CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

明石神社訪問記 on 2019-1-27 と明石藩の最後の城主松平直致

2019年01月29日 04時31分33秒 | 神戸市以外の兵庫県
2019年1月27日、明石神社を訪問しましたので写真紹介します。
また、明石藩最後の藩主である松平直致(なおむね)についても明石神社と
関係が深いので簡単に紹介します。

明石神社の基本情報
住所:明石市上の丸1-20-7 TEL:078-911-7508
主祭神:徳川家康 配祀神:松平直明 松平直良 宇賀之御魂命
創建:天和2年(1682) 例祭:4月21日


拝殿

上の写真は拝殿外観


上の写真は拝殿内部で越前松平家の家紋である三葉葵紋が眩い


明石城太鼓





上の3枚の写真は明石城太鼓と説明板

明石城太鼓 明石城太鼓 明石城築城以来太鼓門に置かれ、時刻を知らせていたものです。
藩主が皮の張替修理をした墨書銘もあります。

鳥居



上の2枚の写真は神域の境界でもある鳥居

明石神社の歴史

 天和2年(1682)、9代目明石城主松平直常(在位1701-1743)が、徳川家康・
 結城直良・直明の霊を城内に祀ったのが初めとされる。
   当初は一般の参拝は禁止されていた。

 明治4年(1871)、一般参拝の禁を解く。

 明治19年(1886)、明石神社と公称。

 明治19年(1886)、本殿その他を修繕す。

 明治23年(1890)、郷社に列せられる。

 明治31年(1898)現在地に遷座

明治期明石城本丸跡にあった明石神社

上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の明石神社の図です。
明石城の本丸のかっての姿が描かれています。
本丸の4隅に3重の櫓が描かれています。廃城後の明治14年(1881)に取り壊された
北東の艮櫓(うしとらやぐら)や北西の乾(いぬい)櫓もかってはこんな位置に
あったことが判る絵です。
明石神社は明治19年(1886)に建立された当時の姿です。
明治31年(1898)明石城跡が御料地に編入され宮内省用地となったため、本丸より
約500m東の現在地(上の丸)に遷座された。

下の方に明治21年(1888)に開通した山陽鉄道(後に国鉄、JR)の軌道と汽車も
描かれています。
追手筋から場内への入口である太鼓門の桝形には既に建物が無くなっています。

松平直致

上の写真は明治に入って子爵となった時代に撮影されたもので
明石神社の文字を揮毫しています。

松平 直致(まつだいら なおむね、嘉永2年8月4日(1849年9月20日) -
明治17年(1884年)6月28日)は
嘉永2年(1849年)、明石藩9代藩主松平慶憲の長男として江戸藩邸にて誕生する。
母は側室の古満子(小林氏)。幼名は薫次郎。文久元年(1861年)元服し、
父・慶憲より直致(なおむね)と名付けられる。

慶応3年(1867年)江戸城に初登城するが、将軍徳川慶喜不在のため、老中・稲葉正邦と
面会する。明治元年(1868年)太政官より従四位上、侍従を叙任、左兵衛督に任官。
明治2年(1869年)2月8日慶憲が隠居して二の丸御殿に移り直致が家督を相続する。
慶應義塾で学んで明治2年(1869年)に自邸の一部を開放して藩校・敬義館を造っています
明治2年6月17日版籍奉還で知藩事となる。この年、鎮姫と婚姻する。
鎮姫は岸和田藩12代藩主岡部長寛の娘。

明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県により明石県が置かれ、知藩事職を
免官となる。明治4年(1871)城を出て嶋益方へ明治5年(1872)東京へ移住する。
その後、11月2日(12月13日)に明石県は姫路県に併合され、1週間後に姫路県は
飾磨県と改称された。
明治6年(1873)廃城令により明石城の門や櫓の一部が取り壊されたが旧明石藩の士族の
猛烈な反対運動と石巻清隆の活躍等で公園化や宮内省御用地になったりで
坤櫓と巽櫓は現存することとなった。
明治17年(1884年)に35才の若さで病没し、弟の直徳が家督を継いだ。


明石城歴代藩主

初代城主は小笠原忠真(藩主期間1617-1633) 10万石 信濃松本より転封
 明石城の築城は元和4年(1618)でこの頃船上城から現在の明石城の位置に築城されました
 建設資金は徳川2代将軍秀忠より銀壱千貫(現在価値で31億円)
1632年11月-1633年4月は幕府直轄地となり本多忠義、政勝が明石城の藩主

2代目城主は松平庸直(1633-1634) 7万石
3代目城主は松平光重(1634-1639)
4代目城主は大久保 忠職(1639-1649)美濃加納から転封
5代目城主は松平山城守忠国(1649-1659)丹波篠山から転封
6代目城主は松平日向守信之(1659-1679) 6.5万石
7代目城主は本多政利(1679-1682) 6万石
8代目城主は松平直明(1682-1701) 越前大野より転封
9代目城主は松平直常(1701-1743)
10代目城主は松平直純(1743-1764)
11代目城主は松平直秦(1764-1784)
12代目城主は松平直之(1784-1786)
13代目城主は松平直周(1786-1816)
14代目城主は松平斉昭(1816-1840)
15代目城主は松平斉宣(1840-1844)8万石
16代目城主は松平慶憲(1844-1869)

上の写真は松平慶憲の肖像
出典:黒田義隆 著 「史話 明石城」(1975) Page109

17代目城主は松平直致(1869-1869)

上の写真は明石藩の最後の藩主、松平直致の肖像
出典:黒田義隆 著 「史話 明石城」(1975) Page109


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 廃藩置県後の明石城と2つの櫓... | トップ | 神戸市長田区、須磨区、垂水... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神戸市以外の兵庫県」カテゴリの最新記事