Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

拾い魔の憂鬱。

2005-08-17 | 徒然雑記
 lapisさんの記事についてお話をしていた流れで「怨霊ものはどうかね」と云われた。ふむ、と色々考えてみたものの、自分が怖くなってきたので物語系のものはやめることにした。

 白状すると、私は拾い魔で、飛ばし屋なのである。
拾い魔というのは、文字通り気付かぬうちにひょいひょいと色々なものを拾ってきてしまうことだ。そして飛ばし屋というのは、気付かぬうちにひょうと念を飛ばしてしまうことである。当方、怖い映画も見れずどんなに安普請のお化け屋敷も蝋人形館も入れない性質なので、見えないというだけで非常に有難い。拾うのと飛ばすのは、本人の注意があればある程度までは制御できるものらしいが、見える見えないについては目を閉じて歩くわけにもゆかないから始末に悪い。厄介ではあるが、最悪の事態を回避しているだけでよしとしている。

 拾い魔エピソードで我ながら笑ったのは、東京は大塚の元三業地のことだ。友人と歩いていた際、喋りながら私よりちょっと先を歩いていた友人が私に相槌を求めてふっと振り返った途端に目を丸くして一瞬黙り込み、次いでゲラゲラと大笑いする。何じゃらほい、と思っている私に向けて
「桃太郎の鬼退治じゃないんだからさー。そんなゾロゾロ連れてくんなよな~。しかも芸妓ばっか!何か騒がしいと思ったらそれかい!」
友人は「見える人」で、しかもかなりの男前であった。彼を目当てにしなを作った芸妓さん方がしゃなりしゃなりと私の後を・・・可笑しいやら呆れるやら。彼らには、友人に云い含めて貰ってお帰り願った。

まぁその後も、成田空港のレストランで塩を貰ったり、「猫いっぱい連れてて愉しそうですね」とか無責任なことを云われたりと数知れない。大方の者たちは飽きれば去っていってくれるし、基本的に空家ではないので悪いものたちはあまり寄ってこないそうで一安心しているが、それなりに注意している部分はある。

①古家具を買わない
②「なんとなくいやだ」という感覚を信じて、その場所は避ける
③理由もなく突発的に行きたくなったところに行かない
④行こうとして予定を立ててもいつも行けなくなるところに無理して行かない

こんなところ。理由については大方の察しがつくだろうので省略したい。

 次、飛ばし屋について。
自分でも自覚がないが、私はたまに「飛ばす」らしい。
簡単に言うと、私に対してある一定以上の不条理かつ酷いしうちをした人々が交通事故にあうようだ。私は人から受けた悪意に関しては案外あっさりしていて、意識的に根に持つタイプではないと思っているのだが、そうは問屋が卸さないらしい。これはあまり口外すると人々が怖れをなしてしまうことがあるので、まずもって云わないことにしている。因みに知っているだけで3人が事故っているが、それぞれ車やバイクを全損するだけで本人に別状がないので、まぁ「懲らしめ」くらいの可愛いものだと思って頂きたい。
そもそも、「私」が飛んでいるのを目撃した人がいるわけではないので、もしかしたら私の背後に居る誰か別のものが飛んでいる可能性もあるのだが。


 さてさて、寒くなったであろうか。
 それとも、笑ってくれただろうか。

因みに、私が何故だが入れない店に銀座の鳩居堂がある。
日光には今まで4度ほど計画して、まだ訪れることができていない。

 はてさて、どんな意味があることやら、ないことやら。