磐余稚桜神社 桜井市池之内字宮地1000 稚桜(わかざくら)名の由来は履中紀三年十一月、天皇は皇妃とともに磐余市磯池に両枝船を浮かべて船遊びを楽しんだ。 膳臣余磯が天皇に酒を献じたとき、桜の花が舞い落ちてきた。「咲くべき時季でないのに咲いた。いったいどこの花だろうか。」 不思議に思った天皇は、物部長真胆連(もののべのながまいのむらじ)に命じて探させた。長真胆連は探し回って、やっとのこと掖上(池上?)の室で見つけ出し献上した。 天皇大いに喜び即座に宮の名を磐余稚桜宮と名付け、長真胆連の姓を稚桜部造と、余磯を稚桜部臣と改めた。 NETより
社殿
絵馬
本殿
本殿
三宝大芸荒神
金比羅大権現
石碑
摂社
摂社 八坂神社
神社より東を見る
http://kamnavi.jp/as/osanasakura.htm 参考 神南備