私はその昔、なにをしたかったのだっけ。
「僕の夢はなんでしたっけ。」
就職活動に悩んでいる大学生を目の前にして、はて自分に夢なぞあったかな、と思う。
小学生の頃、生きているのが面倒だった。その頃、芸術というものに出逢い、絵をみているときとピアノを弾いているときだけは幸せだ、と感じるようになった。ピアノの音の向こうには、美しい絵の向こうには情念の渦巻くファンタジアがあって、その純度の高い濃縮された世界に私は逃げた。
その後、自分で絵を描こうとしてみたものの、自分の情念のそのままを絵画化することができないことに気付き、フラストレーションが蓄積されることになった。
理由は、自分の技術不足もさりながら、絵に対して不適切な用途を期待していたことにある。
まずそこに想いがあり、想いを絵にする。途中経過の絵を目にすることで自身の内に新たな想いが付加され、それを筆に落とし、その結果を見てまた新たな想いに囚われ、再びの筆を加える。その繰り返しを経て、毎度筆を置くべきタイミングを計ることができず、絵はいつも黒々と脈絡のないものとなった。
そして、なにかを映し出すという意味で絵を描くことの不可能を知り、描かれた絵は何らかの想いや現象の象徴でこそあれ、写しではないのだということをまた知った。
私は、絵具の代わりに、言葉を用いて絵を描くようになった。絵という凍った画面の中には写しきれない時間や葛藤や不整合さを包含させるには、文字のほうが相応しかった(多分それは個人的な素養であり、人によっては絵のほうがしっくりすることもあろう)。
自分が生きるのを面倒だと思わずに済むためのそれらの行為の延長線上にあるのは夢ではなく、自分が生きていくためのよすがに近いものであった。言葉はきっと私自身の心を周囲のさまざまな現象に繋げ、私の心を翌日に繋げ、私の存在を他者へ繋げてくれるものであると、そんな甘い想いを子供時分の私は抱いた。
それからというもの、言葉は私が生きるうえで失くせないお守り札のようになった。まるで信仰と呼べるほどに、今の私は言葉を失うことが怖ろしい。
このたび、初めて新聞に氏名と所属を明らかにして記事を寄稿した。
恥ずかしいので、基本的に友人知人にも内緒にしていたのだが、掲載日の朝から「読んだよ!これを契機に名前をもっと売って自分の身を助けろよ」という元同僚からのメールや、いつもいつも無理を云って困らせている調査会社の担当から「読んじゃいましたよ~。記念に切り抜いときます」という電話がきた。こそこそやっていても、四大新聞でないにしても、見る人には見付かってしまうものなのだなあと冷や汗をかいた。
新聞に寄稿することの恐ろしさは、半永続的に残ってしまうことだ。
コラムや散文なら気恥ずかしいだけで済むことだが、データに基づく分析は正確性を問われるだけになおさら恐ろしい。
現象や世相や行動原理を考える分野において、私見と分析との境界の見極めは非常に危ういところにある。100ほどある仮説のなかでまだ1か2しか文字に起こす自信のない私が、いつかその比率を高めてゆけるだろうか。
「僕の夢はなんでしたっけ。」
就職活動に悩んでいる大学生を目の前にして、はて自分に夢なぞあったかな、と思う。
小学生の頃、生きているのが面倒だった。その頃、芸術というものに出逢い、絵をみているときとピアノを弾いているときだけは幸せだ、と感じるようになった。ピアノの音の向こうには、美しい絵の向こうには情念の渦巻くファンタジアがあって、その純度の高い濃縮された世界に私は逃げた。
その後、自分で絵を描こうとしてみたものの、自分の情念のそのままを絵画化することができないことに気付き、フラストレーションが蓄積されることになった。
理由は、自分の技術不足もさりながら、絵に対して不適切な用途を期待していたことにある。
まずそこに想いがあり、想いを絵にする。途中経過の絵を目にすることで自身の内に新たな想いが付加され、それを筆に落とし、その結果を見てまた新たな想いに囚われ、再びの筆を加える。その繰り返しを経て、毎度筆を置くべきタイミングを計ることができず、絵はいつも黒々と脈絡のないものとなった。
そして、なにかを映し出すという意味で絵を描くことの不可能を知り、描かれた絵は何らかの想いや現象の象徴でこそあれ、写しではないのだということをまた知った。
私は、絵具の代わりに、言葉を用いて絵を描くようになった。絵という凍った画面の中には写しきれない時間や葛藤や不整合さを包含させるには、文字のほうが相応しかった(多分それは個人的な素養であり、人によっては絵のほうがしっくりすることもあろう)。
自分が生きるのを面倒だと思わずに済むためのそれらの行為の延長線上にあるのは夢ではなく、自分が生きていくためのよすがに近いものであった。言葉はきっと私自身の心を周囲のさまざまな現象に繋げ、私の心を翌日に繋げ、私の存在を他者へ繋げてくれるものであると、そんな甘い想いを子供時分の私は抱いた。
それからというもの、言葉は私が生きるうえで失くせないお守り札のようになった。まるで信仰と呼べるほどに、今の私は言葉を失うことが怖ろしい。
このたび、初めて新聞に氏名と所属を明らかにして記事を寄稿した。
恥ずかしいので、基本的に友人知人にも内緒にしていたのだが、掲載日の朝から「読んだよ!これを契機に名前をもっと売って自分の身を助けろよ」という元同僚からのメールや、いつもいつも無理を云って困らせている調査会社の担当から「読んじゃいましたよ~。記念に切り抜いときます」という電話がきた。こそこそやっていても、四大新聞でないにしても、見る人には見付かってしまうものなのだなあと冷や汗をかいた。
新聞に寄稿することの恐ろしさは、半永続的に残ってしまうことだ。
コラムや散文なら気恥ずかしいだけで済むことだが、データに基づく分析は正確性を問われるだけになおさら恐ろしい。
現象や世相や行動原理を考える分野において、私見と分析との境界の見極めは非常に危ういところにある。100ほどある仮説のなかでまだ1か2しか文字に起こす自信のない私が、いつかその比率を高めてゆけるだろうか。
昨日、元同僚(本文中の元同僚と同一人物かはわかりませんが・・・)が、我がことのように喜びながら、記事を見せてくれました。
今回の新聞実名掲載で、思わぬところで思わぬことに遭遇する機会を世間に提供しちゃったわけですが、
先日から継続されている、あのこととともに、今後のご活躍、期待しております。
ちょっと、強度が足りないですね…鍛えなおします。
文章、どこでしょうか?
せめて日付さえ分かれば、学校でしらみつぶしにできて助かるのですがw
個別のお返事は改めてさせていただきます。
>けんたろ~さん
「元同僚」は同期です。たぶん同一人物ですよね?
自分のことのように喜んでくれる、彼の優しい心持ちがわたしはだいすきです。
継続している「あのこと」は、正直いって結構負担です(苦笑)
定期コラムはきついですね~
>にしお
上記コメント参照のこと。
過去のものって、探せるのかな?
>カルマ
強度を高めると、ぽきっと折れるからだめだよ~
あくまでしなやかに。柔らかく包むが如く包まれるが如く。
さておき、紙面は「家宝にでもしなさい」と代表に云われました(苦笑)
>強度を高めると、ぽきっと
…今なら分かる気がします。ぽきっとですよね、本当(苦笑)
くれるよね。スキャナーで読んで、PDFでもいいよ。
日本の木造建築は、そういう意味でも非常に優れているよねぇ(笑 >ぽき
>なおや
メールしましたよん♪
今後とも成長を見守っていてください(笑
私なら30万円あったら、、、。
後No.4の路面電車の記事も良かったです。別の方でしょうが。
独身対象ではないよ。
年収は「世帯年収」で訊いています。
ただし、学生は除いてます。