Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

根雨雑感。

2006-03-15 | 異国憧憬
 父親の故里は、根雨というところ。
山に囲まれた狭い狭い平たいエリアに、川に沿ってほんの少しだけ家並が連なる。家の際まで山が迫り出して、よくこんなところに急行が止まるものだと思うし、それ以前によくこんなところに住んだものだと思う。
祖父は頭を二度開いているとは思えない元気さで、祖母は驚く程白髪の増えた笑顔で、かつて幼い私を迎えたのと同じような素振りで、伯備線の振り子電車に酔ってふらふらになっている私を迎えた。

根雨には、夏がよく似合う。
旧暦の新年も明けてはやひと月、既に三月も半ばだというのに、山あいのこの町ではまだ充分に冬だ。

狭い狭い町のなかを、私は子供の頃の記憶とともに、好き放題に歩き回ることができた。出雲街道の宿場の名残を残す建物が点在する間に、数年前の震災で倒壊した家のあったさら地が歯抜けになっている。すれ違いのできない単線の線路に、すれ違いのできない道路。町で一軒の本屋に、町で一軒の町医者。町で一軒の酒屋に、喫茶店に、蕎麦屋。

すべてが、ちゃんとひとつずつ、ある。
暮らしというものは、それで充分に成り立つ。

子供の頃に駆け上った権現さんへの階段は、思ったよりも長くなかった。
山の斜面に張り付く墓地は、思ったよりも手入れがなされていた。
そして、岩を飛び込み台にして飛び込んだ淵は、記憶と同じように深かった。
魚と戯れ、魚と一緒に泳ぐことのできる清く澄んだ川は、かつてと同じ水量を湛え、同じような暴力的な音色を立ててうち流れ、かつてと同じ匂いがした。

私の慣れ親しんだ川の音と匂いは、これだ。
東京に流れる川でも、駿河の大きな流れでもない、清流の匂い。
河原に座って、目を閉じる。日差しに焼かれた瞼の裏がオレンジ色の密室のようになり、そのオレンジ色の暗闇の中で、川の流れを聴く。右耳を凝らすと、低い滝から零れ落ちる水の砕ける音が、目前からは座っている私を取って喰おうとすればきっとそれは容易いことだよと笑いながら渦を巻く音が聞こえる。左耳の遠くからは、下流に流れ去る水の音がその暴虐ぶりを少し弱めて、次のからかい相手を探しにゆく。

いきものを受け容れつつ戯れに暴挙をはたらく、澄んでいるからこそどこまでも気紛れな、わたしの川。
急流に足を掬われて傷だらけになり、滝壺に絡まって出られなくなり、そんなふうに私と遊んでくれた川。いつものように誘ってくれるけれど、夏にならないと私はそこに再び足を踏み入れることができない。

川から引いた水が町の中に張り巡らされ、全ての家々の前の水路をこれまた強烈な勢いで流れてゆく。屋根から下がる美しい凶器のようなつららを月にかざし、それがより一層切っ先を細らせながら私の手を凍らせてゆくものだから、私はそれを水路に投げ入れる。透明な剣は、その狂気を水に溶かしてその身を水に同化させながら、川へと戻ってゆく。
静かに静かに、山に囲まれた深い深い闇のなかで、水音だけがじゃぶじゃぶと響き渡る。豪雨のようにも聞こえるこの音に耳を澄ませながら、優しく激しい情熱の音に包まれながら眠るのが私はすきだった。闇の中で水と一緒になろうと願う私の身体は、まるで幼き日のように小さく丸くなっていった。



 出立の日、目覚めて階下に下りた私の靴を祖父が玄関で磨いていた。
 その背にかける適切な言葉を私は見つけることができなかった。

「次に来るときは、夏にするからね。」
そうとしか云えなかった自分を、ほんの少しだけ悔いた。







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3 コメント

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それで十分じゃない。 (葵木和寿)
2006-03-16 16:16:24
あなたは再会の約束をしたのだから。

今足らなければ次伝えればいい。



無限ではないけれど、私たちには未来があるんだよ。
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清流 (lapis)
2006-03-17 21:28:35
本当に夏が似合いそうなところですね。

滝から落ちる水の音が、聞こえてくるような素晴らしい描写でした。特に右耳と左耳から入ってくる情報の違いは、臨場感があり、とても素敵です。

月夜のつららは、美しいですね。つららというと朝のイメージが強かったので、とても新鮮な感じがしました。

ところで、このお祖父様が、サギソウを咲かせるのがお上手だという方でしょうか。

優しい素敵なお祖父様ですね。
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未来。 (マユ)
2006-03-21 15:15:08
>葵木 さま



私は哀しいかな、未来を描けない人間です。

だけども確実に、あのときの祖父の背中に、家族というものが何なのか、今までさっぱり判らなかったものがほんの少し判りかけたような気がしたのです。

だから、それを忘れないうちに。次の日を。





>lapis さま



凄い記憶力・・その通りです。

流石に冬の日に咲いている盆栽はなかったけれど、幼き日の記憶のままの鉢で、同じ風情であった柚子の木には目を奪われました。

私が夏になるときまって思い出すのは,この地の夏以外にありません。2週間弱を過ごすだけの、短いながらも濃密な、夏。



川面が懐かしくて30分ほど佇んでいたら、身体を冷やしました(笑)
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