「友達が海賊に襲われましてね。」
こんな日本語を人生のうちで使う日が来るとは思わなかった。
幼少の頃に覚える単語でも、使う機会があるとは限らない。
だって、海賊と我々の生活はかなり遠くにあるはずだから。
大学院の頃の先生が宿泊していたバーミヤンのホテルで、真下の部屋が爆撃されたとか。
イラクに取材に行った友人の車列の車が50メートル先で爆発したとか。
「爆」という言葉を文字通り使うことも、まずない。
旅行会社勤務の人にとっては常用語のひとつであるが、それはちょっと特殊な社会のおはなし。
平和な国に生きている人々にとって、海賊は御伽噺や歴史の中のおはなしで、爆発や爆撃は映画や漫画の中のおはなし。こどもの頃、我々のあたまの中にいた海賊は「ザ・海賊」のような帆船に乗って、ときには片目がなかったりとか、ボーダーのTシャツを着ていたりする。間違っても、写真にあるようなボロ漁船には乗っていないし、陸の岩陰から攻撃したりはしてこない。
(※乗員は逃げ切ったので全員無事です)
友達から送られてくるメールにはいつも、緯度と経度が記されている。 緯度と経度をPCに入力すると地図が表示されて、今どこにいるのかが数秒でわかる。これまで、海賊が出没するといわれていた海域よりもはるか北で予想外に出くわしたということもよくわかる。
こんなふうに地球の反対側と即時連絡がとれるようになるとは思わなかった。
自分の経験と技術の進歩と誰かとの繋がりによって、世界は狭くなり、匂いや音を感じるくらいの現実味を持ち、いまの私にとって地球はけっこう小さくなった。
地球を小さく感じられるようになることで、言葉が通じないことへの不安も徐々に薄らいだ。
平和があたりまえと思わなくなり、平和でない世界への根拠なき不安はなくなり、その代わりとして危険をはらむ世界での動き方や考え方を覚えた。危険はイコール恐怖に置換されるものでなく、ただの現実、環境としてそこにあることを冷静に受け止めてしかるべきもの。
乗り物酔いのひどい私が、海賊に出遭うことはさすがに今後もないだろうけど。
無事だから大爆笑もしていられるものです
まだアフリカのどこかで遊んでいることでしょう。