なんくるないさ~、沖縄での研修医生活

臨床研修のメッカ沖縄にあって忙しさNo.1を自負する中部徳洲会病院。スーパー研修医がリレーでつづる研修医ブログ。

ちょっといい話。

2010-02-16 23:35:44 | Weblog
2007年5月25日にブログ開設し
 今日で 998日目☆



Kです。
この辺でちょっといい話を。

あれは僕が麻酔科研修中の時です。
夜に緊急の手術が入りました。

患者は30歳台男性。
不慮の事故か何かで指の切断。
整形外科ですぐに手術開始となりました。

オペ室の看護師さんは、もちろん女性の方も多いのですが
その時担当したのは男のゴツイ感じの看護師さん2名。
麻酔は僕と指導医の男の2名。
手術は整形外科の男の先生数名。

なんと気付いたら全員男性でした。
夜中の緊急手術で、患者は若い男性。
担当する全員が男というむさ苦しい中で手術が始まろうとしていました。

まぁもちろん指の切断だったので、命に関わるものではないですが、
体動があると手術に支障をきたすため、麻酔は全身麻酔で開始することとなりました。

患者さんは奥さんと小さいお子さんが手術室の前まで見送りに来ていました。
もちろん手術を受けることも初めてだったと思います。
しかも全身麻酔。

全身麻酔では本人は完全に意識を失います。
万が一手術がうまくいかず、命に関わることになれば意識が戻らないかもしれない
という不安にも襲われるでしょう。どんな手術であっても。

患者さんが手術室に入ってきました。
手術台の上に寝ます。
周りは男だらけで、看護師さんが緊張をほぐすために声をかけました。
「夜中から手術だというのに男ばっかりでごめんなさいねぇ」

さぁ麻酔の導入です。
と、その時患者さんが

「全身麻酔だと意識がなくなるんですよねー?」
「そうですねぇ。次起きた時は手術は終わってますよー。」
「そうですか。」

たしか吸入麻酔が顔に当てられる時だったか、静脈麻酔を投与した直後だったか、
もう意識をなくすといった直後でした。患者さんから

「家族に伝えてほしいことがある」と。
「何を伝えましょうか?」


「愛していると。。」


その直後に患者さんは麻酔のため眠りにつきました。
周りで聞いていた僕らは、目頭が熱くなり、
確かに命に関わることはないかもしれないですけど
本当に気持ちが熱くなった一言でした。

最期の最後まで考える。

2010-02-16 00:28:31 | Weblog
2007年5月25日にブログ開設し
 今日で 997日目☆


キムヒロさんにかぶせてすみません。Kです。

そういやこういうコトがよくあります。
。。。
自分の担当患者さんで、もうかなり全身状態が悪い。。
肝硬変や膵炎や腎不全や感染症や、血液疾患や膠原病疾患、癌の末期。。
誰にコンサルトしてみても、そのデータでは、治ることはかなり厳しい。。
わかってはいても、最期を看取るのは自分だし、
あと何ができるんだろう?
いやその状態からでも治る人はいるんだろうか?
どうすればまた歩けるようになるんだろうか?
本人はどこまで望んでいるんだろうか?
家族は?
この病院でなければどれくらいのコトができるんだろうか?
他の病院にうつったら治ることも可能なのか?転院しても変わりはないのか?
あと何がしてあげられるのか?

もうダメかもしれないと、たとえ思ったとしても、
脈があるまで、瞳孔が散大するまで、呼吸が止まるまで、患者さんは生きているんです。
ホンマにギリギリの、もう何度もあかんと思った状態であっても、
患者さんは最期の最後まで生きているんです。
だったらその最期の最後まで何ができるかを考えまくって、
みんなに見放された状態であっても、
自分はやっぱり何かができないかを、一人ででもいいから考えぬくことで
同じ患者さんにあったときに、それが生かされてくるんじゃないかと思います。

よく思ったことは、もうあかんかもしれない。
限界かもしれないと思ったときに、その中でもう二つ三つくらい
何かできないかを考えることで、力がつくんじゃないかなぁ。

あきらめることはいつでもできます。
でも、それは本当にもう何もできない状態なんでしょうか?
本当の本当に?本当の本当の本当に?
世界中の誰かに聞いたら、あと少し何かできるかもしれないんじゃないですか?
そう思いながらギリギリを考え続けることも大切だと思います。
特に若輩な僕らであれば、なおさら。

でも患者さんや家族と密に話し合い、妥協点をみつけていくことも
もちろん大事ですけどね。