週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

吉備姫 高松塚 石舞台 天武持統天皇陵 2010.04.08 Archives

2015年09月28日 | 神社仏閣

 

 

埋蔵文化財

  

  

石室解体前の高松塚古墳

『日本書紀』の(626年)五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は、蘇我馬子を指している 

    

 552年仏教公伝 

 

  持統天皇・春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山

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一休寺 2011.10.16 Archives

2015年09月25日 | 神社仏閣

一休寺 酬恩庵は京都府京田辺市にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は霊瑞山。本尊は釈迦如来。枯山水の石庭や一休和尚の木像のほか、納豆の一種である「一休寺納豆」でも有名。1456年に一休宗純が草庵を結んで中興し宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で酬恩庵と号した。
その後、一休は(1481年12月12日)、88歳で亡くなるまでをここで過ごし臨終の際には「死にとうない」と述べたと伝わる。

総門

  

     

開山堂

枯山水  

  

   

一休禅師の墓

 

方丈

 

 

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大阪城 多門櫓・千貫櫓・乾櫓・焔硝蔵 特別公開

2015年09月23日 | 神社仏閣

連休の最終日 外人客も多く 天守閣は長い行列で入らなかった。 26~27日まで                  特別公開されるのは、多門櫓、千貫櫓、乾櫓、焔硝蔵の重要文化財4件。千貫櫓と乾櫓は大阪城内最古の建築物だ。1615年の大坂の陣で豊臣大坂城落城後、徳川幕府がただちに再築工事に取り掛かり、1620年の第1期工事で建造された。今から395年前だ。徳川政権の威信をかけ、豊臣大坂城を上回るスケールをめざした徳川大坂城初期の威容を体感できる  700円 

多門櫓

 懸魚

鯱瓦

多門櫓から  天井

 外壁武者だまり

 鯱瓦  石落し

  

       

大阪迎賓館

  

金の茶釜

秀吉

    

桜門

桜門・枡形巨石

大阪市立博物館

西の丸庭園入り口

 

 

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王陵の谷(南河内郡太子町) 2011.04.10 Archives

2015年09月22日 | 神社仏閣

推古天皇陵  大阪府南河内郡太子町大字山田に ある磯長山田陵  西暦593年、日本最古の女帝として即位。死後、その遺言によって、先に亡くなられた御子、竹田皇子と一緒に葬られたとされている。現在、推古天皇陵と伝えられる御陵は、太子町山田の南端にある東西59メートル、南北55メートルの大方墳です。

 

 

小野妹子の墓
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚がある。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物。妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、池坊流の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されている。 

小野妹子の墓

 

科長神社  南河内郡太子町山田3778 
科長神社は、平安時代の『延喜式』という書物に記録された、いわゆる式内社と呼ばれる由緒のある神社で、級長津彦命(しながつひこのみこと)、級長津姫命(しながつひめのみこと)など8柱を祀るために、八社大明神とも呼ばれている。社宝には神功皇后が使用したと伝える雛形の小さな兜がある

本殿

 

鹿谷寺跡  奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院。中国大陸には敦煌や龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られるが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、我が国では二上山山麓以外には知られていない。寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されており、かつてこの周辺から日本最古の貨幣といわれる、和同開珎が出土している

   

石窟如来三尊仏(国史跡)

舎利孔

 

二子塚古墳
推古天皇陵の南東200メートルに位置する二子塚古墳は、方墳を2基つなぎ合わせた双方墳という珍しい形式を有している。東西の墳丘それぞれに、ほぼ同形同大の横穴式石室があり、石室の使用石材の隙間や表面に漆喰を充填塗布している。また蓋の縄掛突起が退化したカマボコ形を呈する家形石棺がそれぞれの石室に納められている。地元には本墳こそが本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵であるとする言い伝えがある。

   

 

 

 

 

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和歌山城 2015.09.19

2015年09月20日 | 神社仏閣

和歌山城 和歌山市一番丁  天守閣 410円
和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀とする。本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城である

      

   

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和歌山 三社参り 伊太祁曽神社 2015.09.19

2015年09月20日 | 神社仏閣

伊太祁曽神社(いたきそ) 和歌山県和歌山市伊太祈曽558
御鎮座の時期については明らかでないが、『続日本紀』の文武天皇(702年)の記事が初見になる。古くは現在の日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を明け渡したと社伝に伝える。その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷座し、713年に現在地に遷座したと伝えられる。

   

櫛磐間戸神社

 

拝殿

拝殿

中央

本殿

本殿 歌碑

気生神社

 手水舎 龍神 

 

おさる石

たまの模型

 

 

 

 

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和歌山 三社参り 竈山神社 2015.09.19

2015年09月20日 | 神社仏閣

竈山神社 和歌山市和田438  貴志川線 竈山駅 (徒歩約10分)
「竈山」とは『古事記』『日本書紀』に見える地名で、両書では神武天皇(初代)長兄の彦五瀬命(五瀬命)が竈山に葬られたという。当社はその彦五瀬命の神霊を祀る神社であり、本殿の背後には彦五瀬命の墓と伝える竈山墓(かまやまのはか、宮内庁治定墓)がある

 

墓への道

 彦五瀬命・墓

 彦五瀬命

参道

神門

拝殿

境内社

本殿

本殿

庫裡

 電車ポスター彼岸花

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和歌山三社参り 日前神宮 國懸神宮 2015.09.19

2015年09月20日 | 神社仏閣

日前神宮(ひのくまじんぐう) 國懸神宮(くにかかすじんぐう)  和歌山市秋月365 貴志川線-日前宮駅下車
創建-神武天皇2年 紀元前659年?)) 両社とも式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社 2万坪の境内 西側に日前神宮(ひのくまじんぐう)、東側に國懸神宮(くにかかすじんぐう) 日前宮は二つの宮の総称

 

 神楽殿天道根神社

天道根神社天道根神社邦安神社

日前神宮

日前神宮・本殿

   

中言神社・左中言神社・右

 

國懸神宮

本殿

たま電車 いちご電車・貴志駅周辺の特産品であるいちごをモチーフにした  

 

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玉置神社 谷背の吊橋 2015.09.15

2015年09月16日 | 神社仏閣

玉置神社 奈良県吉野郡十津川村玉置川1                                                         十津川温泉の先の「折立」から神社までは12km
Mr.Iさんの車に乗せてもらって、神社まで4時間                                                           玉置神社は元々、神武天皇の東征のとき、熊野あたりから上陸して北上するとき、現在の玉置山で兵を休め、”十種の神宝[とぐさのかんだから]”のうちの「玉」をここにおさめて(玉を置いて)大和の国の礎にしようとしたところから始まると言われます。玉置山、玉置神社の名の由来はここにあります。神社は総けやき材で作られていて、社務所・台所は、重要文化財になっています。ふすま絵は、杉の一枚戸で狩野派の華麗な絵が描かれています 

熊野三山「奥之院」を買き込んでもらう

 

神紋州浜(すはま)

 

悪魔退散・御神符 玉置神社の符 「熊野成る 玉置の宮の 弓神楽 弦音すれば 悪魔退く」っていう暗号らしい初めて知った  創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています

参道入り口

     

本社・鳥居

本社

若宮社神武社大日堂

樹齢三千年

 

 

社務所---玉置神社の社務所として、現在使用されている建物は、旧高牟婁院[たかむろいん]で文化元年(1804)の建築である。書院造りで、背面は懸造(いわゆる吉野建)で内部は中央に10部屋をとり、周囲に縁をめぐらしている。 部屋の仕切りは杉の1枚戸で、60数枚あり狩野派の狩野法橋・橘保春の筆によって、華麗な花鳥図等が描かれている。 社務所・台所は昭和53年(1978)県指定、昭和63年(1988)国指定有形重要文化財となった

        

  

三柱神社

出雲大社玉置教会

末社・玉石社-- 古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた玉石は、 玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座します。 社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残しています。 玉置神社の基となったのが、この玉石社と伝えられ、玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっています

玉石神社入り口       磐座  

参道・木の祠

和泉式部参詣記念 古来より熊野三山奥宮として信仰が厚く、数々の行幸があると伝えられる。両側の(写真)石塔は、後白河院、和泉式部参詣記念として建てられたものである。

 

  

 

 

 

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国常立神社 天岩戸神社 天香山神社 2011.02.05 Archives

2015年09月13日 | 神社仏閣

国常立神社  橿原市南浦町326
天香久山山頂に鎮座している 十市郡の式内社「天香山坐櫛真命神社」とする説がある       祭神;国常立命くにとこたちのみこと  (日本書紀に出てくる一番初めに出現した神様、古事記では天御中主)境内社として高オオ神(竜王神)を祀る

高龗神社と国常立神社

 

天岩戸神社   橿原市南浦町772
天香具山は大和三山の内でも、もっとも神聖視されてきた山です。三輪鳥居の後ろにはご神体は4個の巨石岩穴がありこれを御神体とします玉垣内には真竹が自生し7本竹といい毎年7本づつ生え換わります

本殿の裏山

磐座

 

 

天香山神社  橿原市南浦町608
正式名称には天香山・坐・櫛真智命・神社といい、式内大社とされている古社です。御祭神:櫛真命(くしまち)櫛は奇(不思議)真は兆(占い)の古語で、占いの神様です。本殿の左右にある小さな末社は、春日神社と八幡神社。
天香具山は、天津神が住んでいる高天原に通じる山で、当時は天から降ってきた山と思われていた。この山の土で造った土器を祭ればすべて意のままになると言われていた。

左右は春日神社と八幡神社

   

  

赤埴の聖地の碑

 

 

 

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