Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

沈まない廃墟

2009-05-11 | 異国憧憬
 その島は、島なのだけど島じゃなくて、そこにひとつの国があったようだった。
 国が滅んだあとの遺跡が砂漠に埋もれかけているのと同じように、それは海の真ん中にぽっかりと浮かんでいた。国の名前が忘れられてしまったように、人はそのかたちを見て、軍艦島、と呼んだ。

 長崎港から端島(軍艦島)にかけては、造船と炭鉱のエリアだった。かつて、長崎市の子供たちは三菱造船の進水式が社会見学の場であり、散らばる小さな島々は海水浴のためのかっこうの場所だった。端島よりもひとつ手前にある高島はもっと大きいので、そこにはマンションや寮、映画館もあった。危険労働である炭鉱労働者の生活は優遇されていたから、高島の映画館の料金は長崎市内よりうんと安い。子供たちは漁船や高速船に乗って高島に行って映画を見たり、釣りをして遊んだ。

 もともと小さな岩礁だった端島は、人々がそこで生活できる広さまで、まるで増殖するように埋め立てられていった。地下600メートルの炭鉱、日本発のコンクリート造高層マンション、病院に隔離病棟、神社にお寺、パチンコ屋、小中学校など、火葬場以外のすべてのものを収めるための広さが必要だった。その島は住む人の生活を支え、高波や台風から護るために、軍艦のような威容を呈した。
神社のお祭りの日以外は年中無休の炭鉱の島はいつでも灯かりが点り、戦時中にはほんとうに軍艦と見誤って誤射されたという。

 わたしが生まれる2年前に、端島は生活の場として最後の日を迎え、小さな王国がなくなった。
 いまは、もう二度とあの厳しくも暖かい灯かりが点ることもない王国のほんとうの名前でその島を呼ぶ人は少ない。
「もう二度と、ここに来ることはないじゃろ。」戦前のようすを私に語り聞かせてくれた老人が、端島を離れるときに呟いた。それでも彼は、何度もカメラを懐に収めてはまた慌てて取り出すということを繰り返した。諦めと、もうひとつのなにかとの間に彼は立っていた。なにかを追いかけて捕まえたいと願うような焦燥にも似た動作で、遠ざかる端島に向かって何度もカメラを構え、シャッターを切った。

 
 決して沈むことなく朽ちてゆく軍艦の乗員は誰もいない。
まるで大きな岩陰に寄り添って休むように停泊する真っ白い小さなボートと、軍艦の甲板から静かに釣り糸を垂れる人がいるばかりで。





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3 コメント

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軍艦島の熱 (DROP)
2009-05-11 15:14:47
昔の栄えていた頃の白黒映像を観た時は、
この廃墟ツアーが解禁となった今の軍艦島を知るよりも、
はるかに興奮してしまいました。

栄枯盛衰の象徴とでもいうんでしょうか、
かなりグッときてしまいました。

ま、今の軍艦島にも行ってはみたいですけど。
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どういう形であれ (モルレン埼玉)
2009-05-13 20:59:37
軍艦島へは行ってみたい。

おじいさんの挙動、すっごいリアルでやたらと共感できるものがありますね。
ほんの少しの違いすら撮りこぼしたくないというか。
たまらんです。
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ふしぎなばしょ (マユ)
2009-05-27 14:51:32
>DROP さま

その気持ちわかります。
できれば、この島が生きていた時代の映像なり写真なりを見て、あの島の意味をそれなりにわかったうえで、今の廃墟をみてほしい。

廃墟になって、ファンタジイにまみれたまんまの瓦礫に、あの映像をオーバーラップさせてほしい。
今回は、当時をよく知るおじいちゃんがかたりべのようについていてくれたお蔭で、あの島がいのちでいっぱいだったときのさまを想像すること容易でした。


>レン玉

違い・・を撮ってるのかどうかは、私には違うように見えた。
むしろ、記憶の中のものを確認するために、記憶の中のものを失くさないために、記憶とは全く異なる今の姿を収めていたように見えた。

たぶん、その行為に論拠があるわけじゃなくて、今の写真を撮ったからって、当時の記憶が補完されたり新しく増えるわけじゃないんだけど、そうするよりほかなにもできない、みたいな焦燥をその背中に強く感じました。

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