週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

楊谷寺  その3 2016.12.28

2016年12月31日 | 神社仏閣

奥之院----江戸時代、第113代東山天皇の皇妃新崇賢門院(四条の局)様が何度も幼くして、お子様を亡くされて当山御本尊に、ご祈願され お生まれになったのが、第114代中御門天皇です。

奥之院

内陣

 

  書院への階段

庭園

   

    

  

          

書院 大日如来

 

二十八部衆

歴代天皇位牌 

俯瞰

 

参道

参道の左

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楊谷寺 その2 2016.12.28

2016年12月30日 | 神社仏閣

 

 

阿弥陀堂

愛染堂

あいりきさん 

護摩堂・後ろ・経蔵

護摩堂内 地蔵堂内部

手水舎    

独鈷水

独鈷水の隣に弘法大師像を祀る祠

   独鈷水の蓋

 

奥之院                                                      江戸時代、第113代東山天皇の皇妃新崇賢門院(四条の局)様が何度も幼くして、お子様を亡くされて当山御本尊に、ご祈願されお生まれになったのが、第114代中御門天皇です。天皇9才の時ご両親が崩御され、追善菩提のため造られたのが、奥之院の観音様です。向かって左側には観音様の拳属、二十八部衆がお祀りされています。

  中陽門

 奥之院階段

弁才天堂

弁天堂・淀君

眼力稲荷

        

 

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弥勒谷十三仏  楊谷寺その1 2016.12.28

2016年12月29日 | 神社仏閣

弥勒谷十三仏  柳谷参詣道から、古刹「乗願寺」への岐れ道角に有る石仏。乗願寺から徒歩10分  岩壁に不動明王・地蔵菩薩・大日如来・虚空蔵菩薩など、十三仏が置かれている。江戸時代の作。十三仏信仰は、供養によって現世の安楽、極楽浄土を願うという民間の信仰で、室町~江戸時代に盛んだった

  

  

 

 

楊谷寺(ようこくじ)は京都府長岡京市浄土谷2にある西山浄土宗の寺院。独鈷水(おこうずい)の寺として、また近年は紫陽花の寺としても知られている。柳谷観音
寺伝では清水寺の開祖延鎮が806年に開山したとされ、延鎮が夢告によりこの地で十一面千手千眼観世音菩薩像を感得し、堂を建て安置したのが始まりとされる。 その後延鎮が清水寺に帰った後に空海が度々、ここで修行をした。その際に猿が瞑れた目をここの湧き水で洗っていたのを見た空海が眼病に効く独鈷水として広めたという

  

弥勒谷十三仏から楊谷寺への道

 山道20分程で到着

四脚門  雪がちらついていた

 方位風神・雷神

 

四脚門へ入る手前 両脇にある石造物

          

本堂

本堂

狛犬  木鼻香炉 

玄関

庫裏・書院

煙り出し懸 魚

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乗願寺  2016.12.28

2016年12月28日 | 神社仏閣

今年最後の寺参り 雪がちらついていた

西山乗願寺  京都府長岡京市浄土谷宮ノ谷4    阪急西山天王山駅から阪急バスで5分(金ヶ原口下車)徒歩40分かかるので、 交通の便悪く taxi でゆく1730円                              西山浄土宗光明寺の末寺。西山の大仏おおぼとけともいう。寺縁起によれば、天延年中(973~976)に恵心僧都がこの地で修行中に阿弥陀仏の来降を拝み、その姿を写して仏像を刻み
草庵を結んだのが同寺の始まりと言う。本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代後期の作で、丈六(高さ2.8メートル)の巨像で大仏と言われ、京都府の指定文化財になっている

 

 

 

阿弥陀如来坐像 平安

   内陣

    

懸 魚

ニャンコのお出迎え

 

 御谷神社 長岡京市浄土谷宮ノ谷3  浄土谷の産土神。その創祀沿革はあきらかではない。もと、五社神社と称したが、明治になって延喜式内の御谷神社に改めた。
五社神社とは石清水八幡宮・春日大社・稻荷大社・上賀茂神社・下賀茂神社を祀ったと思われる。浄土谷は数件の民家と御谷神社・乗願寺があるだけの小さな集落谷

 

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山住神社  2016.12.23

2016年12月27日 | 神社仏閣

山住神社 京都市左京区岩倉西河原町
桓武天皇が平安京を囲む東西南北の磐座に魔界封じとして配した平安京四岩倉(磐座)の一つ。巨大な自然石を神々の降臨の場とする古代信仰の貴重な遺跡です。現在は石座神社の御旅所となっている

 

拝殿

 古代信仰の遺跡 祠の中に立石,後ろの巨石が磐座

御神体の岩

水盤北にある石仏集会所

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岩座神社  2016.12.23

2016年12月26日 | 神社仏閣

岩座神社 京都市左京区岩倉上蔵町302
創建は(971年)隣接する大雲寺創建のおり、石座明神を勧請して鎮守社としたのが由縁である。 以来一千年、岩倉の産土神として深く尊崇されてきた。
 (1547年)兵火に社殿焼失、仝22年再興し、現社殿は四百年の風雪を経る。  (1877年)、一言神社・福善社を併祀する。

 

拝殿

  

向かって左から・左・香取・鹿嶋・稲荷社

左から・愛宕・猿田彦神社

本殿

左・十二所明神・右八所明神

東社西社左・福善社・西社

    左・熊野・貴船・出雲神社

鳥居東にある・三面地蔵  宮座・宮座という呼称については、神前の限られた座席を占めることのできる仲間の意味

実相院宮墓地

 (左)健宮墓、(右)峯宮塔

中)義延親王墓、(右)義周親王墓 

冷泉皇后墓 夫があの精神病の冷泉天皇です、夫を恐れてほとんど里邸で過ごしたそうです。昌子内親王に仕えたのは恋多き歌人で有名な和泉式部です。

冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵

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大雲寺旧境内  2016.12.23

2016年12月26日 | 神社仏閣

大雲寺  京都市左京区岩倉上蔵町(いわくらあぐらちょう)305  京都バス岩倉実相院下車
天禄2年(971年)に円融天皇の勅願寺として創建され、最盛期には数十の堂舎と千人以上の僧を擁していた洛北屈指の名刹 

 

本堂

  内陣

   本尊

寺の入口左道路沿い・中納言藤原卿髪

芭蕉句碑・い佐ゝらは雪見爾こ路ふ處まて

『源氏物語』<若紫>の舞台となった「北山のなにがし寺」のモデルには、いくつかの候補地がある。そのうち、有名なのは京都市左京区にある大雲寺旧境内と鞍馬寺のふたつが挙げられる。

 閼伽井  

不動の滝

不動明王妙見菩薩

閼伽井堂

   

     

 

 

 

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実相院  2016.12.23

2016年12月25日 | 神社仏閣

実相院 京都市左京区岩倉上蔵町121 
鎌倉時代の(1229年)、静基僧正により開基された。当初は現在の京都市北区紫野にあったが、応仁の乱を逃れるため現在地に移転したとされる。室町時代末期までに多くの伽藍等が戦火で焼失し、江戸時代初期に足利義昭の孫義尋が入寺。母古市胤子が後陽成天皇の後宮となった関係で皇室と将軍徳川家光より援助を受けて実相院を再建した
本堂は東山天皇の中宮、承秋門院の女院御所を移築したものであり、四脚門・車寄せも御所より移築されたものである

 

 

本尊・不動明王 鎌倉

 

 

   

本堂

 

客殿

庭園

  

   

 客殿 

比叡山を借景とする庭園

  

 

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岩倉具視幽棲旧宅 2016.12.23

2016年12月24日 | 神社仏閣

岩倉具視幽棲旧宅  京都市左京区岩倉上蔵町100
岩倉具視は、京都から追放されたことから、1864年から1867年まだの3年間を岩倉村で密かに暮らした。明治維新における王政復古に力を注いだ幕末、明治期の代表的な政治家です

         

鄰雲軒

玄関

  内部   炊事場

 石碑中庭 岩倉使節団・1871~1873年 

遺髪碑   

 

対岳文庫

  

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尼寺廃寺跡 香塔寺 法光寺 片岡神社 2014.08.06 Archives

2016年12月22日 | 神社仏閣

尼寺廃寺跡』   香芝市尼寺2丁目地内
尼寺廃寺跡は,河内と大和の境にある二上山の北方,奈良盆地西縁の丘陵部の香芝市尼寺に所在する。この地には基壇や礎石が残り,瓦も多く出土していたことから寺院跡の存在が考えられていた

  

   出土品

 

 

 香塔寺 北葛城郡王寺町畠田8 
創建年代は不明ですが 天保11年(1840)に聖阿上人が再興と伝わる 本尊;弥陀三尊像 他に観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、聖阿上人坐像、涅槃画像などがある 尼寺塔跡礎石を転用したと思われる石碑が境内墓地に有る

  

本堂

    塔路盤 エナガ先生より引用

 

 

放光寺 北葛城郡王寺町本町2-6-1
 聖徳太子建立46寺院の1つ片岡王寺の跡で、南面の四天王寺式伽藍であったとされる。王寺町の名前の由来となった

山門

本堂

不動堂不動明王栄観音桜花庵     

軒丸瓦・軒平瓦

 


 

片岡神社  北葛城郡王寺町本町2-6
 『延喜式』神明帳に「片岡坐神社」とある。祭神は当初建角身命であったが、のち豊受大神・天照大神・八幡大神・住吉大神・清滝大神を祀り五社大明神と称した。

  

拝殿

末社 垣内四社拝殿

片岡神社元宮

末社 賢岡神社

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