週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

吉田神社  2016.09.27

2016年09月30日 | 神社仏閣

吉田神社 京都市左京区吉田神楽岡町30
 貞観元年(859年)に中納言藤原山蔭が奈良の春日四神を勧請し、平安京の鎮守神として吉田山に祀ったのが神社の起源とされているようである。
 かつて、皇室の崇敬厚い神社として、また、藤原氏の氏神三社の一つとして大いに栄えたという。後に、神職吉田兼倶が神道を創設し、大元宮を造営して以来益々隆盛を極め、吉田流神道の総本家として絶大な権威を持つに至ったといわれている   

 神丘に啼く鶯の﨟たけて・鈴鹿野風呂

枝うつりほがらに呼ばふ小鳥らと詣でに来つれ神います丘

  祖霊社

  

 

拝殿

神楽殿

神楽殿

社務所・幼稚園の運動会が行われていた

中門

本宮

    拝殿内

拝殿内

本殿

神楽岡社さざれ石

神鹿

神龍社竹中稲荷今宮社拝殿

今宮社   

表参道

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大豊神社 宗忠神社  2016.09.27

2016年09月29日 | 神社仏閣

大豊神社 京都市左京区鹿ヶ谷宮ノ前町1
大豊神社は(887年)に宇多天皇の病気平癒を願って藤原淑子が創建したと伝えられている。創建された頃は背後の椿ヶ峰という山の中にあって椿峰山天神(ちんぽうざんてんじん)と呼ばれていたが、(1017~1021)に今の所へ移されたと伝えられている 
全国にある約8万社の神社のうち、狛ネズミがあるのはここだけ

 

  神水

拝殿

 庫裏

本殿

  稲荷社

大黒社

  

 

 

宗忠神社  京都市左京区吉田下大路町63
黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社である。京都および、黒住宗忠の生地で黒住教の本部のある岡山にある。

 

   

本殿

  

本殿   

   

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熊野若王子神社 瀧宮神社 2016.09.27

2016年09月28日 | 神社仏閣

 行く途中の永観堂

 

 

拝殿

 

瀧宮神社への道

        

   

        運搬レール

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池坐朝霧黄幡比売神社 2012.08.04 Archives

2016年09月25日 | 神社仏閣

池坐朝霧黄幡比売神社                                        
磯城郡田原本町法貴寺504  PK-法起寺にあり (いけにいますあさぎりきはたひめ )、初瀬川沿の、森の中に鎮座 推古帝24年(615)聖徳太子草創の法貴寺伽藍を賜った秦氏が その祖神守り神として崇敬した古社。
 天慶9年(946)に北野天満宮より菅原道真公を勧請、相殿 古来より「法貴寺天満宮」と呼ばれ 法貴寺(長谷川氏の氏寺)の鎮守として信仰をあつめていた。

      

拝殿

        

本殿   

奥門瑞垣外右側の境内社 スサノオ・事代主 

波知久麻明神社、市杵嶋社,琴比羅社

 

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道成寺  2014.03.01 Archives

2016年09月24日 | 神社仏閣

道成寺 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
(701年)、文武天皇の勅願により、義淵僧正を開山として、紀大臣道成なる者が建立したという。別の伝承では、文武天皇の夫人・聖武天皇の母にあたる藤原宮子の願いにより文武天皇が創建したともいう(この伝承では宮子は紀伊国の海女であったとする)。宮子姫伝説--「海人と天皇」梅原猛・中巻 page21
これらの伝承をそのまま信じるわけにはいかないが、本寺境内の発掘調査の結果、古代の伽藍跡が検出されており、出土した瓦の年代から8世紀初頭には寺院が存在したことは確実視されている。1985年に着手した、本堂解体修理の際に発見された千手観音像も奈良時代にさかのぼる作品である

本堂

千手観世音菩薩・本尊国宝

本堂回廊の掛け軸 右端が宮子姫

護摩堂念仏堂大宝殿

安珍塚釣鐘

道成寺抄

 円通殿 十王堂

十王堂内奥之院道成寺鐘月光菩薩

日光菩薩・国宝釈迦如来十一面観音毘沙門天

五劫思惟阿弥陀如来

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西方寺 宇流冨志祢神社 宝蔵寺 宗泰寺  2016.09.21

2016年09月23日 | 神社仏閣

西方寺 三重県名張市南町476
寺伝によれば室町時代の(1462)心蓮社光誉上人の開基で、初めは西方庵という念仏道場で、土地の豪族徳地家から篤く信仰、帰依されていました。下って(1636)藤堂高吉が名張に来住後、自家の菩提寺は平尾の徳蓮院と定めましたが、妻の慶法院や重臣小沢宇右衛門、小野三左衛門らをはじめ多くの家臣が当寺に帰依して菩提寺と定めました。

  

   

本堂

本堂

観音堂

      

 

宗  泰  寺  名張市元町412番地
山号寺名 長寿山宗泰寺 融通念仏宗 本  尊    十一尊天徳如来(観音堂本尊 揚柳観世音菩薩)
融通念仏宗は浄土教の宗派のひとつで、平安時代末期の(1117)に天台宗の僧良忍が大原来迎院で修行中、誰もが速やかに仏の道に至る方法(速疾往生)の偈文を阿弥陀如来から授かり開宗したもので、大念仏宗ともいわれます。そして宗泰寺は三重県下における同宗の唯一の寺院です

本堂

  

 

 

 宇流冨志祢神社 うるふしね 三重県名張市平尾3319
伊賀国・名張郡鎮座の式内小社で伊賀式内25座の1座。祭神:宇奈根命
配祀:武甕槌命、經津主命、姫大神、天兒屋根命他  三代実録に清和天皇の貞観15年(873)に宇奈根命、従五位上を授かるとあり、春日神が祀られる以前、宇奈根という神が祀られていた。宇奈根とは全国の地名にある言葉で、用水を流す水路のこと。祭神の宇奈根命は涌水や用水の取り入れ口や取水口に祀られ水や穀物を守護する神様です

 境内社山王権現

拝殿

拝殿

拝殿内

本殿

  興玉松尾神社

興玉松尾神社本殿 

 

宝蔵寺 名張市平尾3232
「天武天皇勅願寺にして…」と『伊賀記』に記され、さらに聖武天皇のとき、僧行基をして法蔵阿弥陀仏を刻ませてこれを安置すると伝える古刹です。また、奈良興福寺文書に興福寺末と記され、古くは法相宗であったともいわれています。但し、旧記類を欠くためその創建の由緒の詳細は不明です。

本堂

 庫裏       

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弥勒寺 名張 2016.09.21

2016年09月22日 | 神社仏閣

弥勒寺 三重県名張市西田原2888 拝観料500円
近鉄名張駅西口から①番乗場「上野市行きバス」13分「田原」下車 380円 西へ徒歩約7分 バスの便少ない Taxi--1400円  住職・常駐していない 案内人のおばさんがいてる
   
「重要文化財の仏像と間近でツーショットが撮れる」と、里山の小さな古刹が人気を集めている。三重県名張市西田原の弥勒寺(岩本善雅住職)は本堂内で自由に写真を撮影でき、“仏像の宝庫”としてネットで紹介されるなど、ファンの間で隠れた名所となっている 毎日新聞を見て行ってみた  東京や沖縄からも来るらしい                        http://mainichi.jp/articles/20160917/k00/00e/040/304000c 

 

パンフ 遠景   

本堂

     奉納画

仏像撮影可

 

内陣

薬師如来・本尊 

薬師如来

   

倶利伽羅龍王

持国天

十一面観音

役行者

後鬼

不動明王

聖観音立像

弥勒菩薩

増長天

涅槃図

 

 

 大師像   

春日神社 由緒不明

春日神社 弥勒寺の右隣にある

 

社務所

    

 

 

 

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弘法大師堂 蝉丸神社分社 逢坂の関跡 月心寺 2016.09.15

2016年09月20日 | 神社仏閣

弘法大師堂

常夜灯、台座が車石でできている

内部

  

 

蝉丸神社分社  滋賀県大津市大谷町23-11
当社は天慶九年、蝉丸を主神としてまつられている。蝉丸は盲目の琵琶法師であり、音曲芸道の祖神として平安末期の芸能にたずさわる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものである。その後、万治三年、現在の社が建立され、街道の守護神である猿田彦命を合祀している 

    拝殿から本殿

 

拝殿

本殿

    

車石  

    

大谷茶屋

 

 

逢坂山関跡碑と常夜燈
逢坂関は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝のため、平安京を守る軍事施設の役目を担った時期もありました。平安時代の末期まで、東海道の鈴鹿関、東山道の不破関とともに有事の際、多数の兵が派遣される重要な関として位置づけられていました。

 「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の関はゆるさじ  清少納言

  

 

月心寺 滋賀県大津市大谷町27-9  不定期に開店
日本画家である橋本関雪の所有した寺院、庭園および併設の別邸等の一帯をさす、臨済宗系の単立寺院であるが、元は古くから遺されていた相阿弥の作と謂われる「走井庭園」があり、その周囲には走井を源として茶屋が点在していたという。
 蝉丸法師、小野小町、松尾芭蕉、明治天皇、高浜虚子などに縁のある場所という伝えもあり、 敷地内にそれぞれの旧跡が遺されている。瑞米山月心寺は、逢坂の関を少し京都に進んだ南側に所在する、

   持仏堂

明治5年(1872)創業の老舗「かねよ」はあります http://www.kaneyo.in/index.html 

以下Homepageより

御座所走井庭園

夢白軒大谷駅

 

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安養寺 蝉丸神社上社  2016.09.15

2016年09月19日 | 神社仏閣

安養寺 浄土真宗本願寺派寺院(蓮如旧跡)。862年創建。開基は五世天台座主・智証大師円珍で、かつては天台寺門宗(三井寺)の円満院門跡に属していた。
 国重要文化財・阿弥陀如来坐像(平安後期)所蔵。貞観4年(862)智証大師円珍による創建と伝わっている

 

  

本堂

本堂

阿弥陀如来・重文

世人立聞観音

    

 

 

蝉丸神社上社 滋賀県大津市逢坂一丁目 20
(822年)に小野岑守おののみねもりが坂の神様として山上(=上社)、山下に祀ったのが創建 
幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山にお捨てになった。此の世で前世の罪業の償いをする事が未来への扶けになるとあきらめた宮も孤独の身の上を琵琶で慰めていた。

   

 

 

拝殿

拝殿

本殿

 

本殿

 本殿彫刻   龍鼻

  

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蝉丸神社下社 2016.09.15

2016年09月18日 | 神社仏閣

蝉丸神社下社   滋賀県大津市逢坂1丁目15-5                                上社(旧称関大明神蝉丸宮)と下社(旧称関清水大明神蝉丸宮)からなり、また当神社の分社となっている蝉丸神社と3社を併せて蝉丸神社と総称することもある。  
(822年)に小野岑守が旅人を守る神である猿田彦命と豊玉姫命を逢坂山の山上(上社)と麓(下社)に祀ったのに始まるという   平安時代中期の琵琶法師・歌人である蝉丸が逢坂山に住み、その没後上社と下社に祀られるようになった。天禄2年(971年)には綸旨を下賜され、以後歌舞音曲の神として信仰されるようになった  

 

 

拝殿

拝殿

本殿

    

本殿内

  回廊

関の清水   

関清水蝉丸神社貴船神社

「逢坂の関の清水に影みえて今やひくらん望月の駒」(紀貫之)

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸

木の間もる月あをし杉十五丈  子規

蝉丸の学びの宮ぞ春の風

近松も小町もめでし山桜  淳

社務所能面    

   

  小町 「都路に出でて物を乞ふ。乞ひ得ぬ時は涙の関寺へ帰る」という悲しい姿に描かれている

小町塚がひっそりたち、石面に刻まれた「はなのいろは うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしに

延命地蔵

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