Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

カレーの市民。

2009-02-09 | 徒然雑記
 大寒をすぎたというのに今日はまた酷い寒さで、僕は頭痛を引き摺りながら、まだ日暮れ前に帰途についていた。仕事にならないから早退してみたものの、日暮れ前に帰宅することはどうも慣れない。しんどいからとっとと帰ろうよという身体の訴えと、なにか気晴らしがしたいよという心の言い分を互いに聞いたところで、じゃあ少しだけ寄り道をしてから帰宅しようという折衷案に落ち着いた。

 上野公園は、ビル風の突風こそないものの、まるはだかになった木々の枝の間を冷たい風が吹きぬけて、逃げ場のない寒さであった。平日の夕暮れ間近の人通りは休日のそれとは確実に様相を呈しているものの、それなりの人出は僕の気を紛らわせるに足りていた。

 いつか暑い季節に見た大道芸人が、すぐそこにある美術館の庭にある彫像と同じ形で固まっている。観客に気付かれないようにちらちらと不自然に白く塗られた右手首の時計を確認していた。真っ白ないでたちもそのままに、この風の下でそのままほんとうに氷の像になってしまうのではないか(なってしまえばいいのに)という残酷な好奇心が僕の胸をよぎる。すかさず、僕の前に立っていた子供が、くると振り向いて僕の顔を見上げてにぃと笑った。

 木陰の曲がり角では、からっぽのベンチに向かって大きなカメラを抱えた男が地面とキスできるくらいに這いつくばって悪戦苦闘していた。愛する女をより美しく撮りたいと願うような切羽詰ったいらいらが、その背中からぽたぽたと雫のように漏れ出ていた。西日の鋭い光線が、一度、また一度とぎりぎりまで傾いてゆくその過程のどこかに、男が待ち望む瞬間がきっとある。そのからっぽのベンチに、男が憧れるなにかが多分ある。でも、彼にはくっきりと照準が絞れているほんの僅かな希望が僕には見えなくて、そして見えないものは、待てないのだ。

 ほどなく帰宅した家では、珍しく彼女が僕よりも早く帰宅していて、テレビに対してうふふと笑っていた。
「ただいま。今日は頭痛がひどくて早めに帰ってきてしまったよ。」と告げる僕に、
「帰りがけに買ってきたの。懐かしい味がしそうなだけのただの飴なんだけど、なんか珍しかったから。」といって彼女は足元に置いてあった紙袋からがさがさと白くて骨ばったかたまりを取り出した。
「ほら。ね、なかなか精巧で可愛いでしょ。」
くるりと振り向いた彼女は片手を差し出した。その掌には真っ白な「カレーの市民」の一体が置かれていた。そうして彼女は、額の前にかざしている市民の右手をぽきりと折り取ると、「はい。」と僕に手渡した。

 市民の右手には、あるはずのない腕時計の細いふくらみがあった。