2016年1月18日(月)、書写山圓教寺で「修正会 鬼追い会式(しゅしょうえ
おにおいえしき)」が行われました。
圓教寺の本堂(摩尼殿、如輪観音堂とも呼ばれる)において初夜(そや)導師
による法会があった後、本堂の扉がすべて閉められ、後夜(ごや)導師の鬼役が
入場本堂内陣は蝋燭と赤鬼が持つ松明の灯りのみとなり堂内に充満する煙が
幻想的な舞台となり毘沙門天の化身・赤鬼と、不動明王の化身である青鬼がその
年の平穏、五穀豊穣、子孫繁栄などを願う檀家や参拝者に対して邪気を追い払う
鬼踊を披露してくれます。
尚、本堂での鬼会の前に開祖の性空上人所縁の白山権現(十一面観音堂)の
前殿(舞殿)で赤鬼、青鬼による鬼追い会式が行われ終了後、「鬼の箸」と
呼ばれる魔除けの箸が配布されます。
上の4枚の写真は本堂の中で行われた毘沙門天の化身とされる赤鬼(若天護法童子)
と不動明王の化身とされる青鬼(乙天護法童子)の鬼追い会式の舞。
動画でも添付しておきます。(下の動画)
鬼追い会式で用いられる鬼面であるが大正10年(1921)12月28日に摩尼殿が消失
した際、鬼面を含め什器、備品もすべて灰となってしまいました。
翌大正11年東京美術学校教授であった高村光雲と六角紫水に原型と乾漆を依頼し
大正12年(1923)2月初旬に完成した。
鬼面には角はなく上述したようにあくまでも神の化身である護法童子である。
若天、乙天というのは圓教寺開祖(966)の性空上人に九州時代より仕えた童子で
性空上人39歳の時、法華経を暗誦していると突如として乙若二人の童子が出現
したという伝説が残っています。
寛弘4年(1007)性空上人の入寂後、乙天・若天の両護法童子(不動明王・毘沙門天)
を山の鎮守として祀られました。奥之院開山堂の右手護法堂がその鎮守社です。
上の写真は護法堂と現地説明板です。
現在の建物(重文)は永禄2年(1559)に再建されたもので昭和37年に続き
平成25~26年に屋根の葺き替え工事と修理工事を施工されました。
創建は円空の弟子の延照と考えられています。
上の2枚の写真は長押(なげし)に英賀の才村奉納の一斗の鏡餅(3枚)と天井
から桜の花に見立てた造花の串77本。
鏡餅に関わる言い伝えで、円教寺の僧が才村を通った時に悪者に襲われ
身代わりになった犬の供養のため餅を奉納するようになったという。
造花の串(鬼花)が桜の花と言われるのは本尊の如意輪観音が桜の木で
作られたことに由来する。
昔この地に桜の木があり、天人が舞い降りて「福首生木如意輪----」と言葉を
唱えて礼拝しているのを見て、性空上人がその成木に如意輪観世音を刻まれた
上の2枚の写真は修正会 鬼追い会式が行われた本堂・摩尼殿
上の写真は朝 9:24 下の写真は15:35に撮影しました。
当日は特別公開の本尊六臂如意輪観世音菩薩(6つの臂(ひじ)を持つ観世音菩薩)
と四天王を拝観することもできました。
上の写真は御本尊の六臂如意輪観世音菩薩
上の写真は持国天
上の写真は多聞天
上の写真は増長天
上の写真は広目天
2021年の鬼追い会式のYoutube動画についてGooで共有させていただきました。
書寫山圓教寺/修正会・鬼追い会式(令和3年1月18日)
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