かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 307

2024-08-25 11:18:12 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究37(2016年4月実施)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、
         曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放

307 わずかなる隙間が壁と本棚のあいだにありてうつしよ寒し

     (レポート)
(解釈)壁と本棚はぴたりとは付いておらず、間にかすかな隙間があるのを見つけた。見ていると、現実のこの世が思われ、つくづくと寒ざむしい心地になった。
(鑑賞)「壁と本棚のあいだ」に象徴されるものを考えた。壁というと、村上春樹がエルサレム賞を受賞したときの式典スピーチで言った、「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」を思う。これは2008年のことだから松男さんの歌の方が先だが、そんな「壁」が、社会での自分に立ちはだかるもののように捉えられ、「本棚」は自分の文学と捉えられ、仕事と短歌などの文芸の活動のなかに、それは一体化はされていなくて、どうしても隙間がある。二つは磁石の+と−のように、くっつこうとしてもくっつかない。それが本当に寒ざむしいことだなあ、と思っている歌だと鑑賞した。(真帆)


     (当日発言)
★家具を壁面に置く時、少し隙間を空けるんですよね。ものが倒れないために。その隙
 間を「うつしよ寒し」と持ってきた、その飛び方の感覚が素晴らしいと思います。
  (慧子)
★「うつしよ寒し」はいろいろ想像させますよね。本だから知恵とか人間の営みとか
 が文字として書かれている。それと壁は何を象徴しているのか、現実でしょうか?そ
 の間に隙間があって、やはり現実は寒々としている。(S・I)
★真帆さんが葛藤とかそんなものを詠み込まれたと鑑賞されましたが、それもいいなあ
 と思いました。(慧子)
★生活と形而上学的なギャップを詠んでいる。(鈴木)
★ちょっとした隙間からこういう歌にされるところが凄い。(S・I)
★いろんな読み方がありますが、私はわりとそのまま取りました。つ
★いろんな読み方がありますが、私はわりとそのまま取りました。つまり壁と本が何か
 の象徴とはとらない読み方です。でも、「うつしよ寒し」のところで嫌でも形而上的
 な思考になる。何でも無い、どこにでもある隙間を見て、形而上的な思考をするのが
 松男さんですね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 306

2024-08-24 11:08:48 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究37(2016年4月実施)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、
         曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放

306 点滴の間にうかびたる銀漢の遠くに杉は凍裂をしぬ

    (当日発言)
★点滴の間って時が過ぎているような過ぎていないような微妙な時間の移りですよね。
 自分は点滴を受けているけれど、厳しい現実が彼方にはある。宇宙のようなことを暗
 示しているのかなあ。(慧子)
★高熱で点滴をされている間にこういう像が見えているんですね。寝ているから現実の
 天の川は見えない。そしてもっと彼方に杉が凍裂していく姿がくっきりと見えてい
 る。それは苦しい心身が脳にそういう像を結ばせているんですね、というかそういう
 ふうに解釈できるように作られている。凍裂する杉の像がとても清冽で、この像の出
 し方が上手だなって思います。(鹿取)
★幻覚を見てそれを表現していらっしゃるのかなと。すごいなあと思います。普通の状
 態じゃこんな歌できませんから。(S・I)
★自分が杉とは思われませんか?(真帆)
★それは自分自身を投影しているんでしょう。(S・I)
★私は宇宙にはあれもこれもあるって、この人は思っているんじゃないかなあ。自分は
 こうしてうつらうつらと点滴を受けているけれど向こうでは杉が凍裂している、そん
 な厳しさもある。(慧子)
★私は麻薬とかそういうものを飲みながら書いた人の詩を読んだことがありますが、そ
 れに通じるところがあります。(S・I)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 305

2024-08-23 08:33:02 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究37(2016年4月実施)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、
         曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放

305 髄膜炎四十一度でわが見しは重油うずまくごとくなりけり

     (レポート)
(解釈)髄膜炎で四十一度の高熱を出している作者は、どろどろと重く、窒息してしまいそうな重油のうずまく中にいる。
(鑑賞)「重油うずまく」は、戦艦大和の護衛艦「矢矧」が、撃沈され、兵が沖縄の海に投げ出され、重油まみれに沈んでゆく場面を思った。(真帆)


      (当日発言)
★これはこのまま実感と思いました。私も腎盂腎炎で四十一度の熱出したことあります
 けど、こんな感じだったから。京大病院に入院していたんですが、病棟から遠く離れ
 た道路を夜中に車が通る音が轟音に聞こえました。重油が渦を巻いているような、押
 し被さってきそうな圧迫感。(鹿取)
★これは分かりやすい歌です。重油が渦巻くような朦朧とした感じがうまく表現されて
 いる。真帆さんみたいにそこから社会詠のようにとるのもありかなと思います。
   (S・I)
★水に重油が渦巻いていろんな色に見える、あの気持ち悪いような感覚。(鈴木)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 304

2024-08-22 09:18:56 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究37(2016年4月実施)
     【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、
         曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放

304 幽霊を真上から見てみたきなりぞくぞくと闇を泳ぐ幽霊

     (レポート)
(解釈)幽霊を真上からみて見たいものだ。きっとぞくぞくと闇を泳ぐ幽霊たちがいるにちがいない。
(鑑賞)前の303番(こちら向きにおみなの祈る絵をみれば祈るおみなの背後は怒濤)を受けているのではないだろうか。この連作ではタテとヨコに動くものに目を向けている。闇にいる霊はヨコに這うように泳ぐ。(真帆)


      (当日発言)
★幽霊って前から来たり横から来るからぞっとする。それで作者はユーモラスに上から
 見て高みの見物をしてみたいなと考えたのじゃないかな。泳ぐ烏合の衆のようにぞく
 ぞくとやってくる幽霊たちを上から見る。(慧子)
★これ空中を泳いでいるんですよね、確かに向こうにボーと立っているから幽霊は怖い
 ので、泳いでいたらきっと怖くないよね。「ぞくぞくと」は怖さの形容の意味もある
 けど、「泳ぐ」と両方に掛かっているのかな。(鹿取)
★幽霊って足が無いのよね。それで上から見るとまるで泳いでいるように見える。そう
 いう視点の面白さ。時空を超えている訳です。「ぞくぞくと」は怖い意味ではなく
 て、何かそういう泳ぐ形の形容。(S・I)
★この歌、書いてある通りに読んで楽しくて好きですよ。(鹿取)
★人間界に置き換えると人間界もそんなものかと。(S・I)
★松男さんは上から見る視点が斬新ですね。横から見たら怖くても上から見たら全然
 怖くない。まさに高みの見物ですよ。ぞくぞくはたくさんいるってこと。面白い歌
 ですよ。(鈴木)


       (後日意見)(2016年5月)
 せなけいこ作の絵本『ねないこだれだ』に空を飛ぶオバケが登場するという記事を読んだ。(朝日新聞1016年5月7日夕刊)絵本は読んでいないので、読み聞かせのYouTubeを見てみた。最後は夜更かしする子自身がオバケになって、他のオバケに手を繋がれて夜空を飛んでいくお話しだ。絵本なので「オバケ」となっているが、絵のイメージはいわゆる幽霊である。「オバケは怖いけれど楽しい存在でもある」とせな氏は言っている。1969年刊行以来、読み継がれているそうだが、刊行時、渡辺松男は十代半ばだ。もしかしたらこの本を読んだ経験があったかもしれない。刊行当時でなくとも子育て時代に手にした可能性もある。もちろん、渡辺松男は自在に想像力を馳せることのできる作者なので、この本に触れていなくても闇を泳ぐ幽霊の歌など充分に作ることは出来る。しかし、この絵本に触れた経験が反映していると考えてみるのも逆におもしろいかもしれない。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 303

2024-08-21 15:08:04 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究37(2016年4月実施)
     【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、
         曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放

303 こちら向きにおみなの祈る絵をみれば祈るおみなの背後は怒濤

     (レポート)
(解釈)作者の方を向いて祈る姿をしているおみなの絵がある。その絵に向かい合っていると、おみなの背後は、怒濤だ。
(鑑賞)「怒濤」には、荒れ狂う波が描かれているのか。多分そうではなく、祈る者の背後の苦しみを感じているのだろう。このおみなになってみた作者の驚愕と同情がある。(真帆)


     (当日発言)
★レポートの「このおみなになってみた作者」というのはどういうところから出ている
 んでしょう。(鹿取)
★私はこの絵の背後に怒濤は描かれてないのじゃないかなあと思って。祈っている女性
 の絵を見ていたらだんだんと自分がその女性の中に入っていって、その女性になり
 きった時、ああこの背後は怒濤じゃないかと感じたと。(真帆)
★をみなになってみなくても、祈っている背後にはものすごい苦しみがあるんだろうな
 あと想像できますよね。(慧子)
★私が「このおみなになってみた作者」と書いたのは結句に怒濤という強い言葉をもっ
 てきて響かせているので作者が自分の実感のように感じたのじゃないかと思ったので
 す。(真帆)
★絵の背後に怒濤は無かったと思うんです。見た人の、作者の印象だと思うのです。祈
 るだとどうしても天国に向かって祈りますよね。地獄に向かって祈る人はいない。祈
 りの姿勢の中にはやっぱり背後に怒濤を抱えているのじゃないかな、と作者は見てい
 る。(鈴木)
★私はね、マリア様に向かって祈っているような状況を想像しました。暗い闇のような
 背景の絵を何回か目にしましたが、それを怒濤と言われた。作者の想像ではないか
 と。(S・I)
★前作(顎下腺胡桃のごとく腫れたるをおみなの医師の手に晒すなり)に続いて、この
 歌も「おみな」ですね。祈る姿の絵があって、その背景は具体的な怒濤が描かれてい
 てもいなくてもいいかなと思います。祈る人のこころは荒れ狂っていて、その心象を
 描けばまあ怒濤になるのでしょうね。何か祈るということの本質を表現したかったの
 かなと思います。だからマリア様に向かっていても仏様に向かっていても祈りの本質
 は同じかなと。(鹿取)

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