かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  140

2020-12-29 17:30:47 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 16   二〇一四年六月
     【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)60頁~
      参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:曽我 亮子   司会と記録:鹿取 未放




140 根が地下で無数の口をあけているせつなさよ明けてさやぐさみどり

      (紙上意見)
 たぶん根は昼夜を問わず二十四時間、無数の根の先からたえまなく水を吸い続ける。それを「無数の口をあけている」と表現するが、それを思えば切ない。しかし、そのおかげで翌朝には、爽やかなさみどりの葉がさやぐのである。(鈴木)

 
     (発言)      
★「根が地下で無数の口をあけている」が上手。私だったら水を吸っているとしか言えない。「切
 なさよ」でつなぐところが良い。(慧子)
★木が生きるため「根が地下で無数の口をあけている」その切ない気分はよくわかる。ただ、鈴木
 さんのように根が水を吸っているおかげで……というほどには因果関係の接続を思わないけど。
 もっと微妙な接続に思える。それから上の句ではニーチェとの繋がりとか、原罪とか存在悪と言
 ったら大げさかもしれないけど、生の根源のようなことを考えさせられる。(鹿取)


       (まとめ)
 『寒気氾濫』の小さな批評会で大井学さんが話された資料に、この歌をニーチェとの関連で読んでいるところがあるので引用させていただく。(鹿取)

   ……この相反する力の「均衡」が生きんとするものの根源的な「せつなさ」に繋がるもの
   であることが解る。「高みへ、明るみへ、いよいよ伸びていこうとすればするほど、その根は
   いよいよ強い力で向かっていく――地へ、下へ、暗黒へ、深みへ――悪のなかへ」というニー
   チェの言葉を思い浮かべるとき、さみどりの色彩は、地下の無数の口に支えられ、いよいよ高
   く、いよいよ深くその美しさと悲哀とを訴えているようだ。些か不用意かと思われる「せつな
   さ」という言葉が、やはりここで使用されるだけの作者の内面的な根拠があったことを思わせ
   る。(大井 学)

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