週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

週一菜園 御霊神社(木津)へゆく

2013年11月28日 | インポート

本日の作業
・キヌサヤ、エンドウ-家で育てた苗を植え替える ・アスパラガス-古株を除去、腐葉土と牛糞を入れる
・キャベツの巻が遅い ・ハクサイ、ダイコン、聖護院カブ、生姜、二十日大根、下仁田ネギ---収穫

御霊神社  木津川市木津宮ノ裏285 PK-路駐                                                『勧請記』によると 清和天皇貞観18年(876)天下太平悪気防護の守護神として創立 享保年間(171636)に再建され、御霊神社と称される 宮座-神事執行に際して、氏子内部で独占的機能をもつ集団

 御霊宮拝殿拝殿の両脇は宮座拝殿内宮座本殿は三間社流造で、南北時代の建立と考えられ、重文稲荷社 木鼻

安福寺 京都府木津川市木津宮ノ裏274 神社の左に位置する PKあり                                  平重衡の菩提を弔うために建立されたお寺 本堂は哀堂(あわんどう)とも言われる
本尊;阿弥陀如来坐像(平安時代) 境内にある【十三重の石塔】は 東大寺を焼き討ちした罪で木津川河原で処刑された平重衡の供養塔

    哀堂

お寺から少し離れたところに、重衡の首洗い池がある 解りにくい 神社で落ち葉の掃除をしていた青年に案内してもらった

  柿が生っていた 池の形はなく草が生えていた

 

 岡田国神社  京都府木津川市木津大谷105 PKあり

「斉明天皇五年(659年)九月、生国魂尊を祀ったのに始まると伝えられる。生国魂命と菅原道真を主祭神とし、八幡神(気長足仲彦命 ・気長足姫命・誉田天皇)を配祀する 昭和58年、4万坪の境内地の一部が日本住宅公団に買却され、その代金によって新社殿が建立された。隣の敷地には旧社殿一式もそのまま 残されており、本殿・拝殿・舞殿・観覧殿と当時の姿を残している 

 『三代実録』に貞観元年(859)に岡田鴨神らと共に従五位上を授けられている。  JR線を跨ぐ参道が造られている。   現社殿は江戸時代の建立で、神殿(本殿、相殿)を一段高い所に置き、その下の広場に能舞台を囲むように拝殿や南北詰所がある。これらは南山城における室町期の惣社の姿を起こすものと言う。

 神社までの参道     拝殿 本殿板絵旧社殿旧社殿

 

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上賀茂神社 貴船神社 2013.11.22

2013年11月24日 | インポート

上賀茂神社 京都市北区 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)                                                                                     由緒 神代の昔、本殿の北北西にある秀峰神山に御光臨になり、天武天皇の御代(678年)に現在の御殿の基が整えられた。歴代皇室の御崇敬は特に篤く、行幸啓も数多くあり、国家の重大事には必ず奉幣御祈願があった。

   細殿・立砂本殿・権殿 舞殿手水舎楼門前の玉橋土屋橋本神社幣殿片岡社  社務所内

貴船神社 京都市左京区 全国に約450社ある貴船神社の総本社 水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。
  バスから貴船川    奥の院への道入り口奥の宮  奥宮本殿UP本宮  川のライトアップ大天狗

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東寺初層特別開扉・上賀茂・下鴨・貴船神社参拝 2013.11.22

2013年11月24日 | インポート

クラブツーリズム バスツアー バス3台 どの場所も平日なのに大賑わい                                   東寺初層特別開扉 京都市南区  

  南大門  五重塔・初層の天邪鬼初層金堂講堂瓢箪池ピラカンサ

下鴨神社 京都市左京区                                                              賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

   本殿・国宝東本殿西殿楼門 さざれ石相生社橋殿神服殿唐門舞殿出雲井於神社御手洗川と輪橋井上社鴨川

 

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高鴨神社(再訪) 2013.11.20

2013年11月21日 | インポート

高鴨神社 御所市大字鴨神1110 PKあり 前回参拝 2012/02/28                                        本日は境内社を中心に見て歩いた    この鴨神の集落にある高鴨神社は、京都の上賀茂神社、下鴨神社の本家にあたる由緒正しい神社。本殿は三間社流造りで、国の重要文化財に指定。祭神は天孫降臨神話の国譲りに登場する神で、大己貴命(大国主命)の子で迦毛大御神とも称され、「葛木の鴨の神奈備」に座し、皇孫の守護をした神            また、ここは日本サクラ草の名所で、その種類の多さには定評がある  高鴨神社は全国加茂(鴨・賀茂)社の元宮であり、当神社主祭神・迦毛大御神を祀る神社は、北は青森県から南は鹿児島県まで全国に約300社あります
 

 拝殿拝殿内拝殿と本殿氷室池舞台?県指定・重文・東神社西宮西宮UP西佐味神社佐味護国神社八幡神社一言主神社猿田彦神社稲荷大明神祓戸神社 左より 佐味護国社大山祇社春日社雷社細井社西佐味神社

                                                                                  

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葛城古道 2013.11.20

2013年11月21日 | インポート

風の森神社 御所市鴨神下 PKなし 高鴨神社を東に行くと国道24号線に出る。そこを少し西に入った旧高野街道筋の「風の森」と呼ばれる小さい森に風神を祭った志那都彦神社(正式名)がある 五穀の実りと風水害を避けるべく祀られたと案内板にある

 道中の途中にある地蔵さん案内板  下にある一般の墓欠けた宝篋印塔

六地蔵 御所市櫛羅(くじら) 鴨山口神社に車を停めて旧道の坂道を葛城山に向かって歩く約10分  「櫛羅(くじら)」の地名は、葛城山を急激に下る土砂崩れの「崩れ」に由来するといわれている 灌漑が発達していない時代には、田畑を潤して多くの恵みをもたらす葛城山の清流も、土砂崩れをしばしば発生させた。六地蔵巨石も室町時代に発生した大土石流でこの地に流れ着いたといわれている、向かって右から天上道(日光菩薩)人間道(除蓋障菩薩)修羅道(持地菩薩)畜生道(宝印菩薩)餓鬼道(宝珠菩薩)地獄道(壇蛇菩薩)

  

笛吹神社 正式名 葛木坐火雷神社  奈良県葛城市笛吹448 PKあり 
御創建は神代とも神武天皇の御代とも伝えられるが詳らかでない。古代には笛吹を職とする笛吹連一族の氏神で、一族の祖神である火雷大神(ほノいかづちおおかみ)と、天香山彦命(あめノかぐやまひこノみこと)を祀り、天香山彦命は、天照大神が天岩戸に籠った時、天香久山の天波々迦木、または竹を切り取り笛を作って吹鳴らし、また金を掘って八咫鏡を鋳造した神です

      境内ロシアの大砲拝殿拝殿内本殿境内社古墳開口部 被葬者不明・6世紀初頭

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井光神社 金剛寺 2013.11.14

2013年11月16日 | インポート

井光神社(いかりじんじゃ) 吉野郡川上村大字井光349  PKあり    

 神話に出てきそうな神社                                                                                                                      神武天皇が宇陀から吉野へ巡幸時、人が居て井戸の中から出てきた その人は体が光って尾があった
 天皇は「お前は何者か」と問うと「国津神、名は井光」と名乗ったと言う 御神体は十三体、一つは井光神(立石とされる)、十二は十二社権現と言う

                                                                                                                                                                             「井光(いかり)という村は、ふりあおぐような山の天辺にあり、よく人間が住んでいると思うが、古代の道は尾根伝いを通ったらしく、神武天皇が尻尾の生えた人間に会ったのは、他ならぬこの井光の地であった」白洲正子

 

            

 

金剛寺 (神之谷)吉野郡川上村神之谷126 神之谷公民館前に駐車場あり5台 目的地までだいぶ迷った                              無住の寺  後南朝の中心となった古刹 (高野山真言宗) 妹背山 大乗院「金剛寺」 天武天皇の白鳳時代に大峯山の開祖・役行者の開基と伝えられる
元は「那珂寺」と言い、大峯山上奥之院とも号されます 本尊;地蔵菩薩(抛げ地蔵・川上地蔵とも呼ばれる) 瓦葺き入母屋造りの本堂は前面二間が吹き通しになった珍しい造りです
 本堂の奥に南朝最後の皇子自天王と忠義王を祀っている 寺の前には由緒を記した「自天王碑」 境内には自天王と忠義王の陵墓や牛頭天王神社と自天親王神社がある 収蔵庫には国の重要文化財の自天王遺品等が有る  高野山真言宗寺院で、後南朝菩提所としても知られている。この寺には、宮内庁の後南朝墓所、自天親王神社や後南朝の遺品の収蔵庫がある。本尊の地蔵菩薩は役行者が造って大峰山から投げたとされ、「投げ地蔵」と呼ばれている

「柏木から、林道のようなせまい道を登ると、金剛寺の裏手の山へ出る。吉野川をへだてて、柏木、神之谷などの村が見渡され、南朝の皇子がかくれるには、絶好の地形のように見える」白洲正子

   香炉  閻魔王 閻魔堂と南帝陵南朝の再建を図った後南朝の最後の指導者堂内  本堂軒下赤鬼 白天親王神社境内に鎮座する。元無格社宝物殿・菊の紋河野宮墓木造地蔵菩薩立像御南朝の遺品 NETより

旅行中人と会ったのは桜木神社で男性1人、中社で男女2人のみであった。

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天照寺 薬師堂 小川城主の墓 2013.11.14

2013年11月16日 | インポート

天照寺 薬師堂  奈良県吉野郡東吉野村大字小754 朱印やってません  近所に停められる                     集落の高台に曹洞宗南泉山「天照寺」がある。鎌倉期の1280年代この地方を治めていた小川氏の菩提寺として創建され、小川氏治世の頃から万民豊楽を祈願し毎年彼岸に法要が行われていたが、1580年代(天正年間)火災により本堂が焼失し、その後、小川郷内各寺院の持ち回りで行われるようになり、その懴法(せんぼう)法要は今日まで続いている。その間、1644年(正保元年)万安英種和尚により再興され、真言宗から曹洞宗に改宗した。薬師堂:県指定文化財 1584年 茅葺

 本堂小川城主の墓 五輪塔群・鎌倉層塔     天照寺薬師堂  堂内釘を一本も使わない合掌づくりの建物庚申堂庚申

石鼎庵 「薬師堂」の更に西隣に俳人「原石鼎(はらせきてい)旧宅」がある

  

明治谷墓所 天誅組義士 鷲家口 路駐                                                       鷲家口の戦闘で戦死した植村定七、那須信吾、宍戸弥四郎、林豹吉郎、鍋島米之助ら決死隊員と、吉村虎太郎、山下佐吉、西田仁兵衛、天保高殿ら計九士が葬られ、鷲家の湯ノ谷墓地には藤本鉄石、松本奎堂、福浦元吉、村上方吉、森下幾馬ら、鷲家で死んだ五士と、幾馬の兄森下儀之助の墓がある。そして同村谷尻の宝蔵寺には、奥詰の堂前で割腹した池田健次郎が埋葬されている。

      墓は高台にある 吉村寅太郎の墓・鷲家

 

鷲家龍泉寺 吉野郡東吉野村大字鷲家256 PKあり                                             天誅組志士の菩提寺として知られます 樹齢1500年の岩松群生があることでも知られます 
 本尊;聖観音坐像 境内に「野見観音」を祀る観音堂が建ちます 

   手水紅葉岩松 野見観音堂香炉法輪石塔六地蔵木造如来座像NETより

 

 

 

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丹生川上神社・中社  2013.11.14

2013年11月16日 | インポート

丹生川上神社・中社 奈良県吉野郡東吉野村小(おむら)968  PKあり                                       現在の丹生川上神社中社は、大正4年に郷社蟻通神社に丹生社の神体を遷し、社名を変更したもので、「丹生神祠」は、現在の摂社丹生神社をさす  御祭神-罔象女神(みづはのめのかみ)
鎮座地は神武天皇が天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地であり、白鳳4年(675)に罔象女神を御手濯(みたらし)川(高見川)南岸の地に奉斎し、その後現在地に遷座した。神社の境内地は、諸説ある吉野離宮跡の一つと伝えられている。                                                                       
古くは「雨師明神」と称され、江戸時代からは「蟻通明神」とも称された。
大正以降、同郡川上村の丹生川上神社上社・同下市町の丹生川上神社下社に対して「丹生川上神社中社」とも称されるようになったが、これは上下2社が既に存在したために、これを「中」としたもので、位置関係や社格の上下を表すものではないというものの、他の二社は、上社、下社であるが、当社は「丹生川上神社」と登記されている。

   丹生川  拝殿神紋の五三桐拝殿内祈雨祈願の黒馬と止雨祈願の白馬の絵馬本殿への階段本殿本殿石灯籠 重文
東殿前に立つ。高2.6mで竿に「丹生社 弘長二二年二九 大工伊□□ 施主右衛門尉」の陰刻がある 刻銘は判読困難の部分
もあるが、弘長4年(1264年)伊行吉が造ったものとされる。離宮跡 なでフクロウ ツルマンリョウ蟻通橋


丹生川上神社摂社                                                祭神:弥都波能売命
御手洗川対岸の旧社地に鎮座するため「本宮」とも称される。本殿は春日造板葺。
上述慶安3年の上梁文によると、この時に鎮座したことになる。ちなみに、大正4年の「神社祭神変更並に社名変更許可書」に、当社の「御霊代ヲ本社ニ奉遷シ、丹生神社ニハ適当ノ御霊代ヲ奉安スルコト」とある。

     UP祭神弥都波能売命扉に絵のようなもの夢淵灯籠 ゆめはし

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十二社神社(樫尾)・観音寺  2013.11.13

2013年11月16日 | インポート

十二社神社(樫尾)・観音寺 吉野郡吉野町樫尾124 PKあり                                      宮滝大橋を通り、トンネルを抜けるとすぐ右手にあるのが、吉野町樫尾にある十二社神社。熊野大神を祭神としている。説明板によればこの社地には、式内川上神社と大蔵神社が鎮座していたが、前者は五社峠の地へ、後者は南国栖の深山へ遷座したと書かれている。

       

      

魚見石 東吉野村小
神武天皇東征の時大和平定の成否を問う為、嚴瓮(いつべ)を神域の「夢淵」へ沈めたところ吉兆が現れて魚が木の葉のように浮いて流れ、その様を椎根津彦が見届けた場所という

  対岸の石

寳壽院 奈良県吉野郡川上村大字迫409 PKあり                                             

入口左右に那羅延金剛の銅造がある。寺伝では永禄13年(1570)永隆僧正の創立という。「宝寿院御縁起」によると、仁明天皇の承和年間(834~848)聖宝理源大師が大峰修行中、当時の西峰頓合山頂の船形岩で舟不動の明王を感得、現在地に祭ったと伝え、今も当時の奥の院として求聞護法の行場である  

      不動明王  大師堂  稲荷社    

民宿・前は高見川 

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浄見原神社 川上神社上社 2013.11.13

2013年11月16日 | インポート

浄見原神社  吉野郡吉野町大字国栖(くずとよむ)90 PKあるがわかりにくい トンネルを抜けて二つ目の道を右折れ、国栖奏の板案内に進む。小さな駐車場があり、車20~30台はおける。                                                 天武天皇を祀る浄見原神社は、南国栖の地、吉野川右岸の切り立った壁上に鎮座する。間口一間足らずの小祠である。創建の由来に関しては「国樔由来記」に、「国栖老翁の末孫、天皇社を和田山に営みて之を祭り、且つ氏の社を造り、御霊殿と号す。是れ則ち国栖老翁の社にして、今に毎年祭礼怠る事無し。」と記す。                                             創建の由来は、672年に起こった『壬申の乱』に絡む 大海人皇子は近江大津宮弘文天皇を滅ぼして、飛鳥浄御原宮に即位して天武天皇となる。国栖の人たちは、吉野で挙兵した皇子に味方し、敵に追われる皇子を匿い、歌舞や酒や食事でもてなした 即位した天武天皇を祝う為、浄御原宮へ参った国栖の人々は舞を奏し、『国の翁よ・・・』と声を掛けられたそうです 後に南国栖の地にこの神社が作られた  祭神;天武天皇 毎年旧正月14日の『国栖奏の奉納』は県指定無形文化財

  神社の横・吉野川  ここで国栖奏を奉納 本殿仮屋国栖奏伝習所路の左 供え物NETより

丹生川上神社 上社 奈良県吉野郡川上村大字迫869-1  PK-第3まである                                       上社は川上神社、中社は雨師の明神、または蟻通さん、下社を丹生社という(いずれも旧官幣大社   吉野郡川上村字宮の平 中社 吉野郡東吉野村小 下社 吉野郡下市町長谷 ・延喜式内社丹生川上神社、名神大社の論社が三社あり、明治政府により、色々な経緯があり上、中、下社とされた。 ・延喜式神名帳によると、雨師社と号されたとある。  旧社地は大滝ダムによって水没 明治初年までは高龗神社という小規模な祠で、その由緒も不詳

     拝殿シンウテンサイ 斎場跡ご神木の杉の樹の幹 本殿末社 山之神社手水

 

                                     

清谷寺 吉野郡吉野町南国栖152 路駐                                                     普門山「清谷寺」 創立由緒は不詳 中興は正徳元年(1711)に亡くなった玄利願阿大和尚 慶応元年(1865)に堂宇の大修理が
されている  本尊;阿弥陀如来立像

 来門山不動明王本堂扁額

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