週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

井光の井戸 水分神社 2018.08.29

2018年08月31日 | 神社仏閣

吉野水分神社  井光の井戸 吉野郡吉野町飯貝227   駅より15分       

実はこの井光の跡とされる場所は3か所ある。一つは川上村の井光(いかり)2013.11.13参拝。  もう一つは吉野山の善福寺(2012.11.28参拝)で、近くに井光の井戸がある。そしてもう一つが、今回の飯貝の水分神社の下の井戸跡  神武天皇が、吉野で次に出合ったのは、光る井戸から出て来た人でした。神武天皇が「お前は誰か」と聞くと、「私は国つ神で、名は井氷鹿と申します」と答えました。

 

 

井戸の由来   人有りて、井の中より出でたり。光りて尾有り。
 天皇問ひて曰く「汝は何人ぞ」。応えて曰く
 「臣は是れ国神なり。名を井光(いひか)と為す」。
 此れ即ち吉野首部(よしののおびと)が始祖なり   日本書紀

遙拝所

手水社

神饌所?

飯貝区水分神社

内部 絵馬が見える

水分神社 本殿

 

 

本殿

   

 

 

川上村 井光神社 2013.11.13 参拝 明治32年に創建された井光神社。祭神は「井氷鹿(イビカ)」又は井光(イビカリ)」で、国津神である、井氷鹿は、「神倭伊波礼毘古命」の東征先導役で、吉野首の祖とされています。「日本書紀」や「古事記」では、神武天皇が宇陀から吉野へ巡幸した時に、人が居て井戸の中から出てきた。その人は体が光って尾があったといわれています。 天皇は「お前は何者か」と問うと「国津神、名は井光」と名乗ったと言う話が記されています。往古は十二社権現とも称していたようである

 

 

善福寺 2012.11.28参拝

善福寺 井戸

 

吉野水分神社 よしのみくまりじんじゃ

国宝 玉依姫

 

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吉野水分神社 金龍寺  2018.08.29

2018年08月30日 | 神社仏閣

吉野水分神社 吉野町丹治114  吉野神宮駅から4分  何の標識もない 詳細不明 

吉野郡には現在12社の水分神社が確認できる。有名なのは 吉野水分神社 吉野町吉野山1612 式内社 2012.11.28  参拝 

神宮駅の左

吉野水分神社と読める   

 

 

 金龍寺 奈良県吉野郡吉野町大字丹治955番地 駅から3分  丹治にある浄土宗 住職不在

 

  

 

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高取城 2012.02.04 Archives

2018年08月28日 | 神社仏閣

 

高取城跡  高市郡高取町

高取山(583.3m)山頂に築かれた典型的な山城(日本三大山城の一つ)日本三大山城    高取城  岩村城(岐阜県) 備中松山城(岡山県)   郡山城の控えの城として、最後の一戦を決すべき拠点とし、天正13年(1585)大和郡山城主「豊臣秀長」の重臣「本多太郎佐衛門」が、天守閣・石塁など本格的な築城が進められた  寛永17年(1640)幕府大番頭「植村家政」が高取藩主となり、以後14代228年、植村家が藩主となる

御城門より二の丸方向

 城址への道

 

高取城跡

十五軒多門櫓

十三間多門櫓

十三間多門跡

城垣

城址への道

新櫓跡

石垣

石垣

 

石柱

太鼓御櫓台と新御櫓台

鎮守社

天主台

天守台からの太鼓御櫓台と新御櫓台

天守台下の打込みハギと算木積

二の丸跡

二の丸東下の石垣

本丸説明

本丸下にある門の礎石跡

M20年

壺坂口中門跡

壺坂口門跡

 

 

 

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室生龍穴神社 2011.06.18 Archives

2018年08月27日 | 神社仏閣

龍穴神社 奈良県宇陀市室生区室生1297   祭神:高龗神・竜神・竜王由緒:室生寺よりも古い歴史をもち、水の神「龍神」を祀る。奈良時代から平安時代にかけて朝廷からの勅使により雨乞いの神事が営まれ、室生寺は龍穴神社の神宮寺であった時代もある。当社の上流には龍神が住むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」があり、古代から神聖な「磐境」とされてきた。延喜式(697)内の古社で、雨神タカオカミノカミを祭り、雨ごいの神として知られています。神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって、いまでも雨ごいの行事が行なわれています。現在の祭神は、高靇神だが、拝殿には「善女龍王社」とある。

 

室生龍穴神社

   

拝殿

扁額

本殿

本殿

神饌殿

 

連理の杉

 

弘仁9年(818)祈雨のため遣使『日本紀略』
       貞観9年(867)正五位下『三代実録』

神宮寺は室生寺であり、皇大子山部王(桓武天皇)が御病気に罹られた時、浄行僧をして室生の山中で延寿の法を修せしめられたところ、御病気が平癒された。その後に賢憬が仰せをうけここに山寺を創建したとある。室生寺ははじめ延寿の法を修する場であつたが、やがて八世紀末に龍穴神の宮寺の性格をもつ寺として創建されたものと考えられる。古来より当社は室生寺の支配下にあつて、祭祀は主として仏式で行なわれたようである。

龍穴神社 由緒

古代祭祀の遺跡

天岩戸

龍穴

奥宮遙拝所

招雨瀑

 

 

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法起寺 2010.11.07 Archives

2018年08月26日 | 神社仏閣

法起寺 生駒郡斑鳩町岡本1873
聖徳太子の遺命で,その子山背大兄王が岡本宮を改めて創建したもの。法隆寺式の伽藍配置 三重塔は飛鳥建築では日本最大で,国宝。

 

山門

  

M5年

講堂

十一面観音

心礎

三井窯跡 瓦窯の操業時期としては、出土瓦と窯近くで採集された軒丸瓦が法輪寺や法起寺出土の八弁複弁蓮華文軒丸瓦と同范瓦であることなどから、七世紀後半から八世紀初め頃と考えられている

 

 

 

 

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法輪寺 2010.11.07 Archives

2018年08月24日 | 神社仏閣

法輪寺 生駒郡斑鳩町三井1570                               当寺の創建には二説が伝えられている ひとつは(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らとともに太子のご病気平癒を願って建立されたという説(巻子本『聖徳太子伝私記』引用の『寺家縁起』)、もうひとつは、(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説(『聖徳太子伝暦』『上宮聖徳太子伝補闕記』)

1944年7月21日、落雷により焼失。避雷針は太平洋戦争中の金属供出で撤去されていた。現在の塔は1975年、作家の幸田文らの尽力により集められた寄金で西岡常一棟梁が再建したもの。消失前は国宝だったが、再建のため国宝ではない

 

三重塔

金堂

講堂

聖天堂

妙見堂

薬師如来

虚空蔵菩薩

十一面観音菩薩

 

会津弥一句碑 「くわんのん の しろき ひたひ に やうらくの
  かげ うごかして かぜ わたる みゆ」

地蔵堂

「赤染の井(史跡・三井)」

聖徳太子の3つの井戸の一角

 

 

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興福寺 北円堂開扉  2010.10.26 Archives

2018年08月23日 | 神社仏閣

興福寺 奈良市登大路町48番地

北円堂

 

 

内陣の天蓋

法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像

銀杏・その当時 銀杏の木があった 今はない

無著菩薩・世親菩薩立像

 

弥勒如来

木心乾漆四天王立像

四天王立像

金堂 五重塔

阿修羅像

猿沢の池

猿沢の池から南円堂

1640の石灯篭

鬼瓦

 

国宝館 金剛力士

弥勒菩薩

千手観音

国宝館木造天燈鬼・龍燈鬼立像

中金堂

東金堂

東金堂・木造維摩居士坐像

東金堂 文殊菩薩

東金堂木造十二神将立像(国宝)

 

南円堂

 

 

 

銅製路盤宝珠

南円堂・木造法相六祖坐

南円堂・木造不空羂索観音坐像(国宝)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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百毫寺 2010.10.26 Archives

2018年08月22日 | 神社仏閣

 

白毫寺 奈良県奈良市白毫寺町392 
寺伝によれば(705)法道仙人により開基された。本尊は天竺から伝えられた言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。眉間の白毫から神々しく瑞光を放っていたので、「白毫寺」と名付けられた。

 

 

本堂

御影堂

再興相輪

多宝塔

宝蔵

薬師如来

閻魔王

閻魔大王

十王地蔵

地蔵菩薩

板碑

多宝塔跡

 

 

 

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家原寺 2011.03.09 Archives

2018年08月21日 | 神社仏閣

家原寺  堺市家原町1-20  仏塔古寺十八尊霊場 第一番
家原寺は東大寺大仏殿を始め49の寺院を建てた行基の生家である。
民衆に慕われ多くの道路や橋、昆陽池など溜池の建設や社会事業を行った。
境内には行基菩薩誕生塚、御影堂、行基菩薩像、開山堂がある。 

 

名所図会

行基菩薩

本堂

本堂

観音像

 

 

合格祈願のハンカチ

 

 

 

 

 

 

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和光寺(阿弥陀池) その1 2018.08.17

2018年08月20日 | 神社仏閣

 

    

 

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