Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援団に捧げた青春(18)/『第63代 幹部発足』と『第32回 六旗の下に』を鑑賞

2007-10-03 19:20:13 | 応援団シリーズ化記事
またまた間が開いてしまい、このシリーズを楽しみになさっている読者の皆さん、大変申し訳ありません

色々エントリーしたい記事があるのですが…、さすがに間隔が開きすぎていますので、今日は久々ですが…『応援団に捧げた青春』シリーズの第18話をエントリーします

*************************************

『第25回 臙脂の集い』が終わり、火曜日の代休開けの水曜日か木曜日だったと思います。

その当時は、放送部にお願いして、ステージ演技のビデオを撮影していただいていましたが、「反省会」のような意味合いで、部員全員で「練習の一環」としてそれを視聴覚室で鑑賞しました。
そこで色々な感想を語っていたのは、このステージで引退となる3年生幹部の方々でしたね。
小生達1年生は、ただ黙って鑑賞していたと思います

ですが、初めて見る自分自身の映像…恥ずかしいのと同時に、まだまだ練習不足だったり、課題山積だなぁ…と漠然に思ったことを記憶しています

そして、臙脂の集いが終わった週の金曜日(『臙脂…』のビデオ鑑賞した翌日か翌々日だったように記憶しています)…。
いよいよ2年生の先輩方が幹部に就任する、「幹部選挙」が行われます。

翌週からの『第63代』を率いる2年生の先輩方は、第3希望までの役職を黒板に記入し、3年生から指名を受け、2年生の先輩お一人お一人に、その希望順位の根拠などを説明します。
これは記憶が覚束ないですが、確か、小生達1年生にも「投票権」があって、どなたを団長に推挙したいのかを、その2年生の希望の動機の説明をお伺いした後、配られた用紙に記入できたように思います。

ですが…小生達が幹部になったときもそうですが、実は「選挙」とは有名無実で、得票の多かったお方が、必ずしも団長になるとは限りません

全てが、今後の応援指導部の行く末を熟考された上で、3年生幹部同士の話し合いで、2年生の先輩方への役職を振り分けるのです

「持ちテク」も同様で、既に2年生の先輩が1年生当時から決定している「三大テク」(『勝利の拍手』と『撃滅の拍手』と『春高音頭』を指します)以外は、誰に任せたら良いか…を話し合いで決めることになります。

その間は、2年生以下の下級生は借用した放課後の教室から外に出され、3年生幹部から「入っていいよ」との指示があるまでは、ひたすら待つことになります。

ただ、「持ちテク」の割り振りは、やはり2年生の先輩の「テクの技量」も問われるので、話し合いの途中で3年生幹部が時々登場なさっては、例えば…

「O,Y,I,K…並んで、勇者(春高)やって

などと指示があり、「いいよ」という合図があるまで、3年生幹部の前でそれを披露します。

ですので、3年生幹部がお出ましになるたびに「決まったのかな」とドキドキした記憶があります。

教室から外で待たされる事1時間~1時間半くらいでしょうか…3年生幹部のお方が(どなただったかは…ちょっと記憶がないです)やってきて「入っていいよ」と号令がかかりました…。

そして…以下のように『第63代 幹部』の役職が決定しました。

【役職】
団長:T先輩
副団長:Y先輩(企画長も兼務。副団長が1人の場合は、渉外内両方も担当。)
総務兼会計長:K先輩
旗手長:I先輩
リーダー長:O先輩

【持ちテク】(記憶違いでなければ…
T先輩:校歌,撃滅の拍手(副)
Y先輩:秩父の嶺,春高ブローク,撃滅の拍手(正)
K先輩:母校よ春高,勇者春高(正),勝利の拍手
I先輩:若き血潮,赤城おろし,勇者春高(副)
O先輩:春高健児,勇者春高(副),春高音頭

この理由についても、3年生幹部から説明があり、小生は納得でしたね
(2年生の先輩方同士や、小生達1年生の他の部員はどう感じていたかは、小生には分かりませんが…。)
ただ、3年生幹部の皆さんには、それぞれがそれぞれの思いがあったようですが、最終的に上記のように落ち着いた模様です。

『第63代 幹部』の代表者として、小生を熱心に勧誘してくださったT先輩。
練習では『鬼』にならねばならないお方が、普段は穏やかにおっとりした口調でお話なさる(ですが、その話の内容は、非常に的を得ているので、誰もが納得)O先輩…。
これからの練習は、O先輩の指揮の下に行われるわけで、どんな雰囲気になるのか…ドキドキでしたね。

ただ、このシリーズのずっと後にお話しすることになりますが、この『第63代』を盛り立てていかねばならない立場にありながら、情けないことに、小生は結果的に「足を引っ張る」ことばかりしてしまう「悩ましい人材」となってしまいます。
そのことは、今でもちょっと悔いが残っていますね

それはともかく、翌週からこの新体制で、2学年で残ったメンバーで応援指導部の伝統を受け継いでいく事になります。
新たな気持ちで頑張ろうと思ったことは間違いありません


翌日は土曜日。

今年もそうでしたが、現在は6月第2週目の土曜日開催の『六旗の下に』が、当時は、6月第3土曜日の開催でしたので、OBの先輩の進言(記憶違いでなければ、紫紺の八木崎健児先輩だった様に思います)もあって、3年生も含めた3学年全員で、午前中の授業終了後すぐに部室に集合し、急ぎ昼食を摂ってすぐに、全員で日比谷公会堂へ「練習の一環」で『第32回 六旗の下に』を観覧に出かけました。

今年『六旗の下に』を鑑賞なさった読者の皆さんは、あまりの混雑振りに驚かれたと思いますが、当時はそれほどでもなく、13時30分頃の到着でも、ほぼ入り口近くに並ぶ事ができ、各大学の練習風景や、六大学の団旗が勢揃いする姿などを全員で見学に出ても、1階の前方で観覧できるほどでした
(ただ、開演時間になると、観客は当時もほぼ満員でしたが…。)

『六旗』の本番前に「拳立て伏せ」を大声を出してこなしている大学もあったりと、改めて「メジャーな存在の六大学の応援団は、厳しい…ということを凄く感じました。

見るもの全てが素晴しく、月曜日からの練習を一層頑張らないと…と気合が入ったことだけは間違いなかったですね。

とにかく、小生達が現役当時は、こうして『六旗の下に』や、『東京六大学野球秋季リーグ戦』の『早慶(慶早)戦』や(しかも、「学生席」で…これも、紫紺の八木崎健児先輩のお導きで叶った事ですが)や、当時は11月初めに行われていた『六大学の集い』等を毎年のように見学に出かけ、勉強させていただきました。
その意味では、大変恵まれていたのかもしれませんね

さて、翌週からは、普段のルーチンの練習に戻りますが、それも束の間で、引退なさった3年生幹部が「再登板」なさる、夏の甲子園に向けた埼玉大会の野球応援の厳しい練習や、小生達1年生にとっては、灼熱下での本格的な「応援指導」デビュー戦へと、話題は移っていきます。

夏の甲子園の野球応援が終わると、これまた「地獄」の5日間の夏合宿へ突入します。

その様子などを、次回以降じっくりお話しましょう
このシリーズを楽しみになさっている読者の皆さん、どうぞお楽しみに

(次回に続く)
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする