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いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

不景気を呼ぶ男④

2009年03月30日 06時14分22秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
ということで本題。

夫の学生時代は不景気で、就職活動もままならず、来日するまでずっと不況の時代を過ごしてきた。

それが日本に来て驚いた。
一ヶ月ホームステイした東京は、なんて輝いているのだろう。
お金が舞っていて、祭りのようだ。
オリンピック誘致に向けて、外国人留学生を歓迎していた長野。

大都市には、外国人がたくさんいた。今とは違い、一流と認識される国も多かった。
国土も狭く資源もなく、戦争で負けた国がどうやってこんな経済力をつけたんだろう?
みんな好奇心に満ちた目で、日本を見ていた。

一方で、季節的に英会話を教える仕事をし、長い休みをとってタイにバカンスに行く。
ドラッグに手を染める、不良外人の話も耳にした。

クリントン大統領の在任期間(1993年-2001年)に、アメリカの経済は劇的に回復し、
それに伴って彼らはどんどん帰国し始めた。日本人の配偶者を持つ者以外は・・・。

夫は少し取り残された感じがしたが、文部省に引き続き、
富士銀行から月額12万円の奨学金を得ることが出来たので、
日本滞在延長に迷いはなかった。

しかし、この富士銀行が消滅し、隣のビルの第一勧銀と合併する!
東海銀行の入っていた店舗がある日突然、ウェディングサロンになる!(本気で探して、街をさまよったことあんの)
証券会社が倒産し、泣き虫経営者が謝罪する!

・・・そんな時代はすぐそこまで迫っていた。

庭のオオイヌノフグリ。

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不景気を呼ぶ男③

2009年03月25日 08時07分59秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
せっかく大学で勉強したのに、それを生かせない店長の仕事。
夫は「6ヶ月くらい勤めたかなあー」と言っていたが、よく計算すると1年続いたことになるらしい。
よく耐えたものだと自分で感心している。

そして、そんな境遇を見かねた知人が、
「今は時期が悪い。大学に戻って再び勉強しなさい。チャンスを待ちなさい」と勧めてくれた。
願書を出してみると、大学の成績は体育を除いて良かったので(運動音痴なガリ勉)、入学は許可された。

授業料は学費ローンで借りた(今から数年前に完済したばかり)。
生活費はバイトでしのいだ。

そんな時、日本語を履修している彼に、
「日本の文部省(当時)から奨学金をもらって、国立大学で勉強してみないか?月額18万円出るよ」
という申し出があった。

メキシコには行ったことがあるけど、海を越えたことがない。
しかし!日本。行ってみたい。

果たして1990年に、彼ははじめて日本の地を踏むのである。
二度と帰れなくなるとは、夢にも思いもせず(笑)。

ビオトープで冬越ししたメダカさんたち。

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不景気を呼ぶ男②

2009年03月20日 08時03分15秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
この薬局の店長は、本当に大変な仕事だったという。
不規則で長時間労働、しかも車で1時間以上の通勤。給料は安いが、責任は重い。
今で言う「名ばかり管理職」である。

夫は私より学年でいえば3つ上。
その頃の私は大学生。アルバイトの面接は「落ちたことがない」日々。
履歴書を持って行けばすぐに採用される。とにかく人手が足りない。

この頃、地元の海沿いで大きな博覧会があって、友人たちは続々とパビリオンガールに採用された。
企業もその豊富な資金源に、高い日当を武器に、どんどん人材を採用した。

バイトの帰りにタクシー券をもらうけど、ハタチ前後の女の子は距離を乗らないので、なかなか止まってくれない。
東京みたいに「成田」とか「横浜」という手書きボードを持って、運転手に選んでもらう努力も出来ない。
仕方がないので、反対車線に飛び出して、中心部に集客に戻る車を拾ったりした。

と、このようなバブリーな日々を過ごしていた時、夫は薬局勤めを1年で辞め、
再び大学に戻って勉学の日々を送っていた。
外国語の選択では、スペイン語、中国語を選ばず、日本語に決めたことで人生が変わる。

この時、来日まで2年。1987~88年のことである。

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不景気を呼ぶ男①

2009年03月15日 10時46分37秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
夫は一度も定職に就いたことがないと書いたが、それは日本での話で、
大学卒業時の80年代後半に、1年だけフルタイムで働いたことがあった。

日本がバブル崩壊に向かって膨張していた頃、アメリカは不景気のただ中にいた。
街にはホームレスがあふれ、店舗は「テナント募集」の張り紙が目立ち、学生たちは何通履歴書を送っても就職できなかった。

夫がかろうじて見つけた職は、薬局チェーンの店長である。薬剤師ではない。
授業料全額免除+生活費の補助をもらいながら大学を卒業したので、成績は良かった。
それでも自分の専門分野を生かせる就職先は見つからなかった。

1990年頃、日本に職を求めて、若い人材が北米や豪州から集まっていた。
80円台の円高になった時期もあったと記憶している。

日本はバブル末期で、猫の手も借りたいほどの好景気。
英語教師の仕事は、いくらでもあった。
白人のネイティブスピーカーだが高校生を、講師として雇った英会話スクールがニュースになったのを覚えている。

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離ればなれの私たち2:夫がいないとこうなる

2009年03月08日 12時13分01秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
夫が在宅だと、生協の宅配やアマゾンからの本やゲームを受け取ってもらえる。(便利)
ストーブに火を焚いてくれる。(省エネ)

いないと、
牛乳と卵が余って困る。(口減らし)
チャンスとばかり、友人を呼んでパーティ?と思ったけど、私の方が体調を崩してしまった。(残念)

※口減らし:昔東北等の貧しい地域では、養うべき人数を減らすために、子女を奉公や養子に出した。
商家だった祖母の家には、口減らしで来たお手伝いさんが何人かいた。今も時々会っている。

さて、
我が家にはロフトが4つある。(3畳大が3つと、6畳大が一つ)
このうち6畳のロフトが、畳まない段ボール、クリスマスやハロウィングッズ、スーツケース、学生時代の書物などでぎっちりの状態。片付けると怒るので、鬼のいぬ間にこっそり整理をしようと思う。捨てたかどうか気付かれないようにするのに注意を払う。


荒涼とした西海岸の風景

↓かすかに灯台が見える

都会の喧騒を嫌って、老後は人気のない所で引退生活を送る人が増えている。
・・・・ちょっと寂し過ぎる。
コメント (2)
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血筋の話、いろいろ

2009年03月06日 08時20分50秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
ヨーロッパの家系図に関心を持ったのは偶然である。

イギリスの王室に血友病の遺伝子を持つ者がいて、王族同士の結婚により、欧州全体に血友病遺伝子が広まった、という記事を読んだのが一つ。

もう一つは、夫の母に「私にはクロムウェルの血が流れているのよ」言われたこと。

おそらくは、清教徒革命のオリバー・クロムウェル(1599年4月25日 - 1658年9月3日)のことだけど、悪徳政治家だったのか、処刑されたのか、貴族なのか平民なのか、夫にその血が流れているらしい、と聞いてから、(高校で履修してない)世界史に興味を持った。
そんな江戸初期の、血の薄い祖先のことを調べてどうすんだ、って感じだけど。

わが街は城下町である。
当然、城主であるお殿様の子孫もいるわけだが、この当主、地元の国立大学を卒業された。
大名の子孫だから、世が世なら華族であろうに、旧華族学校であるG大学に行かない所に親近感を持った。

ところで私の母校の高校は、内部資料として先輩たちの進学先を(匿名で)一覧表にする。(今は知らないけど)

例えば
No.0001   国立□○大学 ×  私立○▽大学 ○  私立□△短大 ○ と言う風に。

一人、華族だか武家だか、名門の血筋の生徒がいた。
国立大学、私立大学はほとんど×(当時は公立大学は少なかった)と全滅状態だったのに、G大学だけ○で合格、と記載されていた。

血筋は自慢してたから、同級生に「あの子だよね」と、学力の無さがバレてしまったらしい。(聞いた話)

画像引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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離ればなれの私たち:夫が不在ってよいなぁー

2009年03月03日 09時00分48秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
夫が身内の葬儀に出る為、西海岸に滞在している。
無線LANのつなぎ方を特訓した成果が実り、写真を送ってよこした。

海がきれいな、西海岸の北部。水は冷たそうに見えるがが、気温は最低が10度、最高が15度と温暖。

電話はもちろんインターネットでつないで無料のskype
http://www.skype.com/intl/ja/
長電話も平気。

ウニも獲れるんだそうだ。これは羨ましい。

私は夏に行く予定です。

「このカッコつけたおっさん誰?」と思ったら、銅像でした。

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専業主夫(!)が捨てられる国って

2009年02月26日 07時02分46秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
朝、夫にゆり起こされた。
「アメリカのキャリアウーマンは、家のことを全部やってくれる夫と、可愛い子供たちを捨てるそうだ。
夫より年収が高いから、仕事辞めさせて家にいるように命じたのに、あんまりだ!」
と叫ぶ。(朝からハイテンション)

「・・・それはいいけど、何でそんなに関心持つの?」と尋ねたところ、
「彼らの気持ちが分かるから!」と騒ぐ。(うるさいなぁ)

アメリカ女は妻にするには最悪なんだそうだ。
あー、思い出した。

<最高の組み合わせ>
(広い)アメリカの家に住み、(従順な)日本人の妻を持ち、(高い)スイスの給料で、フランス人の愛人に、中国人のコックに、イギリス人の執事。

<最悪の組み合わせ>
(狭い)日本の家に住み、(強い)アメリカ人の妻、(安い)中国の給料、(ゴツイ)ドイツ人の愛人、(まずい)イギリス人のコック・・・だっけ?

諸説ありますが、留学生仲間と笑いあったなあ・・・。

******************************************************************
さて私はブラッド・ピットのファンだと書いたけど、
この作品をご覧になった方は、私より「真性ブラピふぁん」認定証を授けましょう。

リック [DVD]

キングレコード

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ファンなら、駄作も見るべし。

******************************************************************
歌手、玉置浩二(50)と女優の石原真理子(45)が電撃的に復縁し、25日入籍した。(WEBニュースから)

希望を与えてくれるニュースだなあ・・・。
20代で大好きだった人と、結婚や離婚を経て結ばれる。
人生後半は、一緒にトシを重ねたい(この二人は続くか怪しいけど)。
今の伴侶にうんざりしている中年の、ひそやかな願いを見たような。
コメント (2)
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遠い大陸で、遠い親戚が亡くなりました

2009年02月18日 08時33分09秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
実は最近、夫の身内に不幸があった・・・。
1月初めに入院し、もともと肝臓が悪かったのだが、「あと数時間の命」というメールが来たのだ。
私はこれを危篤と訳した。

亡くなったのは、東海岸在住の推定年齢50歳の男性。生涯独身。
夫が中学生の頃、親の再婚でできた継兄にあたり、夫もトシが分からない(おいっ)。
私は親族の結婚式で、1回だけ会ったことがある。

長く健康状態が良くなかったので、一族は彼の死を覚悟していた。
問題は、離婚した実親が70代で、それぞれ西海岸と大陸の中心部で入院中、死に目に会えなかったことだ。
子が先に逝くことを「逆縁」というが、そういう難しさがある。

肝臓と言うのは不思議な器官で、再生能力があるらしい。
入院してアルコール断ちをしたのが良かったのか、一時的に昏睡状態を脱したという。
そして、実母からの遠距離電話に出て、お別れの会話もしたと言う。

更に、他の兄弟に
「実はお願いがあるんだ。母の家に、オフクロには見られたくない物を置いてきちゃったんだ、悪いけど取ってきて処分してくれる?」と指示することも忘れなかったという。・・・一体何だったんだろう??エロ本か、それ以上の何か?

一度しか会えなかったけど、私は忘れないよ。安らかに、マーク!

日本では菊だが、あちらは百合なんだよな。
逆に、自分の結婚式に菊が飾られてて、ビックリしたことある。

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あんた、京都に詳しいのかい、外人の癖に

2009年02月09日 08時49分05秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
甥姪の来日の際、京都は夫が案内し、広島は私が行くという、夫婦で別行動を取った。

夫は1990年の来日直後、留学生ツアーで広島に行っている。
私は祖母(父方)が京都だったので、
夏の京都(暑い)や冬の京都(盆地なので結構寒い)をよく知っており、別に行きたくない。

それで、夫がみんなを新幹線で京都まで連れて行って案内(その後夫は、新幹線で5時間かけて北上し、帰宅)、
私は飛行機で広島まで飛んで、京都から乗った彼らをJR広島駅で受け止める。
外人キャッチボール作戦。

夫は方向音痴・・・。

京都市内は山に囲まれているから、方向を見失うだろう、と心配した私は
「京都タワーホテル」を予約してあげた。これが外人様ご一行には非常に良かった。
何しろどこからでも見えるし、夜出歩いても迷わない。外に出るとマクドナルドまである!

なぜ、そんな2年半前の話をしたかと言うと、彼が
「京都駅からぶらぶら歩いて宇治まで行った」と、ぬかしたからである。

夫の悪いところは、自分の間違いを認めないところ、謝らないところ。
国際結婚は楽しいことも多いけど、年を取ると疲れてくる、と思うのであった。

京都タワーと八坂の塔。画像引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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義兄の離婚と再婚⑥

2009年02月03日 08時39分57秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
姪は高校生になった。
出来れば進学して、何かスキルを身に付けて、自立できる人間になって欲しいな。

甥は現在、何をしているのか不明だ。
「高校を卒業したら調理師になりたい」と言っていたのに、進学はしたのだろうか。

元妻側の、祖父母の家がある州の田舎町に行ってしまって、音信不通。
今年あたり成人するのだろうが、この祖父母が全く教育に無関心なので、そのまま何もせずに過ごしてしまうのか。

・・・とここまで書くと、離婚は悪いことだと決めつけているようだが、そうでもない。
夫の父と継母は、ものすごく良いカップルだ。
出会ったのが30代で(既に双方離婚済み)、たまたま互いが初婚ではなく、それぞれ子供が3人ずついた、と言うだけの話だ。

人は間違いを犯すし、生活を共にすると変わるし、昔に比べて寿命も延びた。
20代の伴侶と(円満に)結婚生活を全うするのは至難の業だと、私自身日々感じている。

ただ、親は新しい伴侶を見つけて幸せになれるけれども、
子供や自分たちの(老いた)親を含めて、家族みんなが良い方向に行くようするのは並大抵ではない、
凄いエネルギーがいる・・・と海の向こうの離婚劇を、数多く見聞きする度に思うのであります。

また何か分かったら更新します。
写真は、宮島を歩くきょうだい。

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義兄の離婚と再婚⑤

2009年01月26日 10時30分23秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
ということで、こちらがお金を出してあげれば、
親の離婚で何度も引っ越しをしたり、祖父母の家を転々としたり、「恵まれた」とは言えない子供時代を送っている甥や姪が、日本に来ることが出来る!
私はその使命感で頭がいっぱいだった。

元妻は、「費用を出してくれるなら文句はないわ」という態度だったらしい。
ただし親権は持っているので、パスポートの作成の手続きや費用を、誰がどうするのかゴネたらしい。
それぐらい、母親なら気持ちよくやってくれればいいのに・・・。
このやり取りでは、義兄や夫の実母は随分と嫌な思いをしたらしい。

一方で、義兄の新しい妻は「なんで元妻の子供だけ日本に行けるのよ」と怒っていたらしい。
彼女の子供は幼児。同じ年齢になったら、元妻の子供との公平を図るために、日本に「招待」してあげなければならないな、と思うのであった。

ところで姪が帰国する際、彼女の母親宛てに手紙を書いた。滞在中の写真やお土産(海苔)も一緒に。
人に何か良いことをする際には、何かを期待してはいけない、とは思うけど、お礼の言葉も手紙も何もなく、全くの無視であった。
義兄憎けりゃ、私まで憎い、ということか。

という風に、再婚後もいろいろと大変なことが多いのであります。

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義兄の離婚と再婚④

2009年01月23日 08時24分01秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
ところで、義兄の二人の子が高校と中学になった2年前、私たちは二人を日本に招待した。
航空券とJR乗り放題券(レイルパス)の費用を持ってあげて(合計で30万円位?)、2週間ほど面倒を見る、というプラン。
もちろん、二人だけで日本に来るのは不安だから、夫のお母さん夫婦(実母+継父)が連れて来てくれた。

そうさなあ、

県内の温泉旅館に一緒に泊まろうか。(これも出してあげた)
回転寿司も体験させたい。
新幹線乗り放題だから、京都と広島は見せたいな。
・・・など私はすごく楽しみにしていた。

お金の話で申し訳ないが、
義兄は、新しい妻との間に生まれた幼い子供たちがいるし、再婚時に家を購入したので経済的な余裕はない。
前回の結婚では共働きだったので、(今回は)家庭にいて欲しい、という義兄の願いもあり専業主婦。

とはいえ、元妻も自立したタイプではなく、生活費は元夫か、現在の彼氏にもらっているのかなあ、とにかく子供たちを日本に寄こすお金はないので、こちらが出さない限り実現しない計画なのであった。

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義兄の離婚と再婚③

2009年01月18日 08時19分45秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
ところで義兄の元妻アネッサは、再婚話に烈火の如く怒った・・・らしい。

元妻と現妻は高校卒業後いったん就職し、落ち着いてから大学に通い出した点で一緒だ(エライ!)。
通い出した時期が同じで、キャンパスではち合わせ。(具体的には分からないが、昼メロさながらだったらしい。クー、知りたい。)

ところで、中退したのは元妻の方でした。
そう言えば元妻は、初対面の時「本当は大学に行けたんだけど、経済面で弟か私かを選ぶ際に辞退したのよ」と言ってたように思う。念願の大学だったのに。

別の意地悪では、
「挙式の日は、私が週末子供と過ごす番だから」とあわや、子供達が父親の結婚式に出られないハメになるとこだった。
元妻を刺激しない為に、子供達には父親の「再婚式」は当日まで秘密だった。
教会で知って驚いて、大興奮な子供達!

その他、数えきれないが、義父母からの情報ではすったもんだがあったらしい。
何しろ北米の田舎町、生活圏は一緒だから、出くわす場面もある訳です。

それで今日、さりげなく夫から義兄夫婦の離婚のいきさつを聞き出した。

義兄は高校卒業後、進学せずに事務系の仕事に就いた。
そして結婚後に大学に通い始めた。
夜学ではなく昼間で、夜はウェイターやバーテンダーをして家族を養った。

妻のアネッサはモデルを引退後、DJをやったり、ナイトクラブでシンガーをやったけれど、大した稼ぎにはならない。
それで、金銭的なことでケンカが絶えず、最終的には
「あなたが大学を辞めて定職に就いて、家族を養ってよ」という彼女の一言で、義兄は家を出た。別居の始まりである。

庭に来ているシジュウカラの仲間。

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義兄の離婚と再婚②

2009年01月13日 10時31分26秒 | 糟糠の夫:season1(過去の話など)
義兄が別居し、法的に離婚の手続きが済んだ35歳の頃、28歳の金髪の女の子に出会った。
この時、甥たちは小学生と幼稚園。1999年頃のことだ。

夫と帰省の際に、義兄から「会ってもらいたい人がいる」とレストランで紹介された。
ちょっと太めだけど、見るからに性格の良さそうな子。

前妻は、モデルをやったこともあるような美女で、性格はキツめ。
正反対の女性を選んだのかなあー、というのが第一印象。
でも20代でこんなに太っていたら、中年になったら体重と闘う毎日だな・・・と漠然と思った(私は正直者)。

そして、「来年結婚するので、是非式に出て欲しい」とお願いされた。
ひえ~、離婚してから間もないのに、お義兄さんモテるなぁー。

彼女の両親は「離婚して間もない、二人の子持ちなのに」と、渋い顔をしたそうだ。まあ、当然の反応か。
でも義兄は、背も190センチ以上あって性格も良く、ハンサムで子供好きな人です。
・・・いいひと過ぎて、私には退屈だけど。

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