Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

大海原を見る自由

2011-03-31 23:59:59 | 雑感
読者の皆様、こんばんは。

管理人の、Danchoです。


今回の「東北地方太平洋沖地震」…犠牲になられた皆様の数が、一人、また一人と、増えていきます。
その度に、とても悲しくなります…。
犠牲になられた皆様のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。

そして、避難生活を余儀なくされている皆様には、まだまだ不安が続き、福島県の福島第一原子力発電所も、とってもシビアな状況です。海外では、国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル6または7に相当する程…と報じている様です。
3月17日に日付が変わり、やや、事態の深刻さが和らいだ…とはいえ、緊迫感は拭えません。
避難生活や、屋内退避を余儀なくされいる状況にある皆様に対して、謹んでお見舞い申し上げます。


更新の日付は、明日3月18日としていますが、只今、3月17日、21時05分頃です。

今日も、無事に新たな1日を迎え、ここまでつつがなく過ごせた事に、先ずは感謝です。


昨晩の事です。

私は、実はmixiにも加入していますが、その「つぶやき」に反映された、埼玉県六校応援団連盟加盟校の後輩のTwitterのツイートを拝読して、本件を知りました。

近年、こんなに感動した事がないんじゃないか…という程、激しく感動したので、拙ブログでも、是非紹介したいと思います。

(本件をご教示下さった後輩を、私は誇りに思いますし、出会えた事に感謝しています。)


今回の「東北地方太平洋沖地震」…被災地だけでなく、この「現実」を皆様で共有する動きが、顕著です。

勿論、私も、その一人です。

何故なら、2月の『日輪の下に』にも、現役諸君の「支え」になるべく出席し、その後のOB会で、会食も一緒にした、応援団(応援指導部)の後輩が、宮城県仙台市で、今もなお避難生活を余儀なくされ、「埼玉には、暫く戻らない」という覚悟で留まっているからです。
昨年、会食をご一緒させていただいた風屋さんも、大変な思いをされているからです。

もう、どこでこの様な災害が起こっても、不思議ではありません。
私も、「明日は我が身」と、緊張感を持って、1日を過ごす所存です。


そしてそれは私だけでなく、小学校から、中学校から、高校から、あるいは大学・大学院から巣立って、次のステップへ羽ばたこうとする皆様も、同じ様です。

その中の1校…。
埼玉県私立 立教新座中学校・高等学校
この学校も、高校3年生の生徒諸君、および、中学3年生の生徒諸君の卒業式が、中止になりました。

中止のご決断をなさった渡辺 憲司 校長先生の、断腸の思い…。想像を絶します。

ですが、先生の、これから羽ばたこうとする生徒諸君へ宛てたメッセージ…あまりにも素晴らしくて、感動しました。

その渡辺校長先生の、高校3年生の卒業生に向けた餞の言葉、全文引用して紹介します。
こんな力強いメッセージ…とりわけ教育現場からは少なくなりつつある昨今においては、色々な意味を持つと思います。

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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32



 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。



立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司

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言葉になりません。
繰り返しになりますが、あまりに素晴らしくて…。

私達、大人であり社会人でさえも、思わず正座して拝聴しなければ…という気持ちになるし、襟を正して、卒業して行く生徒達の模範にならねば…と思った次第です。


先生の仰る通りです。

一つ高いステップに進むという事は、それなりの「責任」が課されるのです。

その「一ステップ」の初期の段階の非常に高い壁として、学生から社会人になろうとする時であろう…とも思います。

それまでは、「学生」という肩書を社会から与えていただき、ある一定の「責任」からは「免除」されています。
しかし、社会人になる…という事は、その「免除」という殻を自ら破って、大海原に出帆する事を意味するのです。

今回の大震災は、これから羽ばたこうとする皆様には、あまりに酷な現実かもしれませんが、時には「青く、澄んでいる」筈の海が、濁って見えたり、青くは見えない事もあります。大きな波にさらわれそうになる時もあるでしょう。

私だって、まだ何かを悟った訳ではありません。
「不惑」という年齢を迎えながら、未だに迷う事多々ありです。

その意味では、皆様と一緒に、「青く、澄んだ海」を探し続ける「闘い」に、挑んでいます。


先生の仰る通りです。

誰も、「一人」で海に出かけ、「綺麗だった」等とは言えないと思います。

しかし、「海を見る自由」は、何人たりとも平等に与えられることだけは、確かです。
その「自由」をどう捉えるか…そこをずっと探し続けるのが、「人生」なのだと思います。


そして、3月17日。

中学校3年生の卒業生へ向けた餞の言葉も更新されました。
そちらも、合わせて全文引用して紹介します。

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卒業式を中止した本校中学三年生諸君へ。


 三年間の諸君らの努力が実を結び、卒業の時を迎えたことに、本校教職員を代表して心より祝福を述べたいと思います。
 又、諸君たちを見守り、支えてくれた多くの人、ことにその成長を心待ちにし、本校の教育に一方ならぬご理解をいただき、深い愛情で見守っていただいた保護者の皆さんに、心よりの敬意と感謝を述べたいと思います。
 諸君らは、これで義務教育を終え、新たな生活に入ることになります。国民の義務として行わなければならない行動としての教育状況からは、大きく変化するわけです。高校に行くことは君らの選択権によって決まったことなのです。保護者の強いサポートがあったにせよ、君らの責任によって高校進学を決定したのだと云う事を忘れないでください。
 責任に裏打ちされた行動が求められるのです。自己責任の重さは今までとは比べようがないものです。中学を卒業したということは、責任ある存在として社会から認知されたということです。
 今、日本はかってなかった、未曽有の天災の悲劇を迎えています。この悲劇を迎える諸君たちの立場も、中学時代の君たちと、今卒業してからの君達とは大きく変わったものです。社会に支えられた被保護者としての自己から、社会を支える一員として認知された存在と変わったのです。社会の一員として今この惨状を直視しなければなりません。
 旅立ち、十五歳の春。君たちは、自らの手で始めてほんの少しその扉を開けたのです。いつもの年であるならば、その扉の向こうに見えたものは、旅立ちを祝する柔らかな日差しでありました。今、社会は昨日までのものとあまりにも違います。
 歴史は、おそらく2011年3月11日を境に、平成大震災前、平成大震災後と呼ぶでしょう。諸君は、この震災の直下に、社会的存在として旅立ちの時を迎えたのです。
 生まれて100日頃を迎えたペンギンは、それまで親から口伝えでもらっていた食料を、もらえなくなり、自分で海に潜り食べ物を探します。親離れは、社会的存在となる第一歩です。諸君たちに今その時が来たのです。
 小さなペンギンのように、海に出なければなりません。海辺でヨチヨチと波に踊り、どうやって水に入ろうかと迷っているときに、かってない、親たちも見たことのないような、大きな波がやってきたのです。しかし、ペンギンに躊躇の時は与えられません。誰も背中を押しません。誰も今は危険だと引き留めてもくれません。濁流の海に泳いで生きていかなければなりません。
 今度の災害を眼前にして、私はおめでとうという言葉がなかなか出てきません。その言葉があまりに明るく、私の心を暗くするからです。しかし、今この時だからこそ、諸君に私の思いを伝えなければなりません。
 この災害が、諸君の前に提示した課題はあまりに重いものです。自然とは何か。自然との共存とは何か。ありのままの自然を残すとはいかなることなのか。防災と自然はいかなる関係にあるのか。
 原子力発電所の危険が叫ばれた時、私は何をしていたのか。どんな行動をとっていたのでしょうか。他人事のようにぬくぬくと人工の陽だまりで昼寝をしていたのです。今、悔恨・自責が脳裏をかすめます。エネルギー問題への答えも出ません。
 世界の国々から救援隊が続々やってきました。アメリカの空母が、三陸沖に派遣され、人命救護の最前線に立っています。
 平和・環境・安全など。多くの問題が私の胸中に渦巻き、いかなる問題も解決を見せていません。
 中国・韓国の隣人たちからもいち早く救援隊が駆けつけてくれました。ロシアは天然ガスの供給を提示し、今も窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来ました。世界の各国から多くの救援が来ています。
 地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考えます。
 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿がありました。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映りました。泥の海に浸り一命を取り留めた父が、家族のために生きようとしたと語っています。
 君らと同じ年代の、まさに卒業式を迎えようとしていた生徒にも、悲惨は容赦なく過酷でした。
 今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問わなければなりません。
 旅立ちを前にした諸君たちの課題はあまりに厳しく、あまりに過酷であるかもしれません。
 私たちが築いてきた価値観も大きく揺らいでいます。歴史は、進歩という名の下で、大きな過ちをおかしているのかもしれません。流れを変えるのは君たちです。未来は君たちの双肩にあります。
 純なるものを求める、十五の春の涼やかな瞳よ。
 若さと正義に満ちた若者よ。
 凛凛と眉をあげ、この難題を心に刻み、立ち向かってほしいと思います。
 今ここで卒業できることの重みと感謝を深く共に考えましょう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げましょう。
 共に共にいまここに私たちがいることを。
 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は、新たなる旅立ちを誓っていきたいと思います。
 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けました。
 被災者の人々への援助をお願いしたいと思います。もとより、ささやかな一助足らんとするものですが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためでもあります。
 2011年度立教新座中学・高等学校卒業生一同として、被災地に送らせていただきます。
 春風梅花をゆらす2011年弥生16日。

立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司

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よく考えると、今年中学校を卒業なさる皆様は、この世に生を受けたその年(あるいは前年)の1月17日に、「阪神淡路大震災」が起こったのですよね。

私達以上に、皆様は、「人間力」が試されているのかもしれません。

しかし、それを乗り越え、力に変えることができたなら、今の私よりも、ずっと力強い人間になれると思います。

私達が、社会人として「現役引退」した時は、皆様の時代です。
(でも、「引退」後の人生も、勿論悔いなく、皆様にご迷惑をおかけしない程度に、謳歌できるように、「しぶとく」暮らしていきますが。)

恐らく、渡辺校長先生の下で学んだ皆様なら、私は自信を持って「後を頼みます、頑張って下さい」と激励しながら、バトンを渡せるのではないかと期待しています。


これから一つだけ上のステップに進まれる皆様…。

私達と一緒に、海を見ましょう。

決して、「いつも綺麗」ではありませんが、「綺麗にする努力」を一緒にして参りましょう。

それが、今回の震災で、犠牲になられた皆様へ報いることになる筈ですし、今もなお、不安な気持ちで避難生活や屋内退避なさっている、被災された皆様への励ましに必ずやなる筈です。

心を一つにして、必ず「復興」させるという強い気持ちを持って、一緒に頑張りましょう!。


末筆ながら、未だ行方不明になられている皆様のご無事を、願って止みません。そして、拙文であります事、ご容赦下さい。お詫びも申し上げます。

では。


2011.03.18 21:55 追記

拙稿は、より多くの読者の皆様の目に留まる様、3月18日夜に、拙ブログの2番目に来るように、更新日付を変えました。ご了承下さい。
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