週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

東大寺図録 追加 2011.03.30

2018年08月13日 | 神社仏閣

  画像 名宝日本の美術 小学館より

  

誕生釈迦佛

 

大仏台座蓮弁の線刻画

執金剛神像・法華堂

僧形八幡神・国宝・快慶

不空羂索観音・国宝・法華堂右日光菩薩

宝冠

不空羂索観音宝冠 宝冠  水晶、翡翠、真珠など約2万個の宝石が飾られている

 勾玉 

勾玉

月光菩薩日光菩薩

弥勒佛

持国天 法華堂

持国天

持国天

 

広目天

増長天

帝釈天 国宝

吉祥天 法華堂

金剛力士 阿形 法華堂

地蔵菩薩 快慶

八角灯籠音声菩薩

戒壇院

広目天

持国天

 

増長天

 

多聞天

 

 

 

 

 

 

 

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下鴨神社 2013.11.22 Archives

2018年08月12日 | 神社仏閣

下鴨神社 京都市左京区下鴨泉川町59                                                         

カモ氏は加茂、鴨、賀茂、賀毛 等の表記がある カモ氏は代々山城の国の氏神様を祭祀してきた神官家である    賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。

 

楼門

本殿 国宝

東本殿

西殿

さざれ石

相生社

橋殿

神服殿

舞殿

細殿御所

井上社

河合神社

河合神社本殿

 

 

 

 

 

 

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高鴨神社 2012.02.28 Archives

2018年08月11日 | 神社仏閣

高鴨神社 御所市鴨神1110 

京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称する。4月中旬から5月初旬にかけて500種2,200鉢以上の日本サクラソウが咲く。 当地は鴨氏一族の発祥の地であり、その氏神として祀られたものである。鴨氏はこの丘陵から奈良盆地に出て、葛城川の岸辺に移った一族が鴨都波神社を、東持田に移った一族が葛木御歳神社を祀った。後に、高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになった

拝殿

本殿

本殿

西神社

祓戸神社

サクラソウ 

西神社

楠木正成像

天照大御神、天兒屋根命、住吉大神

 

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高台寺 2013.04.04 Archives

2018年08月10日 | 神社仏閣

高台寺  京都市東山区高台寺下河原町526
豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であると
ともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である

 

   

古絵図 都名所図会より

遺芳庵

庭園

方丈

開山堂

狩野山楽 TV

傘亭

天井

時雨亭

石庭

唐門

法輪堂

霊屋

念持佛 TV

高台寺蒔絵 桃山時代に流行した代表的な蒔絵の様式名称。平蒔絵,針描き,絵梨地 などの比較的簡便な技法を用いてすぐれた装飾効果をあげる  以下TVより

 

 

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圓光寺 2014.12.26 Archives

2018年08月09日 | 神社仏閣

圓光寺 京都市左京区一乗寺小谷町13(1601)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し
学校とした。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。
当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえる。

 

千手観世音菩薩

 三界萬霊塔

蟠龍窟

蟠龍閣

衝立

本堂内

唐玄関

奔龍庭

奔龍庭

奔龍庭

達磨図

蹲踞

竹林

庫裏

圓光寺木活字

本願寺北山別院・本堂

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聖徳太子の墓 

2018年08月08日 | 神社仏閣

聖徳太子の墓  叡福寺は、大阪府南河内郡太子町にある仏教寺院。 聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓があることで知られる。 山号は磯長山本尊は如意輪観音である。開基は、聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる 724年聖武天皇勅願による                      H24.03.10 参拝

 

叡福寺 金堂

北古墳 三骨一廟 『上宮聖徳太子伝補闕記』では、推古天皇27年(619年)にはすでに皇子自ら当地に墓所を築いていたとする  寺伝によれば、聖徳太子と妃の膳部大郎女、母の穴穂部間人皇女の三人をこの廟に合葬したとき、推古天皇より方六町の地を賜り、御廟守護のために僧坊十姻(墓守の家10軒)を建てたのが、寺の始まりであるという。そして、聖徳太子の追福のために聖武天皇の勅願によって、724年(神亀元)に伽藍が創建されたと伝える。

鎌倉時代にも親鸞、叡尊、日蓮、一遍といった高僧が叡福寺に参詣し、以後叡福寺は四天王寺とともに、大阪における太子信仰の拠点寺院として繁栄してきた。

 

阿弥陀三尊太子16歳孝養像

聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女 621年12.21没

妃の膳部大郎女 (622)2月21日没

聖徳太子 622年2月22日 薨去 数か月の間に3人亡くなっている原因は伝染病とも言われている 

三骨一廟  奥が太子の母・穴穂部間人皇后、前面向かって左に膳郎女、右に聖徳太子の棺で、穴穂部間人皇后は石棺、他の二人は夾紵棺で、仏具の装飾などに用いられた格狭間を刻した石製の棺台にのせられていたそうです

夾紵棺--あらい布地を重ね,漆で固めてつくった

富岡鉄斎

 

モミジアオイが咲いた

何か 解らない

 

 

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平等寺 金谷の石仏 2011.12.17 Archives

2018年08月06日 | 神社仏閣

平等寺 奈良県桜井市三輪38
曹洞宗の寺院。平等寺の創建は西暦581年とされ、開基は聖徳太子 三輪別所ともいう。本尊は十一面観音である。かつては大御輪寺、浄願寺と共に三輪明神(現・大神神社)の神宮寺であった。

山門

本堂

本堂

十一面観音

境内

境内

 二重塔・釈迦堂~平成16年に800年ぶりに再建

不動堂

赤門

羅漢

 

金谷の石仏    桜井市金谷                               もと三輪山麓にあったが明治初年この地に移された。
小さなお堂仁収められた二体の石仏は右が釈迦如来、左が弥勒菩薩と推定される。高さ2.2m、幅約80cm、厚さ21cmの2枚の粘板岩に浮き彫りされている。古くは貞観時代、新しくても鎌倉時代のものとされ国の重要文化財の指定をうけている。 鎌倉時代の作といわれるが、天平末期という説も。もとは大神神社近くの平等寺にあったが廃仏毀釈で寺と一緒に破壊されるところを村人が移し、今も守り続けている。

 

 

 

 

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六道珍皇寺 2015.10.21 Archives

2018年08月05日 | 神社仏閣

六道珍皇寺  京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来。六道珍皇寺の一帯はかつての葬送地であった。鳥辺野入り口にあたり六道の辻という
8月7-10日の六道詣り、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる  六道とは-地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道「三界供養の塔」が、宗教上の「六道の辻」の中心になる
小野篁--嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られる  閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある

 

「三界万霊十方至聖」の石塔婆

冥土通いの井戸 NET

本尊 薬師如来坐像

小野篁

 九相図 小野小町の成れの果て

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平等院 2011.10.16 Archives

2018年08月04日 | 神社仏閣

平等院 宇治市宇治蓮華116
関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院とした  鳳凰堂とその堂内の阿弥陀仏、壁扉画や供養菩薩像、周囲の庭園などは『観無量寿経』の所説に基づき、西方極楽浄土を観想するため、現世の極楽浄土として造られた

 

 

南門

阿弥陀如来

 

雲中供養菩薩 TVより

鳳凰  

  観音堂最勝院不動堂羅漢堂

  鐘楼

以下TVより

 

 

  

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円満院門跡 三井寺塔頭

2018年08月03日 | 神社仏閣

円満院門跡 津市園城寺町33番                        (987年)に村上天皇の皇子悟円法親王により創建されたと伝わるが、平安時代中期の参議・藤原資房の日記『春記』には、園城寺の明尊が長久元年(1040年)に後朱雀天皇の支援を受けてこの地に新しい寺を創建し「圓滿院」と命名したという消息が記されている

昭和43年2月25日の拝観券(50円)が出てきたが、全く記憶にない

以下 NETより

 境内図

山門

大玄関

本堂

本堂

内陣

宸殿

襖絵

旧宸殿障壁画のうち「住吉社頭図」

玉座

四条河原夕涼図 円山応挙

鳥羽絵放屁合戦由来記

芭蕉句碑

 

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