Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

コクトーで火傷。

2005-08-30 | 春夏秋冬
 本当なら今日、竜胆の絵を描こうと思っていたのだが、ちょっと一人遊びの度が過ぎて、土曜日に無茶な日焼けをしてしまった。外部に注意を向けることができないこんなときは、自転車に乗ってどこかにお出掛けしようにも車にまんまと轢かれてしまいそうだし、絵を描くにしても注意力の全てを対象に向けることなんてできやしない。自分の身体は骨とか筋肉とか内臓とか、そういう様々なものの合体で出来ていることくらい判っているはずなのに、今の自分にとっては自分の全てはこれ皮膚だ。皮膚しかない。

だから、無茶な日焼けの原因についてちょっと書くとともに、日焼けの前日に描いたピオーネのデッサンを代打で載せておく。ぶどうは、ちょっと実を千切ったほうが形状として面白そうだと思い、食べながら描いたので紙を汚した。
色は、気が向いたらそのうちつける。


 長時間日に焼いたら火傷になることは予め充分承知していたが、最近ちょっと相棒に放っておかれたのがつまらなかったのもあって、ちょっと自虐的な遊びをしすぎた。それは「コクトーの小説をひとつ、海辺で読み終わったら宿に戻ろう」というものだ。家族連れがきゃぁきゃぁ騒いでいる南房総の浜で場違いにも独りぼっちで寝そべって、コクトーに負わされた火傷。そりゃぁ痛くないはずあるまい。

お陰で、ツマラナイとか退屈だとか、そういうことはなくなった。
この痛いのはどうしたら緩和されるか。
痛くないように寝るには枕をどうしたらよいか。
シャワーの温度はどの程度がよいか。
身体じゅう熱いので冷房をかけたまま寝てよいか。
そんなこんなで考えることがいっぱいあって、宿では退屈せず眠りにつくことができて万事目論見通り、いたく満足をした。

翌日顔を合わせた相棒は私の様子を見て呆れて笑った。
私が無知でこんなざまになっている訳ではなく、確信犯的に自分の身体で遊ぶ厭な癖があることを知っているためだろう。だからこそ、「なんでそんなことをしたの」とは訊かれない。
誰から見ても明らかな荒療治であり馬鹿げたことなのだけれど、思考の全てが自分の身体に向かう状態は一種のカタルシスとなり得る。日焼けで自分が痛い&熱い状態は、その事実そのものも解決策もともに至極単純で、それにかかりっきりになることは退屈や下らない思考から私を解放してくれる。痛いのを緩和するために試行錯誤することを愉しんでいる。

治ったときには、すっきりさっぱり。
日焼けの跡を見て、暫く反芻して愉しめるかもしれない。
水ぶくれもしていないことだし、綺麗なテクスチャに仕上がるといいな。

(※危険ですので、子供は大人の人と一緒に遊びましょう。)