なんくるないさ~、沖縄での研修医生活

臨床研修のメッカ沖縄にあって忙しさNo.1を自負する中部徳洲会病院。スーパー研修医がリレーでつづる研修医ブログ。

目指すは上。

2010-02-09 23:35:30 | Weblog
Kです。

僕の研修医時代の同期にはありえんヤツラが同期でした。
野球部のボス/テニス部キャプテン/琉大首席/大阪市立首席などなど
88人の希望者の中から8人が選ばれたと聞いています。
その中で、オレは新品のイヤーノート2004を引っさげて沖縄に乗り込んだわけです。

当然病態は全くついていけず、アホ丸出しでやるしかありませんでした。
でもやっぱり負けたくなかったから、
オレにできることはひたすら患者を診ることでした。

当直を希望でやりまくって、救急外来で寝て、グラム染色しまくって。
でもわからんことだらけで、それを同期に聞きまくりました。

また先輩達は4人で研修していたのに対して、僕らは8人いるため
先輩達に負けないようにするために、診た患者の疾患を共有したり
救急カンファとかつくってみて、色々なことを話し合ったりしました。
逆に8人になったからER体制もできるのではと話し合い、
ERの体制が始まりました。

今度は後輩達ができたときに、自分達が何が教えられるかとか
共通のことを教えるために何ができるかなんかをひたすら考えたりしました。
強烈に覚えているのは、東京研修に行った際に
『頭部CTを撮る基準』について、後輩に教えるためにみんなで話し合ったところ
皆が撮る基準が異なっていたため、大喧嘩になりかけて、結局話まとまらず、
話が終了したのを今でもよく覚えています。

そんな同期の中で頑張ることも楽しかったのですが、
自分が選んだこの中徳自体が、まだまだかもしれないと感じるようになり、
中徳でのルーチンはできるようになって当然。
中徳をさらにパワーアップさせるためには、
中徳以外でしている良いものを、どんどん取り入れ、
さらに良い研修をする必要があると感じるようになりました。

その結果、県立中部で行っているグラム染色を積極的に取り入れ
後輩たちを群星の研修病院にどんどん研修に行かせ、カンファレンスを開きまくり、
自分が3年目になったら徳洲会の他病院へ研修に行き、
道場破りの如く、他病院を渡り歩きました。
結果、いまの救急総合診療科に繋がったと思っています。

常にいまの現状に満足することなく、
他病院にも常に眼を向けて、中徳が全国のどの位置にあるのかを意識し
中徳ルーチンを覚えるのではなく、
全国どこに行っても使える手技・知識・薬剤の使用法を学ぶことが大切です。

僕の同期はそういったことを話し合える同期だったかなぁと今でも思います。

最高の同期です。