週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

四国八十八ヶ所 第18番 恩山寺 2015.04.08 Archives

2021年06月30日 | 神社仏閣

18番 恩山寺 徳島県小松島市田野町字恩山寺40                                                     

寺伝によれば聖武天皇の勅願により行基が開基し、当初は大日山福生院密厳寺と号する女人禁制の道場であったという。(814年)、空海が本寺で修行していた際に訪問してきた母、玉依御前のために女人解禁の修法を行い迎え入れた。玉依御前は本寺で出家・剃髪しその髪を奉納したことから、空海が自身の像を刻み現在の寺名に改めたとされる

                        本堂への石段

本堂

 

 

              大師堂

                大師堂

                 母公堂

             母公堂 墓

             

              十三仏堂

よしの 旅館   昼食

 

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四国八十八ヶ所 第16番 観音寺 2015.04.09 Archives

2021年06月29日 | 神社仏閣

16番 観音寺 徳島市国府町観音寺49-2  寺伝によれば、聖武天皇が国分寺建立の勅命を出した際に行基に命じて勅願道場として本寺を建立、(816年)に空海が巡錫した際に本尊として千手観音像、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで安置、現在の寺名に改めたとされる

  

                              山門

                          本堂

                            本堂 蟇股

                                大師堂

                            夜泣き地蔵

    八幡大神宮庚申堂    

 

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四国八十八ヶ所 第17番 井戸寺 2015.04.12 Archives

2021年06月29日 | 神社仏閣

17番 井戸寺 徳島市国府町井戸北屋敷80-1
寺伝によれば、天武天皇の勅願により673年に創建した妙照寺が前身とされる。伝承では(815年)に空海が来錫、十一面観世音菩薩、十二神将、四天王、日光菩薩、月光菩薩を刻んで安置したという。また、その際に土地の人々が水不足で困っていることを知り、錫杖で一夜にして井戸を掘った。そこでこの地を井戸村と呼ぶようにし、寺号も井戸寺と改めたという

寺標

                仁王門

            本堂

                内陣

                 大師堂

                納経所

                    六角堂

                光明殿

                日限大師

      隣接する八幡神社拝殿

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四国八十八ヶ所 第15番 国分寺 2015.03.16 Archives

2021年06月28日 | 神社仏閣

第15番 国分寺 徳島県徳島市国府町矢野718-1  徳島県徳島市国府町矢野718-1

741年聖武天皇が発した国分寺建立の詔により諸国に建てられた国分寺の一つ。寺伝では行基が自ら薬師如来を刻んで開基し、聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっている

 

山門

本堂 彫刻鐘楼と本堂

大師庫裡

         地蔵堂

 

淡路ハイウエイの花

 

  

  

 

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四国八十八ヶ所 第14番 常楽寺 2015.03.16 Archives

2021年06月27日 | 神社仏閣

第14番 常楽寺  徳島県徳島市国府町延命606番地
寺伝によれば、弘法大師がこの地で修行をしていた際に、弥勒菩薩が多くの菩薩を連れた姿を感得した。そこで霊木に弥勒菩薩を刻み堂宇を建立して本尊として安置したという。空海の甥に当る真然僧正が金堂を建立、祈親上人が講堂、三重塔などを建立し七堂伽藍の大寺院となったと伝える。

本堂

 彫刻

薬師堂

地蔵堂

地蔵堂内部

岩船地蔵尊

流水岩の庭園

       

  

イチイの木  

あららぎ大師 

 

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四国八十八ヶ所 第13番 大日寺 2015.03.16 Archives

2021年06月26日 | 神社仏閣

 

四国八十八ヶ所 第13番 大日寺  徳島県徳島市一宮町西丁263
大日寺は、かつては県道を挟んだ向かいにある一宮神社の別当寺(神社に付属して建てられた寺)だった。明治の神仏分離令により、一宮神社に祀られていた十一面観音像がこの寺に移されて、本尊となった。もともとの本尊、大師作とされる大日如来像は、脇侍として祀られている。

山門

本堂

 木鼻

大師堂宝珠  

 

しあわせ観音

しあわせ観音

          子安地蔵

燈籠

 

一宮神社

本殿・重文

拝殿

 

 

 

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四国八十八ヶ所 第12番焼山寺 2015.03.18 Archives

2021年06月25日 | 神社仏閣

 第12番 焼山寺                                 徳島県名西郡神山町下分地中318  寺伝によれば大宝年間(701年 - 704年)、役小角(役行者)が開山し庵を結び蔵王権現を祀った焼山寺山(標高938m)その8合目に位置し、四国霊場で2番目に高い山岳霊場 歩く距離が長いので、マイクロバスで移動   11番藤井寺から12番焼山寺への山道 約12・3km 四国霊場で、難所といわれる歩き遍路道です。

12~15番

 

仁王門

   

石造宝塔

 

三面大黒天

 

大師堂

本堂

 十二社神社

拝殿

   彫刻香炉  

手水舎

 

  

不動明王

大日如来

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四国八十八ヶ所 第十一番 藤井寺 2015.02.12 Archives

2021年06月24日 | 神社仏閣

第11番 藤井寺  徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525

(815年)に空海がこの地で自らと衆生の厄を祓い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立、山へ2町入ったところの八畳岩に金剛不壊といわれる護摩壇を築き(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられる。このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したという

 

山門

 

本堂

本堂・天井絵

大師堂

内陣

不動堂

白龍弁財天

絵馬

焼山寺への道

大日如来祠    

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四国八十八ヶ所 第十番 切幡寺 2015.02.12 Archives

2021年06月23日 | 神社仏閣

第十番 切幡寺  徳島県阿波市市場町切幡129 

333段の階段があり、しんどかった
寺伝によれば、修行中の空海が、着物がほころびた僧衣を繕うため機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切りさいて差し出した。これに感激した空海が娘の願いを聞くと、父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことであった。そこで、その場で千手観世音菩薩像を刻んで娘を得度させ、灌頂を授けたところ、娘はたちまち即身成仏して千手観音の姿になったという

 

参道

 経木場    

山門

本堂

本堂後ろ屋根の上の前後にいる「極楽の迦陵頻迦」

大師堂

多宝塔 重文 住吉大社神宮寺から、移築されたもの
明治6年、徹底した神仏分離が行われ、ほとんど全ての仏堂が破壊される。東塔もこの時、棄却された。 西塔は明治6年阿波切幡寺に「5円何十銭」かで売却され、当地で明治11年上棟され(墨書)、現在は重文指定を受け、健在です。元和4年(1618)の再建塔であった。

多宝塔

不動明王堂八祖大師堂

はたきり観音 機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像。右手にはさみを左手に布を持つ姿

蝋梅       淡路SA

 

 

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四国八十八ヶ所 第九番 法輪寺 2015.02.12 

2021年06月22日 | 神社仏閣

  第9番 法輪寺 徳島県阿波市土成町土成字田中198-2
巡錫中の空海が白蛇を見、白蛇が仏の使いといわれていることから釈迦涅槃像を刻んで本尊として開基したと伝えられている。当初は現在地より4km北方の法地ヶ渓にあり白蛇山法林寺と号した。

  

仁王門

  

本堂

大師堂

鐘楼

 

   

    

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