弥勒谷十三仏 柳谷参詣道から、古刹「乗願寺」への岐れ道角に有る石仏。乗願寺から徒歩10分 岩壁に不動明王・地蔵菩薩・大日如来・虚空蔵菩薩など、十三仏が置かれている。江戸時代の作。十三仏信仰は、供養によって現世の安楽、極楽浄土を願うという民間の信仰で、室町~江戸時代に盛んだった
楊谷寺(ようこくじ)は京都府長岡京市浄土谷2にある西山浄土宗の寺院。独鈷水(おこうずい)の寺として、また近年は紫陽花の寺としても知られている。柳谷観音
寺伝では清水寺の開祖延鎮が806年に開山したとされ、延鎮が夢告によりこの地で十一面千手千眼観世音菩薩像を感得し、堂を建て安置したのが始まりとされる。 その後延鎮が清水寺に帰った後に空海が度々、ここで修行をした。その際に猿が瞑れた目をここの湧き水で洗っていたのを見た空海が眼病に効く独鈷水として広めたという
弥勒谷十三仏から楊谷寺への道
四脚門 雪がちらついていた
↓ 四脚門へ入る手前 両脇にある石造物
本堂
本堂
玄関
庫裏・書院
今年最後の寺参り 雪がちらついていた
西山乗願寺 京都府長岡京市浄土谷宮ノ谷4 阪急西山天王山駅から阪急バスで5分(金ヶ原口下車)徒歩40分かかるので、 交通の便悪く taxi でゆく1730円 西山浄土宗光明寺の末寺。西山の大仏おおぼとけともいう。寺縁起によれば、天延年中(973~976)に恵心僧都がこの地で修行中に阿弥陀仏の来降を拝み、その姿を写して仏像を刻み
草庵を結んだのが同寺の始まりと言う。本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代後期の作で、丈六(高さ2.8メートル)の巨像で大仏と言われ、京都府の指定文化財になっている
阿弥陀如来坐像 平安
懸 魚
御谷神社 長岡京市浄土谷宮ノ谷3 浄土谷の産土神。その創祀沿革はあきらかではない。もと、五社神社と称したが、明治になって延喜式内の御谷神社に改めた。
五社神社とは石清水八幡宮・春日大社・稻荷大社・上賀茂神社・下賀茂神社を祀ったと思われる。浄土谷は数件の民家と御谷神社・乗願寺があるだけの小さな集落谷
岩座神社 京都市左京区岩倉上蔵町302
創建は(971年)隣接する大雲寺創建のおり、石座明神を勧請して鎮守社としたのが由縁である。 以来一千年、岩倉の産土神として深く尊崇されてきた。
(1547年)兵火に社殿焼失、仝22年再興し、現社殿は四百年の風雪を経る。 (1877年)、一言神社・福善社を併祀する。
拝殿
向かって左から・左・香取・鹿嶋・稲荷社
左から・愛宕・猿田彦神社
本殿
左・十二所明神・右八所明神
鳥居東にある・三面地蔵 宮座・宮座という呼称については、神前の限られた座席を占めることのできる仲間の意味
冷泉皇后墓 夫があの精神病の冷泉天皇です、夫を恐れてほとんど里邸で過ごしたそうです。昌子内親王に仕えたのは恋多き歌人で有名な和泉式部です。
冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵
『尼寺廃寺跡』 香芝市尼寺2丁目地内
尼寺廃寺跡は,河内と大和の境にある二上山の北方,奈良盆地西縁の丘陵部の香芝市尼寺に所在する。この地には基壇や礎石が残り,瓦も多く出土していたことから寺院跡の存在が考えられていた
香塔寺 北葛城郡王寺町畠田8
創建年代は不明ですが 天保11年(1840)に聖阿上人が再興と伝わる 本尊;弥陀三尊像 他に観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、聖阿上人坐像、涅槃画像などがある 尼寺塔跡礎石を転用したと思われる石碑が境内墓地に有る
本堂
放光寺 北葛城郡王寺町本町2-6-1
聖徳太子建立46寺院の1つ片岡王寺の跡で、南面の四天王寺式伽藍であったとされる。王寺町の名前の由来となった
山門
本堂
片岡神社 北葛城郡王寺町本町2-6
『延喜式』神明帳に「片岡坐神社」とある。祭神は当初建角身命であったが、のち豊受大神・天照大神・八幡大神・住吉大神・清滝大神を祀り五社大明神と称した。
拝殿
末社 垣内四社拝殿
片岡神社元宮