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舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像

2022年01月22日 04時26分32秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第20回で11月19日の午前中に訪れた有本国蔵翁の銅像

を写真紹介します。舞鶴市西総合会館ゆうさい会館の敷地内に建っています。

こちらには舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)の展示を見るために立ち寄りました。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真が有本国蔵翁の銅像です。旧舞鶴町出身で洋服商として成功し財を成した。

上の写真は有本国蔵翁(1860-1944)

出典:水島彦一郎 著 有本国蔵翁 (昭和12年(1937))の表紙

上の写真は舞鶴市西総合会館ゆうさい会館(背後の建物)の敷地内に建つ有本国蔵翁の銅像

出典:Googleストリートビュー

上の写真は旧西商工会館玄関階段袖石(旧舞鶴税務署・旧舞鶴町市西図書館)の解説プレート

上の写真は昭和10年(1935)頃の舞鶴町立図書館

出典:水島彦一郎 著 有本国蔵翁 (昭和12年(1937))のPage109

 

国会図書館のデジタルアーカイブに有本国蔵の一生が書かれた資料(下に添付リンク)

「有本国蔵翁」著者:水島彦一郎  著作権切れ

には多くの写真が掲載されているのでこの写真を利用させていただきます。

 有本国蔵翁 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

上の写真は1927年に紺綬褒章を受章し、1929年に緑綬褒章を受章した勲章を胸に

撮影されたもの。

有本国蔵(1860-1944)についてWikipediaでは下記の様に解説されています。

有本 国蔵(ありもと くにぞう、有本 國蔵とも。1860年 - 1944年1月10日)は、丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)出身の実業家・篤志家・政治家。1908年から1912年まで衆議院議員を1期務めた。1927年に紺綬褒章を受章し、1929年に緑綬褒章を受章。

上の写真は17歳の有本国蔵氏(左)と長兄の有本賀三氏(中央)、仲兄の有本嘉兵衛氏

上の写真は19歳の頃の有本国蔵

実業家・政治家としての経歴
生家は丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)にあった平野屋。1860年(万延元年)に四男として生まれた。父親は嘉助、母親は京子。12歳だった1871年(明治4年)には丹後田辺藩の元藩主である牧野弼成が経営する審致舎に丁稚奉公したが、審致舎が解散すると1877年(明治10年)に大阪に出て、長兄の賀三が経営する洋酒店兼洋服店に勤めた。23歳だった1882年(明治15年)には山宮定次郎の長女梶子と結婚し、翌年には独立して大阪市高麗橋4丁目に洋服店を開業させた。

1896年(明治29年)には大阪羅紗販売株式会社を設立。40歳だった1899年(明治32年)には大阪市会議員に当選し、1905年(明治38年)には大阪商業会議所議員に当選した。1908年(明治41年)には立憲政友会から第10回衆議院議員総選挙に出馬(大阪6区)して当選し、1912年まで衆議院議員を1期務めた。1918年(大正7年)には大阪実業協会の理事に就任した。

上の写真は大阪淀屋橋南詰に新築された有本洋服店

篤志家としての経歴
後年は篤志家としての活動が目立った。1913年(大正2年)には舞鶴町立明倫小学校のために舞鶴町に1万円を寄付し、1922年(大正11年)にも教育資金として舞鶴町に1万円を寄付した。1923年(大正13年)には京都府立工業学校(峰山工業学校)を設立するために京都府に200円を寄付し、見樹寺など8カ寺の無縁仏に対する施餓鬼料として1,800円を寄進した。これらの結果、1926年(大正15年)には兄の有本嘉兵衛とともに舞鶴町議会から舞鶴町有功者の推薦を受けている。

北丹後地震があった1927年(昭和2年)には舞鶴中学校の建設費として京都府に1万円を寄付。また町立舞鶴図書館の敷地購入費として舞鶴町に21,365円を寄付した。舞鶴税務署の建物を転用した町立舞鶴図書館は、地方には珍しい立派な図書館であるとして文部省から選奨されている。有本嘉兵衛とともに財団法人有本積善社を設立し、10万円を舞鶴町に寄付した[1]。1936年(昭和11年)には舞鶴公会堂の建設費として舞鶴町に約13万円を寄付した。有本は1913年に表千家に入門して茶道に精進していたが、舞鶴町長の川北正太郎が有本に泣きついたことから、仕方なく愛用していた茶道具や書画を売却して舞鶴公会堂の建設資金を捻出したのだった。1942年(昭和17年)には紀元二千六百年記念行事として舞鶴町が計画した舞鶴彰古館の建設費23,000円を寄付した。

1927年(昭和2年)には紺綬褒章を授章し、1929年(昭和4年)には緑綬褒章を受章した。1944年(昭和19年)1月10日、兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)の別邸にて死去した。数え年85歳だった。

上の写真は有本国蔵翁の寄付などで建設された舞鶴公会堂

死後
有本が建設資金を提供した舞鶴公会堂は西舞鶴における文化の殿堂として愛されたが、1982年(昭和57年)には建物が取り壊され、跡地には1984年に(昭和59年)に舞鶴西総合会館が建設された。舞鶴西総合会館は舞鶴市役所西支所、舞鶴市西公民館、舞鶴市郷土資料館、舞鶴市林業センターなどを内包している。舞鶴市役所西支所の2階には有本の功績を伝えるための有本国蔵記念館があり、建物入口脇の敷地内には有本の銅像が鎮座している。

上の写真は晩年の家族写真

前列の左が有本国蔵翁、前列右が梶子夫人 

後列の左は長男の有本恪三氏、後列右が次男の有本國二氏

一般財団法人有本積善社 について紹介サイト

    設立: 昭和2年(1927年)9月26日

 一般財団法人有本積善社 法人紹介 - FMまいづる 77.5MHz (775maizuru.jp)

有本積善社 は、旧舞鶴町の出身者である有本国蔵(大阪市在)と有本嘉兵衛(京都市在)及び地元の有志により設立された。舞鶴市の公共の福利増進のため、宗教・教育・衛生等の公益事業の保護及び援助を専らの目的として基本原資金10万円を運用し、育英資金から傷病兵見舞金支給まで巾広い活動がその後展開された。第二次世界大戦後の暫しの活動休止のあと、昭和38年(1963)からその活動が再開され続行されて現在に及んでいる。

 


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