道成寺 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
(701年)、文武天皇の勅願により、義淵僧正を開山として、紀大臣道成なる者が建立したという。別の伝承では、文武天皇の夫人・聖武天皇の母にあたる藤原宮子の願いにより文武天皇が創建したともいう(この伝承では宮子は紀伊国の海女であったとする)。宮子姫伝説--「海人と天皇」梅原猛・中巻 page21
これらの伝承をそのまま信じるわけにはいかないが、本寺境内の発掘調査の結果、古代の伽藍跡が検出されており、出土した瓦の年代から8世紀初頭には寺院が存在したことは確実視されている。1985年に着手した、本堂解体修理の際に発見された千手観音像も奈良時代にさかのぼる作品である
本堂
千手観世音菩薩・本尊国宝
本堂回廊の掛け軸 右端が宮子姫
道成寺抄
西方寺 三重県名張市南町476
寺伝によれば室町時代の(1462)心蓮社光誉上人の開基で、初めは西方庵という念仏道場で、土地の豪族徳地家から篤く信仰、帰依されていました。下って(1636)藤堂高吉が名張に来住後、自家の菩提寺は平尾の徳蓮院と定めましたが、妻の慶法院や重臣小沢宇右衛門、小野三左衛門らをはじめ多くの家臣が当寺に帰依して菩提寺と定めました。
本堂
本堂
観音堂
宗 泰 寺 名張市元町412番地
山号寺名 長寿山宗泰寺 融通念仏宗 本 尊 十一尊天徳如来(観音堂本尊 揚柳観世音菩薩)
融通念仏宗は浄土教の宗派のひとつで、平安時代末期の(1117)に天台宗の僧良忍が大原来迎院で修行中、誰もが速やかに仏の道に至る方法(速疾往生)の偈文を阿弥陀如来から授かり開宗したもので、大念仏宗ともいわれます。そして宗泰寺は三重県下における同宗の唯一の寺院です
本堂
宇流冨志祢神社 うるふしね 三重県名張市平尾3319
伊賀国・名張郡鎮座の式内小社で伊賀式内25座の1座。祭神:宇奈根命
配祀:武甕槌命、經津主命、姫大神、天兒屋根命他 三代実録に清和天皇の貞観15年(873)に宇奈根命、従五位上を授かるとあり、春日神が祀られる以前、宇奈根という神が祀られていた。宇奈根とは全国の地名にある言葉で、用水を流す水路のこと。祭神の宇奈根命は涌水や用水の取り入れ口や取水口に祀られ水や穀物を守護する神様です
拝殿
拝殿
拝殿内
本殿
宝蔵寺 名張市平尾3232
「天武天皇勅願寺にして…」と『伊賀記』に記され、さらに聖武天皇のとき、僧行基をして法蔵阿弥陀仏を刻ませてこれを安置すると伝える古刹です。また、奈良興福寺文書に興福寺末と記され、古くは法相宗であったともいわれています。但し、旧記類を欠くためその創建の由緒の詳細は不明です。
本堂
弥勒寺 三重県名張市西田原2888 拝観料500円
近鉄名張駅西口から①番乗場「上野市行きバス」13分「田原」下車 380円 西へ徒歩約7分 バスの便少ない Taxi--1400円 住職・常駐していない 案内人のおばさんがいてる
「重要文化財の仏像と間近でツーショットが撮れる」と、里山の小さな古刹が人気を集めている。三重県名張市西田原の弥勒寺(岩本善雅住職)は本堂内で自由に写真を撮影でき、“仏像の宝庫”としてネットで紹介されるなど、ファンの間で隠れた名所となっている 毎日新聞を見て行ってみた 東京や沖縄からも来るらしい http://mainichi.jp/articles/20160917/k00/00e/040/304000c
本堂
仏像撮影可
内陣
薬師如来・本尊
倶利伽羅龍王
後鬼
不動明王
涅槃図
春日神社 由緒不明
春日神社 弥勒寺の右隣にある
社務所
弘法大師堂
常夜灯、台座が車石でできている
内部
蝉丸神社分社 滋賀県大津市大谷町23-11
当社は天慶九年、蝉丸を主神としてまつられている。蝉丸は盲目の琵琶法師であり、音曲芸道の祖神として平安末期の芸能にたずさわる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものである。その後、万治三年、現在の社が建立され、街道の守護神である猿田彦命を合祀している
拝殿
本殿
逢坂山関跡碑と常夜燈
逢坂関は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝のため、平安京を守る軍事施設の役目を担った時期もありました。平安時代の末期まで、東海道の鈴鹿関、東山道の不破関とともに有事の際、多数の兵が派遣される重要な関として位置づけられていました。
「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
月心寺 滋賀県大津市大谷町27-9 不定期に開店
日本画家である橋本関雪の所有した寺院、庭園および併設の別邸等の一帯をさす、臨済宗系の単立寺院であるが、元は古くから遺されていた相阿弥の作と謂われる「走井庭園」があり、その周囲には走井を源として茶屋が点在していたという。
蝉丸法師、小野小町、松尾芭蕉、明治天皇、高浜虚子などに縁のある場所という伝えもあり、 敷地内にそれぞれの旧跡が遺されている。瑞米山月心寺は、逢坂の関を少し京都に進んだ南側に所在する、
明治5年(1872)創業の老舗「かねよ」はあります http://www.kaneyo.in/index.html
以下Homepageより
安養寺 浄土真宗本願寺派寺院(蓮如旧跡)。862年創建。開基は五世天台座主・智証大師円珍で、かつては天台寺門宗(三井寺)の円満院門跡に属していた。
国重要文化財・阿弥陀如来坐像(平安後期)所蔵。貞観4年(862)智証大師円珍による創建と伝わっている
本堂
本堂
阿弥陀如来・重文
世人立聞観音
蝉丸神社上社 滋賀県大津市逢坂一丁目 20
(822年)に小野岑守おののみねもりが坂の神様として山上(=上社)、山下に祀ったのが創建
幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山にお捨てになった。此の世で前世の罪業の償いをする事が未来への扶けになるとあきらめた宮も孤独の身の上を琵琶で慰めていた。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
蝉丸神社下社 滋賀県大津市逢坂1丁目15-5 上社(旧称関大明神蝉丸宮)と下社(旧称関清水大明神蝉丸宮)からなり、また当神社の分社となっている蝉丸神社と3社を併せて蝉丸神社と総称することもある。
(822年)に小野岑守が旅人を守る神である猿田彦命と豊玉姫命を逢坂山の山上(上社)と麓(下社)に祀ったのに始まるという 平安時代中期の琵琶法師・歌人である蝉丸が逢坂山に住み、その没後上社と下社に祀られるようになった。天禄2年(971年)には綸旨を下賜され、以後歌舞音曲の神として信仰されるようになった
拝殿
拝殿
本殿
本殿内
小町 「都路に出でて物を乞ふ。乞ひ得ぬ時は涙の関寺へ帰る」という悲しい姿に描かれている