授業のあと、いい具合に暖かくなってきたので、ちょこっとチャリを走らせてプラネタリウムに行ってきた。
プラネタリウム。なんてノスタルジックな響き。リンク集などもあって、よくよく見ると全国各地にまだ結構な数で残ってはいるのだけれど、勝手な印象では絶滅危惧種?のようなものだと思っていた。
でも、ある意味、プラネタリウムは広大な宇宙への夢を与えてくれるその特殊なパワーのようなものを失いかけている。バーチャルな空間や3Dのアーカイブなどの台頭によって。
それ故か、私を含めた今回の客は、たったふたりだけだった。
それでも、たったふたりの客を前にして、プラネタリウムはいつも通りの熱心さで、お兄さんとお姉さんの掛け合い(馴れ合い?)台詞で進んでいった。中央より少し後ろの列に陣取り、上着を毛布のように首から掛けてくつろぎ度も満点、リクライニングシートを倒すと同時にドームは真っ暗になる。
オリオン座の「巨人の脇の下」ベテルギウス、「巨人の左足」リゲル。低い空に一際白く明るいエジプトの洪水星、おおいぬ座のシリウス。「涙を流す瞳」鹿に変えられた主人を探す子犬座のプロキオン。
星が見にくい東京に慣れてしまって夜空を見上げることが減り、星たちのそれぞれが名前を持っていたことを忘れていた。子供の頃、一生懸命覚えたというのに。
記憶に蘇ったのはサハラ砂漠。
リビア国土の9割を占めるサハラの奥のそのまた奥へ、旧式ランドクルーザーを駆ってゆく。道もなければ明かりもない。建物もなければ人も居ない。ひたすら、闇の中へ。厳しい自然のふところへ。
夜になり、月が昇る。
月明かりだけで、砂地に影が落ちる。光は淡く冷たく、柔らかい。
ここまで連れてきてくれた運転手である砂漠の民とともに、砂地でチャイを沸かして飲みながら、車のボンネットやポリタンク、果てはサンダルまで、音の出るものなんでも叩いて歌い、そして踊る。疲れきるまで。
私たちのくるくる廻る影が、砂地に伸びていた。
日が出るよりも前に月は沈み、徐々に私たちは闇に溶けてゆく。
度近眼の私の目に、こんなにたくさんの星が見えるだなんて、只事じゃない。
プラネタリウムを凌ぐ、地平線ぎりぎりまで続く星空。空に散りばめられているのではなくて、空を隙間なく侵食するかのように埋め尽くす星明かり。明るい星を選んで星座に繋げてみる試みなんてことごとく失敗するほどの星空。
柔らかい砂のベッドに寝転んで、朝日が昇るのを悔しく思いながらいつまでも眺めた。空までの距離も判らなくなり、地面の感触も判らなくなり、時間を悠久のゆったりさに錯覚する。ただ、広い中空に自分が浮かんで溶けて漂い、願わくはこのままこの輝かしい闇に消えてなくなってくれと望む程の充足。
あぁ、サハラに還りたい。
地球上でもっとも美しく、もっとも厳しいあの光景の中へ。
プラネタリウム。なんてノスタルジックな響き。リンク集などもあって、よくよく見ると全国各地にまだ結構な数で残ってはいるのだけれど、勝手な印象では絶滅危惧種?のようなものだと思っていた。
でも、ある意味、プラネタリウムは広大な宇宙への夢を与えてくれるその特殊なパワーのようなものを失いかけている。バーチャルな空間や3Dのアーカイブなどの台頭によって。
それ故か、私を含めた今回の客は、たったふたりだけだった。
それでも、たったふたりの客を前にして、プラネタリウムはいつも通りの熱心さで、お兄さんとお姉さんの掛け合い(馴れ合い?)台詞で進んでいった。中央より少し後ろの列に陣取り、上着を毛布のように首から掛けてくつろぎ度も満点、リクライニングシートを倒すと同時にドームは真っ暗になる。
オリオン座の「巨人の脇の下」ベテルギウス、「巨人の左足」リゲル。低い空に一際白く明るいエジプトの洪水星、おおいぬ座のシリウス。「涙を流す瞳」鹿に変えられた主人を探す子犬座のプロキオン。
星が見にくい東京に慣れてしまって夜空を見上げることが減り、星たちのそれぞれが名前を持っていたことを忘れていた。子供の頃、一生懸命覚えたというのに。
記憶に蘇ったのはサハラ砂漠。
リビア国土の9割を占めるサハラの奥のそのまた奥へ、旧式ランドクルーザーを駆ってゆく。道もなければ明かりもない。建物もなければ人も居ない。ひたすら、闇の中へ。厳しい自然のふところへ。
夜になり、月が昇る。
月明かりだけで、砂地に影が落ちる。光は淡く冷たく、柔らかい。
ここまで連れてきてくれた運転手である砂漠の民とともに、砂地でチャイを沸かして飲みながら、車のボンネットやポリタンク、果てはサンダルまで、音の出るものなんでも叩いて歌い、そして踊る。疲れきるまで。
私たちのくるくる廻る影が、砂地に伸びていた。
日が出るよりも前に月は沈み、徐々に私たちは闇に溶けてゆく。
度近眼の私の目に、こんなにたくさんの星が見えるだなんて、只事じゃない。
プラネタリウムを凌ぐ、地平線ぎりぎりまで続く星空。空に散りばめられているのではなくて、空を隙間なく侵食するかのように埋め尽くす星明かり。明るい星を選んで星座に繋げてみる試みなんてことごとく失敗するほどの星空。
柔らかい砂のベッドに寝転んで、朝日が昇るのを悔しく思いながらいつまでも眺めた。空までの距離も判らなくなり、地面の感触も判らなくなり、時間を悠久のゆったりさに錯覚する。ただ、広い中空に自分が浮かんで溶けて漂い、願わくはこのままこの輝かしい闇に消えてなくなってくれと望む程の充足。
あぁ、サハラに還りたい。
地球上でもっとも美しく、もっとも厳しいあの光景の中へ。
東京に来て、地元の女子大生が、天の川を見たことがない、というのを聞いて、そういえばこっちでは見れないなあ、と思いました。そう。天の川が見えてるか、見えてないか、それすらも気付かないくらいに私自身、星を見上げるような余裕をなくしていたのかなって思いました。
東京に住んでると、一般に言われてるより星見えるじゃんと思ってしまいますが、たまに帰省してみますと、やっぱり全く違いますね。
それを考えると、サハラの星空ってのは、500年前とかとそう変わらないくらいのものが保たれていたりするんでしょうか。ぜひ行ってみたいものです。
ちなみにこのまえ、ツレに連れられて世田谷区でプラネタリウム行ってきました。
小さな頃から目が悪かった私がはじめて天の川を見たのは天城の山奥でした。ナントカ流星群とかで騒いでいる時期とは全く無関係なときでも、じっとして空を見上げていると星が流れていくのをいくつか見つけることができました。飛行機の航路になっていることを除けば、あれも忘れられない素晴らしい空です。
きっといつか、サハラの深奥に行ってください。
砂と岩だけの地面と、その果ての地平線。
ワジに薄っすらと生える下草にこそこそっと隠れるカラフルなとかげ。
私達の足跡を影もなく芸術的に多い尽くす風紋。
風の音。
昼の強い光と熱風と砂嵐。
空だけではないんです。
「もしここで迷子になったら、飢えるのが先か?狂うのが先か?」
そんな議論が展開される美しい場所なんて、そうそうありません。
ところで、赤名リカさん(この人わかりますか?)みたいな人っていないですかね~?
欲しいんですか?
扱いを誤ると、分裂症になるタイプですよ。
媚ではなくて素であれができる人が居たら、
電柱の影からちょっと観察してみたいものです。
もしかすると、砂漠にいくより衝撃的なものが見られるかもしれません。
私の友人にもいます。
しかし我が友人は、リカさんのように
「さばけたフリが上手いけど、本当は真面目で一本気で深刻で重い」
という女性ではなく、
「修羅場と場数の経験者だからさばけちゃったけど、あくまで素直」
ですかね。
類は友で私もそれ系ですが、素直にやっちゃったらドン引きされるか、血圧急上昇ですねきっと。