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東大寺東塔院跡 東塔(七重の塔)を中心として

2023年07月11日 05時03分18秒 | 奈良情報
東大寺東塔院跡という題で下記ブログを2018年7月4日に作成しています。

今回、上記ブログを再掲すると共に、新たに七重の塔の相輪の写真などを追加して再編成した。
2023年6月24日(土)NHK BSプレミアム「2時間でまわる東大寺」が放送され
その写真を追加しました。以下、資料1と記す。
本日は東大寺東塔院跡について調べてみました。
写真を中心に紹介します。

上の写真は東大寺大仏殿の内部にある東大寺創建時の模型から東塔院付近を拡大
したものです。 撮影:2018-4-8

東大寺創建時の伽藍 復元模型 on 2018-4-8
上の動画は東大寺創建時の伽藍 復元模型(撮影:2018-4-8)

上の写真は奈良市役所の展示パネルの説明図で東塔の図面です。
その威容が想像できます。

東大寺東塔院跡はその名の通り、創建時に造営された「七重塔」があった場所です。
創建は奈良時代の天平宝字8年(764)頃と言われています。
初代の塔はその後約400年経過した平安末期の治承4年(1180)平重衡の南都焼き討ち
によって一度焼失した。その後鎌倉時代の嘉禄3年(1227)頃に復興を経て、
室町時代(南北朝時代)の嘉禄3年(1362)に落雷に伴う火災で再度焼失し、その後は
再建されることがありませんでした。

かつての東塔は、「東塔院」と呼ばれるように、東西南北4か所の門を有する重厚な回廊
によって塔が囲まれた形を取っていたと言われ、七重の塔の高さは33丈(約100m)と
23丈(約70m)とする2種類の記述があります。

西塔の七重塔については平安中期に 焼失しています。

1970年の日本万国博覧会(大阪万博)で古河グループの古河三水会 が七重塔のレプリカを制作した。
七重の塔のレプリカは86メートルで、冊子にこう意義を記した。本物と同様、塔の頂上に金属製の飾りの相輪(そうりん)(23メートル)を掲げた。
塔は万博終了後に解体されたが、相輪は東大寺に寄贈され、東大寺境内に展示されています。
 




上の3枚の写真は高さ23mの相輪(復元品) 出典:資料1

上の写真は東大寺縁起に書かれた東塔と西塔 相輪の部分は黄色丸で囲まれた部分。 出典:資料1

上の写真は七重塔の相輪の設置場所を示したものです。 出典:資料1


上の2枚の写真は東大寺付近の地図と航空写真で東塔と西塔のあった位置が記載されています。

上の写真は奈良市役所の平城京の模型の東大寺付近拡大図で東塔と西塔の七重の塔の
威容がビジュアルに確認できます。

奈良文化財研究所と東大寺・奈良県立橿原考古学研究所は、2015年に発掘調査団を
組織して、東大寺の東塔院跡の発掘調査を行っています。
写真などは「なぶけんブログ」の記事を参照してください。

2015/11/21と2017/10/7に現地説明会が行われています。
 奈文研の現地説明会資料へのリンク:https://www.nabunken.go.jp/fukyu/account.html

上の写真は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の企画展「2016年発掘調査速報展」
のリーフレットで東大寺東塔院跡の七重塔の基壇の発掘調査の写真が使用されています。

奈良文化財研究所では2017年7月19日から11月10日の期間、東大寺東塔院跡の回廊の一部と
南門の実態解明と東門、西門の位置や遺存状態の確認を目的として発掘調査されました。

現地説明会は2017年10月7日に実施されました。

上の2枚の写真は発掘調査の現場
出典:奈文研ニュース No.67 Nov.2017

成果1:南門の土台=基壇の規模は東西に約16m、南北に約13mあり、
    柱を立てた礎石の配置などから、門の規模は東西約12.9m、南北約7.2m


成果2:回廊の構造は中央を壁で仕切られた2列の複廊

成果3:上記の鎌倉時代の南門と回廊の規模と構造が判明したと同時に創建時の基壇も残存


奈良テレビニュースのサイトで簡明な報道をされていますのでリンクさせていただきます。

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