしゃいますが。(M・A)
●いや、そんな了解事項はないですよ。これは山田さん個人の意見です。私はそうは思いません。ところで、この〈きもち〉というのは〈われ〉のものなのでしょうか?それとも一般的、抽象的な〈きもち〉というものでしょうか。(鹿取)
●自分の気持ちではなく抽象的なものだと思います。正体はよく分からないけど〈きもち〉というものが浮かんでいるという表現は面白いと思います。(M・A)
●〈きもち〉が宙に浮かんでいると言われると、漫画の吹き出しが浮かびます。〈きもち〉が吹き出しの中に文字になって浮かんでいるような。でもこれ、いろんな人の気持ちがたくさんの吹き出しになって浮かんでいるのではなくひとつだからね。春夏秋冬草は靡いているけれど、ひとつの〈きもち〉は忙しなく動くのではなくぽかんと浮いている。もし〈きもち〉が真実を表しているとすると、重くてぽかんとは浮かべないような気がする。(鹿取)
●「春夏秋冬草靡けども」が当たり前すぎる気がします。ここを工夫すればもっとシャープな歌になると思うんですが。〈きもち〉は山括弧でくくってあるから特別なものなんですよね。でもやっぱり何かあいまいな感じがする。宙に浮いているものに対して草は地面。一と多、無時間と時の流れも含めて、構図が明快すぎて、逆に拡散してしまっているような。説明っぽいのかな。(M・A)
⚫でも、松男さん、一対多とか好きですよね。(鹿取)
●地面に根を張っている草よりも宙に浮いている〈きもち〉の方が信頼できるという事でしょうかね。(岡東)
●「白骨観」にもありましたね。禅のような想念、作者には世の中の実相としてそういう、つまり、無所属の存在への渇望があって、それが抽象的なイメージとして見えるということですかね。(M・A)