シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

ボランティアを考える

2016-03-15 08:52:48 | ボランティア
霊的実在に目覚めた人ならば慈悲・寛容・哀れみ・奉仕・協力の実践が大切であること、言い変えれば、単に霊的実在の美しさや豊かさに感心しているだけではいけないことを承知のはずです。霊的真理を知っている人でも利己的人間になることがありうるのです。
『シルバーバーチの霊訓12』

これまで、地域猫ボラとか、喫茶ボラとか、病院ボラとか、様々なボランティアをやってきたけど、充実感を味わったことが殆どありません。

たぶん、それは、やむにやまれぬ気持ちで取り組んだことではないから・・・。
自分の神性の発露ではないからですね。
むしろ自分の未熟さを鍛えてもらった感じ。


ボランティアというほどのものじゃないけど、
震災の時、恐怖で腰が抜けたお婆さんの代わりに公衆電話の列に並んだときとか、
ホームレスの方にパンを差し入れするときとか、
ユニセフの寄付とか、
霊的真理を人に伝える時とか、
トイレ介助などの突発的なサービス残業とか・・・。

やむにやまれぬ気持ちでさせていただいたことは、私自身が楽しい。させてもらえてうれしい。
こういう自発的なものが、私の中の大霊が顕現している、真のボランティアだと思うようになりました。

なんとなくですが・・・・
ボランティアには、2種類あるのかな。

困っている人に心から手をさしのべたいという奉仕・・・真のボランティア
物質社会の役に立つ奉仕・・・世間でいうボランティア

今のとこ、私的には、2つとも満たすのがユニセフかなあ・・・

世間でいうボランティアは、自己顕示欲の強い人もけっこういるから、霊的真理を胸にガンバらなきゃ、私なんてすぐに心が折れちゃう。

シルバーバーチ読書会に行って勉強する暇があったら、ボランティア活動をもっとしたほうが立派なことではないのか、と悩んだ時期もありましたが、もし、霊的真理を仲間と共に学ばなかったら、3日でボランティアやめてたか、自己顕示欲の強い威張った人間になっていたな。

ボランティアって自分を鍛えるためにとても役立つものだけど、でも、霊的真理がないと駄目だとおもう。

「自己を抑えて、人に奉仕をすること」

自治会の役員当番もあと少しで任期が切れます。
最後の仕事に、引っ越してきたお隣さんに入会をおすすめしなきゃいけないのですが、楽しいボランティアじゃないから気が引けるなあ・・・・。
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