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孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

上海 新場の旅 その2

2009年06月01日 22時16分08秒 | 旅行(中国)
さて、バスに揺られて新場に着いたら、まずトイレ。 トイレは3角です。 また、公衆トイレはあちこちにありますので、慌てなくても大丈夫。次にバス停前の店で飲み物と食べ物を購入。そしてバタバタにのって、適当な場所まで運んでもらいます。運賃は5元でした。
まず、新場の歴史博物館へ行く事をお勧めします。入館料は18元で、ここで新場の知識を入手しましょう。そして新場の地図をもらって、何がどこにあるのかを覚えましょう。

新場は昔(13世紀ごろ)は、海の近くでした。海水を使った塩の製造(塩田)で栄えたそうです。だんだん海岸線が埋めたれられたのでしょうか、内陸部になってきたようです。


下記は供福橋です。 明代のものといわれていて、この新場を代表する観光場所です。




千秋橋は清の康熙年間(1662~1722年ごろ)の橋です。
新場の中心部から外れているので、観光客は少なかったです。
古い橋なのですが、後方の住宅とはマッチせず、古鎮の雰囲気をぶち壊しています。生活をしながら保存を行うのですから、それだけ、古い町並みの維持は難しい事だと感じます。


新場は水郷の古鎮です。ですから家が川の傍にあり、水と一緒に生活している街である事を感じさせます。 川の傍でたたずんでいると、時々、民家から何かを川に捨てる音がバシャっと。決してキレイとはいえないこの川で釣りをしている人もいました。観光地化するにはこの川の浄化が課題かな??


新場の町の様子です。古い町並みが保存されていますが、ここにいる人たちは生活をしています。ですから、街を歩くと、床屋・歯医者・クリーニング屋・電器修理店・マージャン屋(??)などがあります。


懐かしいブリキ(?)細工の店がありました。 ひしゃく・ちりとり・カップなどを手作りで作っています。そういえば中学校の時に技術の時間でこんなの作ったなぁ・・・ と昔を思い出しながら職人さんの手さばきを眺めていました。


成人保健屋さんもあります。古くても街が生きていて生活している事を感じます。成人保健って日本語で言うと「大人のオモチャ屋」です。

上海 新場の旅 その1

2009年05月31日 01時15分06秒 | 旅行(中国)
30日、北京を9:30出発のCA1519に乗る。窓側が希望といったら最後の1席と言われた。B777-200の最後尾の席だった。離陸から2時間後、虹橋空港に到着し、静安寺行きのバスに乗る。その後、いろいろ乗り継いで東昌路のバス口につき、郊外へのバスに乗ること約1.5時間。やっと新場に着きました。 停留所は40以上あったなぁ。ここは、古鎮で明や清の時代の橋や民家が残っている場所です。昔はこのあたりは海岸線が近く、塩の生産で賑わった場所のようです。新場は、観光地化されておらず、古い民家には生活している人たちが住んでいます。水郷地帯なので川の傍に立つ民家の雰囲気がとっても良いです。
夕方になったので、バスで上海市内に戻る。かえりも1時間半くらい掛かったなぁ。バスを降りて東桜花苑に寄り、ここで週刊モーニングを買い、ここのレストラン(櫻花)でとんかつ御膳を注文する。この東桜花苑は漫画の主人公の島耕作が上海駐在時代に住んでいた場所です。

久しぶりの櫻花の料理、美味しかった!!

九華山庄

2009年05月29日 23時35分51秒 | 旅行(中国)
昨日は、端午節で祝日だったので北京郊外の九華山庄へ行ってきた。
天気は小雨だったのでお客は少なかったのでラッキー。
約2時間、いろいろな温泉につかり、料金に含まれている足裏マッサージを受けてきた。

写真は、九華山庄と一周しているモノレール。




帰りは、アジア村の華堂商城(イトーヨーカードー)にあるCoCo一番屋でカレーを食べる。 食後のコーヒー皿を見たら、写真のようにコーヒーを乗せる場所が中央ではなく中心からずれた位置に置くように皿に段差があった。ちょっとしたアイデアだなぁと感心した。

空港税

2009年05月17日 01時58分35秒 | 旅行(中国)
久しぶりに、日本へ帰って自分の机をゴソゴソやっていたら懐かしいものが出てきた。中国で空港使用税の票です。 昔はチェックイン前に国内線は50元、国際線は90元のチケットを窓口に並んで買ったんだっけ…
でもこれは未使用。 はて、どうしたんだろう???

大連の思い出 (5月2日) その2

2009年05月03日 14時05分16秒 | 旅行(中国)
旅順と大連市内との間に、大連のハイテクパークがある。
写真は、中国でのソフトウエア会社のNeusoftの建物、近くにはPanasonicや大連金山の看板も見えたし、おそらくゲームソフトの会社と思える建物もあった。


星海公園でタクシーを降り、タクシーの運転手にチャーター料の300元を渡す。 星海公園は連休なので混んでいる。 


海辺には多くの人たちがいて、海面の飛び降りるバンジージャンプが商売繁盛の様子で、海辺を散歩していると数分毎にダイブする様子が見えた。 夏ならばここは海水浴場になる。 まだ泳いでいる人はいなかった… 気候は北京よりも涼しかったので、泳ぐと考える人はまだいないのだろう。


浜辺を通り過ぎて、遊園地にきた。 遊園地も休日なので混んでいる。
写真は逆バンジージャンプをしている女性。


星海公園から星海広場に向かう。 徒歩で30分くらい歩いたかな? 途中、建設中の高級マンション群があって、海岸沿いなので高いんだろうなぁ。 と思いながら歩いていたら、フェラーリの車販売店の隣ではクルーザーを売っていた。 なになに、ヤマハのクルーザーが40万元。 クルーザーを買える金持ち、いるんだろうなぁ!!
と、ひがみながら通り過ぎる…


星海広場に着く。 ここも人がいっぱい。凧揚げしている人もい多い。 そして星海公園同様に遊園地がある。


星海広場で、結婚写真を撮影しているカップルがいた。 


星海広場を出ると、写真のような西洋の古城のような建物。 これは一体何なんだ??!!
探訪したかったけど時間が無いのでパスした。
北京に戻ってから調べたら、この建物は貝殻博物館だそうです。


市内には路面電車で戻るのだが、車内はギューギュー詰め。 周囲の建物に漢字が無くて、車も少なくて静かならば、ドイツの雰囲気に似ているだけど…
大連では路面電車は2路線あり、201と202がある。


空港まではタクシーで約20元。 大連旅行ではタクシーに乗りっぱなしだったけど、タクシー料金は北京よりも安いなぁ。 大連は海鮮料理も美味しかったし、ということで、大連の空港から北京へB737で戻ったのでした…





大連の思い出 (5月2日) その1

2009年05月03日 04時14分56秒 | 旅行(中国)
朝、起きてホテルから街を見るとチャイしている。 ホテルで朝食を食べて部屋に戻って下を見たら、さっきまで壊していた建物が綺麗に壊されていた。 さて、今日はどこに行くか考え、ホテルのコンシェルジェに旅順の203高地までタクシーで幾らで行くらと聞くと、ホテルの車の場合は1時間200元で約1時間で行くという。(往復で約400~500元) 相場が分かったので、タクシーと交渉したら300元で往復するという。 ま、こんなもんかなということでOKし、旅順に向かう。

取り壊している街並み


旅順まであと19km
市内は渋滞でしたが、渋滞を抜けるとスイスイと旅順まで向かった。
旅順は軍港があるので外国人には全面開放されていないとのことであるが、どこまでが外国人が立ち入ってよい場所なんだろう? よく分からなかった…


二〇三高地から旅順の眺め
二〇三高地から旅順の港が遠望できた。 湾内は広くて旅順は天然の良港であることが分かる。 当時としては、この地を攻略する事は旅順港に停泊するロシア軍艦を攻撃するには欠かせない場所だったわけだ。二〇三高地は標高203mであることから、そう呼ばれた。


二〇三高地 爾霊山
“二〇三高地は1904年日露戦争時の主要戦場の1つであった。日露両軍はこの高地を争奪するため、殺しあっていた。その結果、ロシア軍は5000人以上、日本軍は一万人以上死傷した。戦後、旧日本第三軍司令官であった乃木希典は死亡将士を記念するため、砲弾の残片から10.3m高さの銃弾のような形の塔を鋳造し、自らが「爾霊山」という名を書いた。これは日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と耻辱柱となっている。”という表示がこの爾霊山の塔のそばに中国語・英語・日本語で書かれていた。
なお、外国人と中国人とでは入場料が違っていた。 (外国人の方が高い)


二〇三高地の道
この道の傍に乃木大将の次男で戦死した乃木保典陸軍歩兵少尉が戦死した場所という碑があった。 二〇三高地の頂上から数十m下で、“乃木保典君戦死之所”と碑には刻んであった。 今はのどかな道であるが、この付近で日露の激戦で多くの戦死者を出した戦いがあったとは思えないほど、静かな場所だった。この写真だけ見ると、ちょっとしたハイキングコース。 日本軍は白袴隊を結成し何回かアタックをかけたが、その白袴が機関銃の目標になったとも言われている。 ふもとの二〇三高地陳列館には当時の銃弾や戦争の様子の写真が掲示されている。66日間にも渡る攻防で大量の戦死者を出した原因は、何度も同じアタックをかけたからという説もある。日本が得意とする精神論で戦ったのだろう。 
100年前の攻防「夏草や 兵どもが 夢の跡」(松尾芭蕉)といった雰囲気でした。

大連の思い出 (5月1日)

2009年05月03日 01時33分10秒 | 旅行(中国)
5月連休を利用して大連に遊びに行ってきました。 大連の空港から、タクシーで老虎灘極地動物館へ向かう。 えっ、大連観光で最初に、ここを選んだわけ? 大連をキーワードにHPを検索して事前に候補を探して、タクシーの運転手にどこがお勧めかと聞いたら、ここを紹介されたのでまず向かってみました。 で、入園料は190元。 高いなぁ~と感じながら、極地館に入ってみると結構立派でした。 水族館は、沖縄の美ら水族館には及ばないけど、いろいろな魚が泳いでいて、観光客に有料で水槽の中で体験させている。 さすが商魂たくましい中国です。 イルカのショーは、横浜八景島シーパラ・イルカショーを思い出した。 満員の観客で、うーん、190元の入場料にも納得。(しかし、最近の中国人は豊かになって、お金持っているなぁ)今日は祝日だからでしょうが、家族連れで満員で、イルカショーは30分満席状態(座席は満員で立ち席でした)で待ちました。 

水族館 イルカの曲芸


海獣館では、10元で海獣たちに餌(いわしのような魚)をあげる事ができる。

海獣たち


“亀の背中にお金を乗せる事ができると良いことがある”と書いてあった。そこで、亀さんの甲羅の上は1元・5角のお札や小銭が乗っていた。 別のところでは100元札が乗っている亀もいた。




亀の甲羅にお金を載せると良い事あるよ~ (ホントかなぁ??)



鳥専門の場所もあり、これは駝鳥のアップ。 フラミンゴがいたり、インコを乗せて記念撮影(有料)もある。網が山の斜面を利用して張られており、この中でいろいろな鳥を間近で見る事が出来る。この広さも日本では知らないなぁ。

駝鳥


敷地の傍には、退役した駆逐艦が係留していて(入場料20元)、これは青少年用の宿泊ホテルにもなっているようです。 この艦艇番号104の駆逐艦は1940年に建造され、1991年に退役と書いてありました。1957年に周恩来総理が乗船したと書いていました。

104型駆逐艦


1940年の建造の船なので、戦闘艦としては旧式で艦橋はとっても狭いです。 艦橋部分は雑然と汚く、もう少し綺麗にして保存しても良いと思うのですが…

艦橋


砲塔の様子ですが、レーダー等で自動化されておらず、砲弾の装填は人が行い、人が目標を定めていたのでしょうね。 退役までには近代化したと思うのですが、この状態は退役時の状態の装備ならば、この駆逐艦は対艦ミサイルも装備しているのですが(ミサイルはニセモノが発射口から顔を出していました)相当近代化は遅れていたのではと思う。
砲塔


その後、老虎灘極地動物館そばの自助海鮮料理店で夕食を食べた。 セルフサービスの海鮮料理で58元でした。 カキ・ハマグリは勿論、他の海鮮・牛肉・羊肉・コーラ・アイスの食べ放題・呑み放題でカキを5個ほど、ハマグリは20個は食べたかなぁ…
大連は海の街であることを感じて、満腹・満腹!!

海鮮料理

北京郊外 延慶の旅

2009年04月12日 22時34分24秒 | 旅行(中国)
ちょっと、用事があって北京市内から北へ約1.5時間の延慶県へ行ってきました。郊外に出たので市内とは様子が違います。今度、ゆっくり来てみようかな… でも、名所旧跡ってあるのかな??
市内に戻ってきたら、柳絮(リュゥシュィ)が飛び交っていました。

農作業の車:


昼食時の料理:黄魚のから揚げ(美味しかった)


昼食時の料理:牛の耳の料理だそうです(誰か食べたかなぁ??)


公園にて:花がきれいでした。この時期は、あちこちで花がいっせいに開花しています




白タク:車の後ろに5と買いてあるのが、初乗り料金の5元のようです


輪タクとはチョット違う、これ何タクシーというのか・・・


高速道路にオリンピック専用車線のマークが残っていました
オリンピック期間は、この車線に専用車以外走行は禁止でした

頤和園(いわえん)

2009年03月22日 21時38分54秒 | 旅行(中国)
先週の日曜日に日本からの出張者を連れて案内した頤和園の風景です。すっかり暖かくなって観光客がたくさんいました。正月にはこの昆明湖が凍結して湖岸の反対側まで氷上を歩いたのですが、すっかり春でその面影はありません。まだボートなどの舟は営業していませんでした。

==十七孔橋==
欄干には544の獅子の像がある


==石舫==
沈まない船に王朝の安泰を託したと言われている




==昆明湖の湖岸==

中国での新幹線

2009年03月21日 13時05分49秒 | 旅行(中国)
中国の新幹線(高速鉄道)は和諧号(日本語で調和の意味)と呼ばれ、CRH1, CRH2, CRH3, CRH5がいまや中国中をうじゃうじゃと走っている。何背、線路幅は日本と違って同じですので、在来線の線路に新幹線を走らせる事に何の問題も無い。
CRH2は日本の新幹線をベースにした車両です。

写真は、昨年11月に八達嶺そばの森林公園に出かけ近くの線路を歩いていたら、後ろから電車が来て、なんだろうと振り向いたら、北京西駅から延慶へ向かう和諧号でした。 急勾配でしかも、線路には人が歩いているのでスピードを出さず、20kmくらいで走行して山の中に消えていきました。この車両はCRH1(カナダ)だと思います。

さて、この高速鉄道(新幹線)ですが、各国の高速鉄道の技術を採用しているはずなのですが、中国は、独自に技術による中国生産(たしかに車両の最終完成は中国ですが)と、言い張っている。そして、その車両の知的財産は中国が所有するものであると主張し海外に輸出ももくろんでいる。
そのうち、日本の新幹線そっくりの中国製の新幹線車両が、中国が独自開発した車両との売込みを行って、どこかの国で走る事になるかもしれない。

八達嶺 長城

2008年11月01日 23時10分56秒 | 旅行(中国)
11月1日の午前中、早起きして八達嶺 長城へ行ってきました。
朝の長城は寒かったです、8時前に着いたのですがロープウエイの営業は8時半からなので、しばし待ちました。そして観光地なので人がすごい。長城から降りてきたら駐車場は満車でした。
長城から、そのまま空港に向かい午後便でに日本へ向かいました。

八達嶺 森林公園

2008年10月27日 23時40分37秒 | 旅行(中国)
26日朝6時に起きて、7時に919路のバスに乗り、八達嶺そばにある森林公園に行ってきました。 直通の919路バスで約1時間、北京市内は寒くは無かったですが、さすがに寒かったです。 ここは観光地ではないので外国人の姿は無く、山を散策しながら長城を眺める場所です。しかも整備されてない頂上が見れるので、観光地化されていないのでとても楽しかったです。 ここは紅葉の名所なのですが、紅葉はまぁまぁと言った感じでした。

海抜4636m

2008年10月08日 03時28分18秒 | 旅行(中国)
雲南省麗江旅行での玉龍雪山の海抜4636m地点での風景です。氷河が迫り雄大な眺めでしたが、高地で酸素が薄くて苦しかった。あと40mくらい上まで一般客は登る事が出来るのですが、苦しくて一歩上に歩く気力が無かった。なお、この玉龍雪山の最高峰は5596mで、氷河は北半球で最南端です。