現在、県立図書館より兵庫県民俗研究会編「兵庫県民俗資料 上」(1982)を
借りています。本のPage480-481に新聞記者で民俗学者でもある五十崎杏沖が
「神戸市須磨寺の鬼追」という題で記載されている内容について要約して紹介
します。五十崎杏沖が明治30年(1897)1月6日に須磨寺における鬼追式を観覧し
同年1月8日大阪朝日新聞に掲載された内容を記載したものです。
また上述の本のPage508に廃絶した須磨寺の鬼追い(追儺式)についての記載があり、
この内容も加味して記載していきます。
須磨寺で鬼追い(追儺式)が行われた記録は上述の明治30年(1897)以外に無いが
この時期の前後には実施されていたと推定される。須磨寺の「當山歴代」をチェック
したが見当たらなかった。
例年正月27日又は旧暦6日の1月6日に実施。
追儺式は黄昏時より釣鐘の続打に始まり、21時頃に読経が住んだ後、法螺貝が吹かれ
西の山門より赤鬼、青鬼、小鬼が登場。鬼は松明を手にして大師前に来て参集者の
間を乱舞、松明の火の粉をまき散らす所作が約40分続く。(小鬼は4匹)
今度は赤鬼が木槌を腰に挟み、左手に斧、右手に松明を持ち正覚院の僧坊より登場。
同じく青鬼が左手に鉾、右手に松明を持ち鬼踊りを披露する。
終了時刻は22時頃。
鬼に扮する若者は数日前から身を潔め、当夜は疲労で身は綿の如くなるも、一は神仏
の恵みを身に受くるものなり。一は村の姐さん達から昨夕の鬼はよく出来たと褒められる
を唯一の楽しみに、荒行を競ふて勤める。(西摂大観郡誌篇29Page)
法要について、住職以下七僧は正装で本殿須弥壇にて五穀豊穣国家安泰の祈祷を実施。
本殿の前で鏡餅割の儀式が行われます。赤鬼と青鬼が礼拝した後、舞楽を披露。
赤鬼は斧を振り上げて太鼓を打てば、少年などは一斉に「どつさり」大声をあげて
打ち囃す。この喧噪の中に鏡餅割の式をなし、その斧を青鬼に渡さんず身振りするに
青鬼は頭を左右に打ちふりて歯が痛いゆえ受け取らずとて三回辞み、やうやうに
受け取りぬ。かくてまた赤鬼は木槌にて同じ式を行い、青鬼に木槌を渡し終了。
上の2枚の写真はかって須磨寺で行われていた鬼追(追儺式)で使用されていた
鬼面(宝物館の展示)。
運慶作(伝)との説明書きがあります。 撮影:2014-3-8
追儺式が夜に実施される例は兵庫県では勝福寺以外はないと思いますが、奈良県の
法隆寺や興福寺では現在も夜に実施されています。
古来の伝統を守っている例だと思います。
昭和8年(1933)の著作物なので原文も添付しておきます。
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