週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

大坂山口神社【逢坂】   2019.08.29

2019年08月31日 | 神社仏閣

大坂山口神社【逢坂】  奈良県香芝市逢坂5-831 御朱印は作っていません(世話人)  当神社は大和国中と河内を結ぶ交通の要所に鎮座していることもあって、『日本書紀』では崇神紀、天武紀、『古事記』に履中記にも大坂の山口の名前が出てくる。 神南備より

 

            社頭

 

              拝殿

                拝殿

 

         木造 狛犬 拝殿の左側に鎮座

                 狛犬

              狛犬(文献から)

             狛犬(文献から)

           神像 (文献から)

 

                 拝殿内

               拝殿内

                   ご神木

                磐座

本殿は三間社流造・檜皮葺で、寛永十五年(1638)の棟札と構造手法から、この時期に建立されたと考えられます。しかし、細部に室町時代後半の古い建築様式を残していることから、奈良県の指定文化財になっています。

                本殿

               本殿

                 根っこ

                西念寺

 

 

                  本堂

 西念寺 香芝市逢坂5丁目827  浄土真宗本願寺派 御朱印なし 

境内の薬師堂に像高五十六センチの木像が祀られている。堂名に示されているように薬師如来像といわれているが、傷みがはげしく何像かは不明としかいいようがない。ただ一木造の木造は、平安初期の古式を示す造像で、密教関係の仏像ではないかと思われる。そのうえ、石製の神像も一緒に祀られており、共に大坂山口神社の境内にあったと伝えられていることから、山口神社の神宮寺のものであったと考えられる。

 

 

           道中の民家 モミジアオイ

           花弁が非常に大きい

 

 

            

 

 

 

 

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大坂山口神社・穴虫  2019.08.29  

2019年08月30日 | 神社仏閣

大坂山口神社・穴虫      香芝市穴虫1499-1     御朱印は作っていません  

大阪山口神社は別に交通の要所に鎮座しているので、『日本書紀』崇神紀に「赤盾八枚、赤矛八竿を以て、墨坂神を祠れ。亦黒盾八枚、黒矛八竿を以て、大坂神を祠れ」 とあるように、墨坂神も交通の要路に鎮座して、奉られた武器を守りとして国中の境を祀る神の意味もあったようだ。鎮座しているのは穴虫峠で小丘の宮山の麓に鎮座し、信仰の意味を除けば、この山からわざわざ宮殿の用材をとると指定されるほどのことはない。 いつの間にか牛頭天王と呼ばれていたようで、素盞嗚尊も祭神となっている。神南備より

 

 

           割拝殿

                                  絵馬 安政六年      

                絵馬

 

本殿 三間社流造の銅板葺きで、文化十三年(1816年)の再建とされていますが、 寛永2年(1625年)以来の棟札が残されている

 

                  摂社

            脇の囲い

 

 

            弘法大師道と弘法井戸

                弘法井戸

            大相撲馬場組の記念碑

 

             ザクロ 途中の民家

 

 

  

 

 

 

 

 

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生石神社  2018.01.18 Archives

2019年08月29日 | 神社仏閣

生石神社 石の寶殿 兵庫県高砂市阿弥陀町生石171   一度行ってみたかったところ 奈良の友人に車で行ってもらう 石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物を神体としており、宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾とともに「日本三奇」の一つとされている。 石の宝殿は、国の史跡で横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物。水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれる。誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていない   社伝では、崇神天皇(97年)の時代、国内に疫病が流行していたとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、 「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとしている

 

   

本殿

   

前殿・本殿 山上公園より

前の巨石がご神体 山上公園より

      

 

左から加志麿・恵美須・金刀比羅・祖霊社

 

霊岩

   

本殿横

西

   

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石の宝殿 その5 2019.08.21

2019年08月28日 | 神社仏閣

石の宝殿古墳 寝屋川市打上元町1875-1   これが作られたのは仏教文化に関連して進んだ花崗岩の加工技術が到来した7世紀頃と考えられる。石棺ではなく石郭とみなすのも、火葬後、骨を容器に入れてここに納めたと推定しているからである。「I河内名所図会」によれば、このそばから金銅製の骨壷が見出されたと言う。  なお、前面左に「天岩戸大日如来」と刻んだ元禄九(1696)年の石碑がある。天照大神の岩戸隠れにちなみ、神仏習合の信仰を表すものといわれている

 

 

                             石の宝殿古墳への道

           墓室の前の羨道部分の石は長さ約2m、幅約1.4m   石槨は、上面を平坦に加工した底石(下石)の上に直径3m、高さ1.5mの内部をくり抜いた蓋石を重ねたもの

 

      天岩戸 大日如来

                                           側面

                背後

              行者堂

        石室のようなところ 役行者

             不動明王

             妙見大菩薩

              巨樹

 

 

 

 

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高良神社(打上神社) その4 2019.08.21

2019年08月27日 | 神社仏閣

高良神社 打上神社    寝屋川市打上元町              旧讃良郡に属し、江戸時代には交野郡に属していた。  打上川沿いを含め、寝屋川氏には秦氏一族に因む地名や伝承地(伝秦川勝の墓)などが点在している。 『日本書紀欽明紀』には「河内国更荒郡のウ野邑の新羅人の先祖」とか、『姓氏録』に「宇努連、新羅皇子金庭興の後」など、後期の渡来系氏族の色濃い地域と言える。

 

 

                拝殿  本殿には主祭神の武内宿禰(高良大明神)が祀られている。
拝殿からは江戸中期の宝暦年間(1751~64年)の棟札が見つかっており、拝殿両脇の灯篭は江戸初期の寛文2年(1662年)、狛犬には江戸後期の文化3年(1806年)の銘がある。

                          拝殿内

               護国社 稲荷社

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十三佛板碑・妙光寺その3  2019.08.21

2019年08月26日 | 神社仏閣

十三仏板碑 当寺の十三仏は寝屋川市にある十三仏中もっとも古いもので、雷神石と同じく「弘治3年(1557年)」の紀年銘がある。 当寺の十三仏は寝屋川市にある十三仏中もっとも古いもので、雷神石と同じく「弘治3年(1557年)」の紀年銘がある。明光寺は、もと融通念仏宗の寺院で現在は浄土宗。十三仏板碑は、寝屋川市内に残る十三仏板碑で一番古い弘治三年(1557)の紀年銘がある。  十三仏板碑(市指定文化財、室町時代後期 弘治三年 1557年、花崗岩、高さ 120Cm)  

http://inoues.net/club8/2014apr_neyagawa6.html 

                             最上部一段目虚空蔵菩薩坐像.

  二段目、向かって左から大日如来・阿閦如来・阿弥陀如来

三段目、左から勢至菩薩・観音菩薩・薬師如来

四段目、左から弥勒菩薩・地蔵菩薩・普賢菩薩

    五段目、左から文殊菩薩・釈迦如来・不動明王

 板碑 最下部 http://kawai25.sakura.ne.jp/osaka-neyagawa-myokouji.html 引用

 阿弥陀石仏、定印の阿弥陀坐像を刻む

                  傘塔婆

 

 

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明光寺 その2 雷神石  2019.08.21

2019年08月25日 | 神社仏閣

雷神石 山門横の雷神石や境内にある十三仏碑には山号や「弘治3年(1557年)」の紀年銘が刻まれていることから、室町後期には存在していた。形状、材質から石棺を再利用したもので、裏面に加工された形跡がないことから、家形石棺の身の部分と考えられています 

寝屋川市Home page より

          左・雷神石 右・寺の入口

             雷神石 

碑文の内容 

・天照山(てんしょうざん)
・天下和順日月清明(てんか わじゅん にちげつ せいめい)
・檀主安全子孫繁(だんしゅ あんぜん しそんはん
・伽藍常栄興仏法(がらん じょうえい こうぶっぽう)
・弘治三丁巳九月吉日 可信(こうじさん ひのとへび くがつ きちじつ かしん) 明光寺雷神石 [大阪府]より

 

 

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明光寺 その1 2019.08.21

2019年08月24日 | 神社仏閣

明光寺 寝屋川市打上元町31-6   

当山の創建や由緒は不明であるが、山門横の雷神石や境内にある十三仏碑には山号や「弘治3年(1557年)」の紀年銘が刻まれていることから、室町後期には存在していた。現在は浄土宗で知恩院末であるが、もとは融通念仏宗守口佐太の来迎寺の末であった。山号を天照山と号するのは、この寺の上方に位置する国史跡「石宝殿古墳」との繋がりが深かったことに由来していると思われる。 大阪再発見より

 

 

            案内板

 

                入口

                本堂

               地蔵堂

 

首無し地蔵 かつて東高野街道沿いの四ツ辻にありました。鉢かづき姫の寝屋長者の信仰が厚かったといわれています。鉢かづき姫が新しい母親に屋敷を追われ殺されそうになったとき身代わりになったと伝えられています  寝屋川市の文化財

                経塚

         内陣 天女が描かれているのは、初めて見た

 

             天女

              庫裏

 

 

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極楽寺 2019.08.21

2019年08月23日 | 神社仏閣

極楽寺  大阪府寝屋川市打上元町30-2 浄土真宗本願寺派 朱印なし 由緒不詳

 

             本堂

                                 庫裏

                内陣

 

 

 

 

 

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鉢かづき姫 東高野街道  2019.08.21

2019年08月22日 | 神社仏閣

寝屋川公園駅  寝屋川に伝わる民話の 鉢かづき姫 

道標 四ツ辻に立つ道標には、「東 なら いせミち」「南 かうや のさき 大坂みち」

      鉢かづき姫 

四ツ辻 「安政 四年巳正月 為父母 施主酒勘」とあり、安政四年(1857)に酒屋の勘兵衛さんが父母のために建立したことがわかる

 弘法井戸(打上) ほかに国松・田井・湯屋が谷にもある

 

鉢かづき姫の詳細 https://www.city.neyagawa.osaka.jp/organization_list/kyoiku_shakaikyoiku/bunkasport/bunkazai/1377994107209.html

毎日新聞 8/3 参照

 

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