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神戸臨港線跡とその周辺散策記 on 2016-3-17

2016年03月19日 17時56分09秒 | 神戸情報
1907年(明治40年)8月20日~2003年(平成15年)11月30日まで港町神戸を
支えてきた神戸臨港線が運行していました。

2016年3月17日(木)に臨港線跡とその周辺を歩きましたので写真紹介
します。


上の写真は昭和39年(1964)5月時点の神戸臨港線の路線図です。
出典:神戸築港資料館の展示

今回歩いた範囲は現在の灘駅の南側のミュージアムロードと神戸臨港線が交わる
点を起点として旧神戸港駅までです。

まず平成21年(2009)10月には神戸臨港線(東海道本線貨物支線)の跡地を
遊歩道として整備された道の写真を紹介していきます。



上の写真は起点付近に掲示されている説明板。
大正15年(1926)の地図については拡大して添付しました。

説明については読みづらいと思いますのでそのまま転記しました。(一部加筆)

「近代において、船舶は最も優れた大量輸送機関で、湊で陸揚げされた貨物を
内陸へと運ぶには、鉄道が重要な役割を果たしていました。大規模な港では
港湾施設の一部とも言える存在でこれが各地の港に敷設された臨港鉄道です。
1869(慶応4)年に開港した神戸港は、大型汽船は沖泊まりで艀(はしけ)に
よる荷揚げが行われていました。
1907(明治40年)にようやく東海道本線に貨物駅として灘駅(現在の灘駅より
東側にありました)ができ、ここから分岐した小野浜駅で、貨物の取扱を
始めました。その後、神戸港の整備が進み、1922年(大正11年)には
4本の突堤が完成し、小野浜駅からそれぞれに引き込み線が延長され、その後
神戸港駅(現神戸震災復興記念公園=現みなとのもり公園)と改称し市民の
交通手段にもなりました。
大正から昭和時代に最盛期を迎えましたが時代は鉄道からトラック輸送へと移行し、
神戸の近代化に寄与した臨港線も2003年(平成15年)にはすべて廃止
されました。市道・臨港線は鉄道の廃止後、鉄道竣工から100年の歴史を感じ
つつ、誰もが健康づくりを楽しみながら、歩くことができる桜並木として
生まれかわりました。」


これから示す写真は出発地の地図に①から⑧の番号をつけた地点の写真です
(下に添付)


①出発地






上の写真は出発点付近の整備後の臨港線の跡地。

②100mから200m地点

上の写真は100mの表示


上の写真は平成21年(2009)5月に架橋された庄境架道橋付近


上の写真はジョギング、ウォ-キングコースの案内板


上の写真は灘駅側から観た整備後の臨港線の跡地



上の写真はトレーニングの道具とその説明版
体操のできる場所は今後も続きますが今後の写真は省略します。


上の写真は神戸朝鮮初・中級学校の運動場と校舎を臨む風景

③250m付近

上の写真は堂の川架道橋(平成21年9月架橋)付近の風景


上の写真は山側(北側)を臨む風景


上の写真は浜側(南側)を臨む風景

④300mから500m付近

300mの標識付近より臨む



上の写真はミニ鉄道用の線路と標識
神戸市立科学技術高等学校の鉄道研究会が作製したミニSL用の線路で、
同校の鉄道研究会により年数回運転を行うイベントが開催されており、
近隣の保育園の園児や市民が試乗会に参加しているそうです。


上の写真は400m付近から臨む風景


上の写真は500m付近から臨む風景

⑤600m付近(住友ゴム工業付近)

上の写真は平成21年10月架橋の橋本架道橋付近から臨む風景





⑥750m付近(阪神国道架道橋付近)










⑦750mから1,000m付近
阪神架道橋を渡ると神戸臨港線の雰囲気を彷彿させる風景になります。









ここにも神戸臨港線の説明板が設置されています(上の写真)

⑧1Km付近

上の写真は灘駅方面(東側)を臨む風景


上の写真は北側を臨む風景 少し歩けば阪神「春日野駅」


上の写真は西側を臨む風景


ここで神戸臨港線から離れて南側に進み海沿いの遊歩道へ進んで行きます

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これからは番号がつきません。






なぎさ小学校を左手に見ながら南の游歩道へ進んで行きます


上の写真の川崎製鉄跡地の碑を右手(西側)へと進んでいきます。


海沿いの遊歩道を歩いて行く途中の海側の風景


上の写真は遊歩道の中間点にあるペチュニア(神戸市中央区の花)の絵
地面に描かれています


海沿いの游歩道の西端には上の写真の様な石が積まれた磯があり海鳥が
魚採りや休息をしている光景に出くわしました。


対面には海面清掃船兼油回収船 Dr.海洋が停泊していました。

遊歩道をあとに一般道路に入って行きます平成14年(2002)1月完成の
HAT脇の浜橋を過ぎて信号を横断し南側に進むと小野浜ポンプ場の建設現場
(下の写真)にたどりつきます。




道路側の塀には上の写真のような芸術的な絵を観れます。

左手(東側)には国土交通省近畿地方整備局、神戸港湾事務所などの入った
建物や神戸築港資料館(PIER6)があります。(下の3枚の写真)
ここで展示物の見学をほぼ1時間かけてしました。




ここから西へしばらく歩いていくと本日の最終目的地のみなとのもり公園に
到着します。下の3枚の写真はみなとのもり公園周辺の風景
神戸臨港線の神戸港駅の跡地になります。








神戸臨港線の神戸港駅に関わる展示もありましたので写真で示します。











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以上で当日の散策記は終わりです。



上の写真は大正7年(1918)神戸港沿岸利用状況調査図 内務省神戸土木出張所蔵
の地図で同じく臨港線が通っていた経路を確認できる地図です。
鈴木商店の名前や神戸製鋼の埋立地、川崎造船所の工場埋立地、葺合港などの
名前が目につきます。


上の写真は大正~昭和初期に撮られた港湾貨物を積み替えて輸送する貨物鉄道
神戸臨港線の様子を示したものです。 写真:神戸港振興協会
出典:神戸市制120周年記念 神戸あの町、あの時代 Page3より


1873年(明治6年)、加納宗七は当時の神戸港が台風によって大きな被害を受ける
ことに対処すべく、生田川の河口に「加納港」と呼ばれる避難港を建造した。
この避難港は1915年(大正4年)に埋め立てられ、国鉄神戸臨港線神戸港駅が
建設された。大正6年(1917)には神戸港駅に扱い所が開設されました。


上の写真は昭和32年(1957)4月の臨港線
出典:平岡徳太郎氏撮影


上の写真は昭和32年(1957)10月の臨港線
出典:平岡徳太郎氏撮影


上の写真は兵庫県立図書館作製の臨港線の解説
撮影:2015-4-14









 





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