週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

法輪寺 2010.11.07 Archives

2016年07月30日 | 神社仏閣

法輪寺 生駒郡斑鳩町三井1570
聖徳太子の子である山背大兄王が太子の病気平癒を祈るため、622年に建てた、とする。今一つの説は『上宮聖徳太子伝補闕記』および『聖徳太子伝暦』(延喜17年・917年、藤原兼輔著)に見えるもので、創建法隆寺の焼失後、百済の開法師・円明法師・下氷新物(しもつひのにいもの)の3人が建てたとするものである。

 昭和三十二年、父が小説で描いた谷中天王寺の五重塔焼失を目撃した幸田文は、後年、落雷によって焼失した奈良法輪寺の三重塔の再建に奔走する。このとき、斑鳩町に仮住まいし、再建を見守った。

 

金堂

妙見菩薩

  

以下Post card より

十一面観音

吉祥天    薬師如来

三井井戸  

三井瓦窯跡   生駒郡斑鳩町三井東山639 
法起寺西側の尾根丘陵の【瓦塚2号墳】後円部の西側斜面に在る

白鳳時代(7世紀末~8世紀初)に法隆寺や法輪寺の瓦を焼いた窯です

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葛城一言主神社 2010.11.13 Archives

2016年07月29日 | 神社仏閣

葛木坐一言主神社 御所市森脇432 
祭神は、一言主大神。「記紀」によれば、雄略天皇が葛城山で猟をしたとき、同じ様相をして天皇と全く同じ所作で同じ言葉を発するものが出現し、恐れてこれを拝したのが一言主といわれます。
拝殿前には県下最大の銀杏の御神木「乳銀杏」があり、また境内には「神武天皇が土蜘蛛を封じこめたという石(蜘蛛塚)」があります

 

  

本殿

拝殿

    

稲荷社

 

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上宮寺  春日神社  2012.11.03 Archives

2016年07月27日 | 神社仏閣

 上宮寺 正式には上宮皇院 高市郡明日香村上居(じょうご)587
石舞台古墳の東側高台にある集落 (浄土宗) 「 」が正式名 上居の地は聖徳太子生誕地の伝承が有る 「聖徳太子が少年時代に、上宮寺から谷の向こうの花畑というところまで馬に乗って往復した。」との言い伝えがある  本尊;阿弥陀如来像  

     

 

 

春日神社 
高市郡明日香村大字上居516番  上宮寺より170m 徒歩2分
飛鳥坐神社のたったひとりの宮司さんが兼任 

  高台にある集落のさらに上方の森の中に鎮座しています
 上居(じょうご)地区の氏神です 以前は気都倭既神社に合祀されていました 明治12年に分祀独立しました 祭神;天児屋根命 明治42年に平尾神社を合祀しています

拝殿

  

本殿

  礎石?  

西方面

 

 

 

 

 

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妙顕寺 2016.07.21

2016年07月26日 | 神社仏閣

妙顕寺 京都市上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514
日蓮の遺命を受け、京都布教中の日像が後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺を建立した。京都における法華宗の根本をなす寺院となった
その後、備前法華の祖と仰がれる大覚を輩出し、法華宗の発展に大きく寄与することとなった

    

 「四海唱導之霊蹟」の石碑 

礎石

小門

総門

本堂

内陣

  光琳墓標

 

三菩薩堂

神堂・尊神堂

鐘真窟

  橋が崩れて坊主が流されているのを、雲上人が助けに来るという構図 慶中大菩薩・本殿

玄関庫裏四海唱導

寺務所内

 

等伯

 

勅使門

   釈迦堂    

芙蓉

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宝鏡寺 妙蓮寺  2016.07.21

2016年07月25日 | 神社仏閣

宝鏡寺 京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
寺へ入った皇女へ御所から人形が贈られてきたため、多くの人形を保存しています。そのため人形の寺として知られるようになり、一般からも供養として人形が納められるようになった。このことから『百々御所(どどごしょ)』とも称されている

 

本堂

 

大玄関 彫刻

拝殿 庫裏

唐門

 説教石

武者小路実篤

人形塚

 

百々橋の礎石

 

 

妙蓮寺 上京区寺の内通大宮東入妙蓮寺前町875
妙蓮寺は鎌倉時代の僧日像によって創建された。日像は日朗(日蓮の高弟)に師事し、後に日蓮の遺命を受けて帝都における布教に努めた

   

   

玄関

庫裏

衝立 

本堂       

十六羅漢の石庭

  本妙院  

芙蓉

 

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本法寺  2016.07.21

2016年07月24日 | 神社仏閣

本法寺  京都市上京区本法寺前町617
1463年地蔵ヶ原にて、焼いた鍋を頭に被せる酷刑を受け、後に「鍋かぶり日親」と称されている。
絵師長谷川等伯は本法寺10世・日通と交友があり、塔頭教行院を宿としていた。このため、当寺には等伯の作品やゆかりの品が多数伝来している   百寺巡礼・五木寛之 本法寺が載っている

 

仁王門

 玄関唐門

  

日蓮の「日」

 

寺務所

開山堂

教行院

経蔵

多宝塔

多宝塔

本堂

    

   

    狛猪 北辰殿光悦手植えの松

 

 

涅槃図

      鎮宅霊府大黒天

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妙覚寺 2016.07.21

2016年07月23日 | 神社仏閣

妙覚寺  京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は具足山。塔頭が三院ある(善明院、實成院、玉泉院)
妙覚寺は1378年、日実によって創建された。日実はもと妙顕寺の僧であったが、教義や後継問題をぐる寺内の意見対立のため同寺から離脱し、小野妙覚の外護により、四条大宮に妙覚寺を建立した。実質的な創立者は日実であるが、妙覚寺では日像を開山、日実を4世としている。寺は1466年、近隣の本覚寺と合併し、寺域を広げる。1483年には足利義尚の命により、二条衣棚(現・京都市中京区)に移転した

参拝図 

 

  

大門

本堂

 

    

寺務所

玄関

三菩薩題目笠塔婆  墓所

實成院玉泉院善妙院

華芳宝塔堂  本堂の奥には、日蓮聖人が比叡山で法華経一巻を写経し、石造の塔に収めたという石塔と、その石塔を収める木造多宝塔を収めた華芳宝塔があります。

  華芳宝塔

 

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上御霊神社  2016.07.21

2016年07月22日 | 神社仏閣

御霊神社  京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495  京都市営地下鉄烏丸線鞍馬口駅下車、徒歩3分
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この時に慰霊された御霊は崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使(藤原仲成)・橘逸勢・文屋宮田麿らであった。この御霊会が当社および下御霊神社の創祀であるとしている。

 

鳥居 東

南鳥居

南門

  随神像 

   芭蕉1690年 半日は神を友にや年忘れ

      

拝殿

本殿

 本殿

舞楽殿

絵馬殿

厳島神社神明神社

     

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益田の岩船  2010.12.11 Archives

2016年07月20日 | 神社仏閣

益田の岩船  奈良県橿原市白橿町8 
岡寺駅の西1km  橿原ニュータウンの一角。白橿南小学校の西の丘陵地。白橿近隣公園にある

 

   

格子状の溝が刻まれている。この刻みは石の整形のために作られた人工的なもの
東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル(北側)の台形状で、東西の側面はほぼ垂直に切り立っている
この溝に1辺1.6メートル深さ1.3メートルの方形の穴が、1.4メートルの間隔を開けて二つくり抜かれている。岩の重さは約160トンと推測され、かつては他から運ばれて来たという説もあったが、現在では最初から今の場所にあったと考えられている。
また、下部には深さ10センチほどの格子状の溝が彫られているが、表面を平にするための加工法と見られる。

有力説   横口式石槨の古墳
横口式石槨の建造途中で石にひびが入っていることが分り放棄されという説。その後別の石を使って完成したものが、岩船から南西へ500メートルほど行ったところにある牽牛子塚古墳であるという。東側の穴と違って、西側の穴には水がたまらない事からも亀裂が入っている事がわかる。現在では最も有力視されている説だが、決定的な証拠は無い。

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補陀落山寺  2014.11.12 Archives

2016年07月19日 | 神社仏閣

補陀落山寺 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮348
補陀洛渡海で知られる当寺は、仁徳帝の御代に印度より裸形上人が熊野浦に漂着し、熊野各地を巡 歴の上、開かれたという。
那智七本願の一寺として隆盛をきわめるが、文化五年(1808)の台 風で諸堂塔が破壊された。その後、仮本堂が建てられたが、現在の建物は平成2年(1990)1 1月に再建された、室町時代様式の高床式四方流宝形型である。 御本尊三貌十一面千手千眼観世音菩薩は平安後期の作

 

本堂

内陣

補陀落渡海船 曼荼羅図大樹

十一面観音

 平維盛と平時子の供養塔

虚空蔵菩薩

普賢菩薩

文殊菩薩

十一面千手観音

不動明王広目天持国天 

   

拝殿

本殿

熊野三所大神社

   

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