かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  97

2020-12-02 19:16:48 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 14  白峯  鎌倉なぎさの会 鹿取未放
                           
                          
97 西行は思いのほかにちいさくて松ならぬ杉の根かたに坐る
             「かりん」96年11月号

 白峯寺にある西行像はお地蔵様ではないのになぜかよだれかけをしている。三〇~四〇センチといったところだったか、周囲には確かに杉の木があった。作者が文庫本の西行歌集を手にして西行像と並んで座った写真を撮ったが、この歌で「坐る」と詠まれているのは西行の方である。
西行の像の縁起を寺おとこに問えばつれなくわからぬという
 昨日のブログで紹介した一連にきおの歌があったが、寺男が分からぬと言った西行像の縁起は、ネットによると崇徳上皇が亡くなって三年後に御陵を訪ねた西行が歌を奉ったことを記念して文政の頃べつの場所に建てられたらしい。しかし、この寺に安置されるに至った経緯はよく分からないようだ。現在、白峯寺にある西行像の隣には西行の歌「よしや君昔の玉の床とてもかからむ後は何にかはせむ」が刻まれた石碑が立つ。玉座にあった時の全てを忘れて死後は平安であられるようにというのだ。ちなみに、上田秋成は『雨月物語』で、怨霊となった崇徳上皇と西行との出会いをおどろおどろしく描いている。なぜ怨霊かというと、崇徳上皇は皇位争いに敗れ、保元の乱に敗れ、讃岐に流され一〇年近い幽閉の後失意のうちに亡くなったからだ。
 西行は崇徳上皇の霊を弔った後、弘法大師が修行したという善通寺の裏山に仮の庵を結び、しばらく滞在したらしい。その折りの歌が『山家集』では白峯の歌に続けられている。一首目は、松に向かってわが後生を弔ってくれと呼びかけている歌で、西行はああ言って死んだが松ではなく杉に見守られているじゃないか、というのが「松ならぬ杉の根かた」の意味だろうか。
  久に経てわが後の世をとへよ松跡しのぶべき人もなき身ぞ
                     西行
  ここをまた我れ住み憂くて浮かれなば松はひとりにならんとすらん
 ところで、馬場あき子の文庫版では削られているが私は好きなので次の歌を引いておく。西行のつれない歌とは白峯寺の歌碑にある「よしや君……」を指すのであろう。(鹿取)
  西行の白峰の歌つれなきを草生下りになりて思へり   馬場あき子

       
コメント
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