当初、別々にいこうかと思っていた鉱物と金属なのだが、金属だと合金になったり化合物になったりもしてややこしいので、えぇい面倒だということで一緒くたにしてみた。こういうところにがさつさが出る。
つくば市に地質標本館というのがあって、無料で見学できる。昨年、足を骨折していた折にリハビリ代わりに内部を歩いたら、結構へとへとになった。鉱物標本のサンプル数が凄まじく、暗い部屋でガラスケースに取り囲まれている時間はなかなかに愉しかった。
【金属】
マグネシウム
今はまずないけど、やっぱりフラッシュでしょう。マグネシウム爆発。マグネシウムリボンを発火させたあの一瞬の閃光は失明の恐怖さえ感じる程に鮮やかだった。くさくさしている今日この頃、手元にあってはいけない金属だ。
ナトリウム
まず、カッターでナトリウムを切るときの感触がぞくっとする。とても肌理の細かい羊羹を切っているのに似た感覚。水面を走らせるとピンクの炎を尻尾のようにたなびかせる。短気な同級生がカッターにくっ付いたナトリウム片を振り落とそうとした為に、隣のテーブルから私の白衣にナトリウムが飛んできた。自分の腕からぼっと発火したあのビックリを忘れない。
【鉱物】
閃亜鉛鉱
別名「べっこう亜鉛」というだけあって、誠に美味しそうではないか。硫黄化合物は大抵黄色系の色彩を帯びるが、こんなに透明度の高い結晶を見ていると、昔おばぁちゃんの家にあった甘露飴を思い出してしまう。
黄鉄鉱
鉄と硫黄という大層単純な組成だが、どうやら鉄化合物と銅化合物に弱いようなので、その代表としてこれとその次の2つを挙げてみた。色が魅力的な訳でなし、結晶が出易い訳でもなし、美的な観点からは程遠いが、多分その程遠さがほっとすることもあるのだろう。
黄銅鉱
鉱物を「ミネラル」と呼んでしまうとこの鉱物の魅力は半減する。ギラギラした安っぽい金色の輝きと、手にしたときの予想を裏切るずしっとした重さがいい。金でないのに金を上回る不透明極まりない反射光。人間の感傷の入り込む余地なし。
鶏冠石
いい名前を付けたものだねと思う。光にも当てられない繊細な鉱物は地中に居る間は安全なのだろうけれど、地中に居る限りはその鮮やかな色彩は漆黒も同然だ。
最近は鶏をアップで見た記憶がないが、若冲の鶏絵を思い出してならない。
蛍石
フローライトという名でアクセサリーにもなっているが、その場合は黄色、緑、紫、ブルーなど多色の縞がよく出ている部分をカットして愉しむのが普通らしい。不思議なもので、カットされたアクセサリーになるとこの石には全く興味がなくなってしまう。存在感って恐るべきものだ。
瑪瑙
縞の美しさといったらこれ以外にない。かつては、田舎のちょっと大きめな家に行ったりするとよく玄関に飾ってあったりもしたものだ。水と気泡が内部でちゃぷちゃぷしているのが見えるものもある。これも不思議なことに、縞が両方から見えるようにスライスされていると、色つきタマネギのような気がして浪漫が失せる。
孔雀石
縞、もういっちょう。銅の化合物が持つ緑色は得意分野だ。化学室で銅の化合物を勝手に取り出しては眺めていたものだ。不透明だが艶があって、手にもしっとり馴染む。これもアクセサリーになると急にオバサン臭くなってしまうので難しい。
黒曜石
古代人も槍先に用いていた天然のガラス。うっかり触ると簡単に指先がするっと切れてしまう。急速に冷えて固まったものには虹色の輝きが生まれる場合があり、虹色部分をうまく使ってアクセサリーにもなっている。トルコの度田舎の崖で拾ってきた石は、どっかいっちゃったかな。
杉石
紫色の石は様々あるし、ぬめっとした絹糸光沢のあるチャロアイトのほうを好む人が多いが、杉石(スギライト)の結晶がハッキリしない無骨でかさかさした表面が妙に控えめで、京和紙のテクスチャを思い出させて気になるのだ。
つくば市に地質標本館というのがあって、無料で見学できる。昨年、足を骨折していた折にリハビリ代わりに内部を歩いたら、結構へとへとになった。鉱物標本のサンプル数が凄まじく、暗い部屋でガラスケースに取り囲まれている時間はなかなかに愉しかった。
【金属】
マグネシウム
今はまずないけど、やっぱりフラッシュでしょう。マグネシウム爆発。マグネシウムリボンを発火させたあの一瞬の閃光は失明の恐怖さえ感じる程に鮮やかだった。くさくさしている今日この頃、手元にあってはいけない金属だ。
ナトリウム
まず、カッターでナトリウムを切るときの感触がぞくっとする。とても肌理の細かい羊羹を切っているのに似た感覚。水面を走らせるとピンクの炎を尻尾のようにたなびかせる。短気な同級生がカッターにくっ付いたナトリウム片を振り落とそうとした為に、隣のテーブルから私の白衣にナトリウムが飛んできた。自分の腕からぼっと発火したあのビックリを忘れない。
【鉱物】
閃亜鉛鉱
別名「べっこう亜鉛」というだけあって、誠に美味しそうではないか。硫黄化合物は大抵黄色系の色彩を帯びるが、こんなに透明度の高い結晶を見ていると、昔おばぁちゃんの家にあった甘露飴を思い出してしまう。
黄鉄鉱
鉄と硫黄という大層単純な組成だが、どうやら鉄化合物と銅化合物に弱いようなので、その代表としてこれとその次の2つを挙げてみた。色が魅力的な訳でなし、結晶が出易い訳でもなし、美的な観点からは程遠いが、多分その程遠さがほっとすることもあるのだろう。
黄銅鉱
鉱物を「ミネラル」と呼んでしまうとこの鉱物の魅力は半減する。ギラギラした安っぽい金色の輝きと、手にしたときの予想を裏切るずしっとした重さがいい。金でないのに金を上回る不透明極まりない反射光。人間の感傷の入り込む余地なし。
鶏冠石
いい名前を付けたものだねと思う。光にも当てられない繊細な鉱物は地中に居る間は安全なのだろうけれど、地中に居る限りはその鮮やかな色彩は漆黒も同然だ。
最近は鶏をアップで見た記憶がないが、若冲の鶏絵を思い出してならない。
蛍石
フローライトという名でアクセサリーにもなっているが、その場合は黄色、緑、紫、ブルーなど多色の縞がよく出ている部分をカットして愉しむのが普通らしい。不思議なもので、カットされたアクセサリーになるとこの石には全く興味がなくなってしまう。存在感って恐るべきものだ。
瑪瑙
縞の美しさといったらこれ以外にない。かつては、田舎のちょっと大きめな家に行ったりするとよく玄関に飾ってあったりもしたものだ。水と気泡が内部でちゃぷちゃぷしているのが見えるものもある。これも不思議なことに、縞が両方から見えるようにスライスされていると、色つきタマネギのような気がして浪漫が失せる。
孔雀石
縞、もういっちょう。銅の化合物が持つ緑色は得意分野だ。化学室で銅の化合物を勝手に取り出しては眺めていたものだ。不透明だが艶があって、手にもしっとり馴染む。これもアクセサリーになると急にオバサン臭くなってしまうので難しい。
黒曜石
古代人も槍先に用いていた天然のガラス。うっかり触ると簡単に指先がするっと切れてしまう。急速に冷えて固まったものには虹色の輝きが生まれる場合があり、虹色部分をうまく使ってアクセサリーにもなっている。トルコの度田舎の崖で拾ってきた石は、どっかいっちゃったかな。
杉石
紫色の石は様々あるし、ぬめっとした絹糸光沢のあるチャロアイトのほうを好む人が多いが、杉石(スギライト)の結晶がハッキリしない無骨でかさかさした表面が妙に控えめで、京和紙のテクスチャを思い出させて気になるのだ。
鉱物は、野性味とでも言うのでしょうか、独特の魅力がありますよね。このリストの中では、鶏冠石、蛍石、孔雀石、瑪瑙が好きです。
面白そうですので、僕も考えてみます。かなり重なるかも知れませんがお許しください。
むしろ笑わせて頂いて、愉しかったです。
今回は化石は入れなかったのですけど、化石のロマンと鉱物のそれは共通しますよね。
思わず私も考えてしまいますが、是非リストアップしてみたいと思いますので、どうぞお待ちください!
又後ほど。。。。
↑のように言っていただけると、助かります。
ありがとうございました。
愉しく拝読いたしました。
宮沢賢治のものは、幼少時代~思春期にかけてしか読んだことがないのですけれど、サファイアとかトパーズとかがきらきらしているさまがよく出てきて、鉱物図鑑を引っ張り出してはその煌きを想像してうっとりしたものでした。
まだ実際の宝石というものを見たことがなかった頃の、あのうっとりと夢を膨らませていた記憶が蘇りました。
>seedsbook さま
早速お邪魔してきました。
最後の「偽石」いいですよねぇ。わくわくします。
科学にアソビがあった時代って素敵ですよね。
今の科学にだって決してアソビがないわけじゃなくて、アソビを失ってしまったのは我々の心持ち。