Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

懐かしい記憶

2009-02-08 | 徒然雑記
 ああ、またあのきれいでかなわない夢をみた。

 どこかの城か寺のようなところで、その部屋は庭に面している。
庭から部屋に差し込む光は眩しく傾いていて、時刻が早朝であることを教えてくれる。町からも、建物の中からも朝の食事の匂いや音は一切せず、殆どの者がまだぎりぎりの眠りのなかにいる。

わたしは既に身なりを整えおわっていて、小奇麗な尼姿になっている。
床の間に向かって部屋のほぼ真ん中に正座をしている。夢のなかでもうひとりのわたしが、尼となっているわたしの姿を左側から静かに眺めている。

尼のわたしは溜息をつくでもなく、静かな静かな風情で帯の裏から懐刀を取り出して、俯きながらその切っ先を静かに自らの喉に当てる。もうひとりのわたしは、焦るでもなく哀しいでもなく、ただその一挙手一投足をみている。

そして、尼のわたしがくっという小さな声とともに懐刀を喉にまっすぐ差し込むと、まるで喉のところで掌を重ねてキリスト信者が祈りを捧げるような恰好になる。その一瞬のすがたがとても綺麗で、もうひとりのわたしはその姿がみたくて、尼のすることから毎回目を逸らせない。

そうして、尼が畳に崩れ落ちるよりも早くに、わたしはいつも目覚めるのだ。


 女を捨てたからとしても何かから逃げられなくて、もと居た住処から逃げ出したとしてもひとりぼっちになりきれなくて、禁忌を犯した駄目な尼。
駄目すぎて可愛くて、おまけにまた目覚めてしまったわたしをこうしてひとりぼっちにさせる、とってもずるくてきれいなひと。


あなたはわたし。
わたしはあなた。

いつになったら、あなたに追いつけるのでしょう。