Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

2つの「おうえんしどうぶ」

2012-12-03 08:16:55 | 東京六大学応援団
昨日、慶應義塾大学應援指導部の吹奏楽団&チアリーディング部主催の「第62回 定期演奏会」に出かけた。

表題を敢えてひらがなにしたのは意味があると思っている。

一つは、もちろん慶應義塾大学の應援指導部。申し上げるまでもない。

昨日の定期演奏会でも感じたけど、直の後輩が3人(ミノル、シンイチ、ユウスケ)もお世話になり、そのうち2名(ミノルとシンイチ)がリーダー部の幹部としてこの1年間、活動してきた「母体」である。

そこに加え、この定期演奏会の実行委員長も、高校の後輩である。それに、吹奏楽団の2年生にも1名属していて総勢5名も後輩が居るのだから、そりゃ応援します。
そういう意味で、実はもう1年間続くけど、この1年間は「特別な1年間」だったし、私自身の体調が最後の「四半期」は低空飛行で若干不本意な面はあるけれど、すごく楽しめた1年間だった。それまでの4年間が長かった分、とっても短く感じた。
私事で恐縮だが、今年3月末からほぼ半年、「嵐」の中に居た。でも、その「嵐」に立ち向かう元気を頂いたのは、間違いなく慶應義塾大学應援指導部の皆さんの笑顔だった。

小山主将が、「今年は、『みんなの應援指導部』をテーマに活動してきた」と挨拶していたが、その「みんなの應援指導部」が、私だけではない、様々な方を勇気付けたり、「よし!、頑張ろう!」と前向きになれる力を与えていた気がする。その「一体感」みたいなものが、そう、それは慶應義塾の體育會をはじめ、様々な関係各位との間で築かれていたことを、改めて知ることができた。その「一体感」が、私達を確実に元気にした。

後輩である実行委員長も、大変なプレッシャーの中で昨日という日を迎えたのではないかと拝察しますが、とっても良かったよ!。本当にお疲れ様。先輩として、定期演奏会を成功させたことを誇りに思います。

二つ目は、これも「もちろん」ではあるが、我が母校である、埼玉県立春日部高等学校の応援指導部である。

我が母校は、昭和32年を境に、それ以前は「応援団」と称していた。

その昭和32年、慶應義塾大学應援指導部よりコーチをお招きして、正しいリーダー技術を学んでから、今の応援スタイルの基礎ができ、テクそのものは慶應義塾のそれがベースになっている。したがって、直の後輩3名は、そのテクを7年間しっかり培ってきた…といっても言い過ぎではないと個人的には思っている。

それ以降は、その翌年に「応援団指導部」、そのまた翌年に「応援指導部」と改称して現在に至る。

そんな大正13年創立の「輝かしい伝統」がある部活動の一員になることができ、何とか3年間続けて引退してOBになることができたことは、今になってみると「大きな喜び」である。
「文武両道」とか、我が母校において応援指導部員は「模範的な生徒」でないとならない…という点では、入学当初も卒業時も「学業は、ずっと劣等生」でしたから決して後輩の皆様に偉そうな事は申し上げられないけれど、「応援指導部を3年間続けられた」という点だけは合格点をあげても良いかな…と思っている。

話が雑駁になってしまったが、私がきっかけはいくつかある中で、最終的に自分の決断で応援指導部に入部して、OBになれたことで、その後、素晴らしい後輩達に出会うことができた。「選択は、間違っていなかった」し、「背伸びして、春日部高校に入学して本当に良かった」と思っている。そうでなかったら、不惑を迎えても、こんなに胸を熱くして、あたかも「青春」を取り戻したかのような行動はとれなかったと確信しているから。素晴らしい後輩たちに出会って、この定期演奏会に出かける…って事だってなかったはずだから。
それをしみじみ感じさせてくれたのが、慶應義塾大学應援指導部に「現役部員」として属している5人である。これは、間違いない事実。

2つの「おうえんしどうぶ」の存在…しかも決して「おうえんしどうぶ」としては「全くの他人」ではない両者…。
(その「おうえんしどうぶ」という点においては、私なりにミッションを与えられ、まだまだ研究の余地があるので、その辺を頑張りたいとは思っていますが…。)

その両方に関わることができたらもっと良かったけど、「高校」だけ関わることができたおかげで、当時が「充実していた」と感じることが改めてできた1日だった。

ありがとう、慶應義塾大学應援指導部の皆様。
ありがとう、埼玉県立春日部高等学校応援指導部。

この喜びと、「3年間関われたこと」を誇りに、これからも前進して行きます。