Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

妖怪日和。

2005-08-08 | 芸術礼賛
alice-roomさんの記事に誘われて、猛暑の中を谷中まで幽霊求めて全生庵までお散歩。
なかなか良い絵が多かったので、感想をいくつか記しておく。それぞれの絵は、全生庵HP内「幽霊画ギャラリー」の番号に従う。

【NO.26】伝高橋由一 幽冥無実之図
落款がないので定かではないが、由一画としても全くおかしくないデッサン力とウイットを併せ持っているので、真作であると信じたい一品。
青や赤などの色彩で、現世に生きる人である生命感を演出している下部の女性に慕い寄る亡霊ストーカーの顔がぼんやりとしていて筆致も荒いのにリアリズムに溢れている。半開きの口、視線の明らかでない目に伸ばしかけた手。目的と手段がこんがらかってしまった哀れな妄執の形は、生者も死者も変わらない。

【NO.25】河鍋暁斎 幽霊図
荒い筆致で、顔と髪以外は朧にして殆ど描かれていない。しかし、これらの全ての幽霊画の中でもっとも響いた一作。
墨使いの上手さは並ぶものがない。強い墨で描かれた髪の表はざんばらに絡んで堅く束になってしまっているさまをよく表し、櫛の入る余地もない。そこには、細く繊細に描かれる髪の心細さとはまた違った哀れさが満ちている。
表情は静かで、涙も枯れたかに見える節目と、軽く引き結んで少し笑っているようにも見える口元が深い哀しみと諦めを湛え、うっかりしたら「どうしたの」とこちらが泪目になって問いかけてしまいそうな危うさがある。

【NO.48】高嶋甘禄 髑髏図自我賛
解説によれば、「画面下部に朽ち果ててゆくひとつの髑髏が描かれる。その頭上からすっとたち昇るように死者の霊が抜けてゆき、幽霊としての形を今まさに整えようとしている瞬間を描いた」とされる。
月よりも白く白抜きで残された魂は、今形を成さんと前後左右にふるふると震えて、大きく膨らんだりあるいは縮んだりしながら、暫くの刻を経て、ひとがたとなるのではあるまいか。死という絶対的な静の中を生きる幽霊が、動をもっていま生まれようとする一瞬は、おどろおどろしくも決して侵してはならない瞬間のように思えてくる。

【NO.23】歌川芳延 海坊主
「ぼーーー」という海坊主の声が聞こえてきそうな一品(そんな声かどうか知らないが)。
舟の進行方向に海坊主が立ちはだかっているのか、あるいは舟の後方から忍び寄っているのか。向こうが透けてみえる、表情も判らない真っ平らに塗られた海坊主の首がひょいと傾げられていて、舟に乗る人を丁度見下ろすようになっている。
ここまでにないくらい簡略化された海坊主に妖怪としての生命を宿しているのが、まさにその傾いだ首。傾いだ角度の可愛らしさと、そのほんの小さな動作によって人(舟)をロックオンするそら恐ろしさとの同居。


 因みにこの日の午後は妖怪大戦争観にいった。
この映画の見方としては・・
①主役のタダシ君の可愛らしさを見て悦に入る
②豪華キャストによる豪華キャストのための映画と割り切った上で、キャストを愉しむ
③種々の妖怪が一画面に収まっているその構図を見て(妖怪好きは)喜ぶ
といったあたりだろうか。

というわけで、妖怪尽くしの一日となったのである。