goo blog サービス終了のお知らせ 

いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

被災地の恩師を探しにいくその4

2011年12月04日 07時00分03秒 | 東日本大震災311

東名駅で先生に会って、そのままご自宅に案内されました。
玄関はべニア板で打ちつけられていたので使わず、庭側から開けて入りました。
「ここの1階天井付近まで津波が来た」。
壁には黒い津波の跡がありました。

畳は板になっていましたが、電気と水は通じているようです。
私はコートを着たまま靴を脱いで、スリッパに履き替えて上がりました。

そして、地震の時は石巻の職場(引退後の仕事)にいて無事だったこと、
奥様のご親族6名が東名地区で亡くなったこと、
一人残された奥様の姪のお子さん(小学生の男児)を引き取って、3人で松島のアパートに住んでいること、
・・・・を聞きました。

泣けてきた・・・・。70歳近くなって、なんでこんなにつらい思いをしなくてはならないんだろう。

15歳の私には、貫録のある30代の男性教師に思えたけど、先生ってこんなに小さかったかな。
中学卒業以来の再会は、とても切なかったです。

帰ってから私はまず、津波で喪失したという「卒業アルバム」をカラーコピーして送りました。
次に、連絡のつく同級生(1学年4クラスありました)+同窓会サイト登録者、合計で60名くらいかな?先生に「お見舞いメールをしてね」と書きこみました。

教え子って財産だと思うんですよ。津波で人や財産をなくされた先生には特に。

国語の先生らしく、ご自宅の1階には立派な書物庫があったが、天井まで津波が。
週末は、泥をかぶった書物の整理をされているそう。
どうかお元気でいてほしい。

運河にかかった橋から東名地区を見る。手前が陸方向です。

震災前はこんな感じ。

**********************************************************
授業参観があり、図工でした。

幻の鳥を描くというテーマだったので、1枚もらって私も描いてみました。

夫が描きました。Happy Birdなら俺にも描けるって。楽しそうです。

*****************************************************
町内の住民専用のテニスコートですが・・・・

暴風で空の便が欠航する中、テニス部OG会の納会をし、顧問2名を入れて15名で3試合やりました。
ボールがうまく飛ばなかったよ。町内会の人も呆れてた。

豚汁でもてなしましたが、生まれて初めて里芋を料理した(爆)。茹で方はネットで検索。
やっぱ、ガイジンと結婚する女は・・・。

さて顧問の先生(60代)ですが先日、先生の行きつけのバーで、OG八名と夜中まで飲んだのですが・・・。
天童よしみ似ママの店で、水割りとツマミで一人3,000円。
「え、これ割り勘?」と一瞬ムッとしたんですが、「先生のおごり~~」にホッ(←納得いかない事にはカネ払いたくない)。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする